ファイナルフライトセレモニー

Blueforce2008-03-24

トムキャットの花道に、怒濤のスパホダブルナッツ祭りと思わぬ意表を突かれた我々が右往左往している間に、海軍上層部の錚々たる顔ぶれの着任を知らせるベルが「チリンチリン・・・」と鳴り響く。

今回の"TOMCAT SUNSET"ファイナルフライトセレモニーは、大西洋艦隊(大西洋戦闘攻撃航空団)の主催による正式なイベントである。列席の軍人さんも、オープンハウスの時のように非番で来てみたという感じではなく、まさに任務の真っ最中。楽隊の面々も、上級司令官列席のイベントで失敗のないように緊張した面もちだ。手前左側のカメラマンは女性、それも結構な美人で、どこの組織の人かわからないが明らかに趣味ではなく仕事で撮っているようだった。

式典は、1000から始まった。
それまで午前のミッションから帰ってくる機体や、飛び立って行く機体で轟音がひっきり間なしに響いていた基地の一帯が静寂に包まれた。式典に合わせてすべてのフライトが中断されたのだ。主役のF-14D、AJ103/Bu.No.164350に従うようにF/A-18E/Fが並べられた、エプロンの一番奥、ハンガー500前。参列者はざっと見たところ500人ほどか、サマーホワイトの制服を着用した海軍の軍人と私服の人間が半々といったところ。機体に向かうように「ハ」の字に、エアショーの有料席でおなじみのひな壇状スタンドがあり、私は奥の方の最上段右端に陣取った。

国歌斉唱。一同起立となる。テープか何かなんだろうと思っていたのだが、"Madeline Melnyk"という名前の女性によるアカペラだった。豊かな声量の、今まで聞いたなかで一番とも思える素晴らしい国歌で、さぞやキャリアのある歌い手さんなのだろうと思っていたのだが、後で知ったことだが彼女はなんと15歳の少女だった。
昔、FENと呼ばれていた頃のAFNを良く聞いていた身で、「星条旗よ永遠なれ」が特別に珍しいわけでもなく、しかし国歌という物に複雑な感情のある日本人としては、どのみち直立不動で聞かなければならない義務もなく、ファインダー越しにヒコーキなど眺めておったのだが・・・
不意に、視界が涙で曇った。
アメリカ本土に来たのはこれが2度目、マンハッタンを知らずビバリーヒルズを知らず、アメリカという国に飛行機や軍艦以外、これと言って思い入れがあるわけではない。ましてや人の国の国歌に泣かされるとは、どういうことだ。しかし、この青く晴れ渡った9月の、遠く日本から離れたバージニアの空の下、いっさいの楽器を排した少女の声は、あの1980年の夏休み、映画館のスクリーンで初めて見た時以来四半世紀の「トムキャットがあった日々」を鮮明に思い出させた。厚木のCVW-5への配備が1991年と、実は日本で見られるようになったのはかなり遅く、人気に反比例して実物を見られる機会は決して多くなかった。そして同世代の戦闘機の中で、まるで非道な仕打ちのように真っ先に消えて行くトムキャット、まさかその最後を見届ける歴史の証人になることになるとは・・・これは決してオーバーな表現ではなく、私はオシアナで泣いた。だが、それを周囲のアメリカ人に悟られるのも何か気まずいような気がして・・・瞼をこすったり、ファインダーをしきりに覗いたりしてごまかした。
私には、トムキャットこそがアメリカであったのだ。

開会の辞を述べる大西洋戦闘攻撃航空団司令(COMSTRIKFITWINGLANT)、John McCandlish大佐。かつて大西洋艦隊の戦闘機部隊を統括する陸上航空団は第1戦闘航空団だったが、A形―C形ホーネットの就役以来戦闘機と攻撃機の融合が進み、ついにスーパーホーネットに至って完全に同一のものとなったために、航空団組織も従来の2つの任務を持った部隊を合わせたものとなっている。演壇のテーブルの前に見えるのは同航空団のエンプレムである。

バージニアビーチ市長、Meyera Oberndorf氏によるスピーチ。NASオシアナとノーフォーク基地はちょうど日本でいう厚木と横須賀のような関係になっており、オシアナはノーフォーク市所在と誤解されがちだが、この日記で何度か触れているようにノーフォーク市街からは30km程度離れている。そして、バージニアビーチはこの一帯では有名なビーチリゾート。ちょうど葉山や江ノ島の辺りに航空基地があるようなロケーションになっており(反対にノーフォークはチェサピーク湾を入った位置的にはオシアナの奥に位置する)、付近に住んでいる比較的所得の高い層にはあまり快く思われていない。折しも、従来形ホーネットに比べ出力が増大し騒音も増したと言われているスーパーホーネットの導入に対して反対運動が起こり、これが元になり大西洋艦隊へのスーパーホーネットの導入は太平洋艦隊に比べ大幅に遅れた。一時は繁雑を極める環境影響調査に海軍も嫌気がさし、2005年には基地閉鎖が正式に決定される一歩手前まで行ったが、その後方針は転換され、存続が決定した。ただ、本質的に基地に頼らなければいけないような経済構造にはなく、リゾートとして財政基盤も整っている(と思われる)市が本音ではどう思っているのかは知らないが・・・

来賓のノースロップ・グラマン・インテグレーテッドシステムズ副社長、海兵隊OBでもあるScott Seymour氏によるスピーチ。「艦戦のグラマン、艦攻のダグラス」と言われた時代はすでに遠く、グラマンは(失礼ながら)格下と思われたノースロップに吸収合併され、一方の名門ダグラスもマクダネル社に吸収され、マクダネル・ダグラスとなった。その後、F-15の成功で一時は栄華を誇ったマクダネル・ダグラスも、冷戦の終結によりボーイング社に吸収されるというような信じられない事態となり、アメリカ空母艦上を彩った名門メーカー2社は純血の血統としては絶えてしまった。そして今、グラマン社製の恐らく最後の戦闘機が歴史から消え去ろうとしている・・・こんなことが20年ほど前に誰が予測しただろうか。すでに戦闘機は一民間企業だけで開発できる代物ではなくなっているのだ。しかし、現在空母艦上で戦闘/攻撃機兵力を独占しているホーネットは、もともとのルーツをたどればノースロップの作品で、現用形はマクダネル・ダグラスの手により実用化されたというのがなんとも皮肉な話ではある。

主催者代表として長いスピーチを述べたU.S.Fleet Forces Command司令官、John B. Nathman大将。「艦隊総軍」と訳すらしいが、近年大幅な組織の変更があった大西洋艦隊の、艦艇・航空を含めた艦隊部隊全軍を指揮する上級組織の司令官で、すなわち大西洋艦隊の最高司令官である。さすがに私も海軍大将を見たのは初めて、大変恐れ多いことだが、なかなかユーモアのセンスのある方のようで、ヒアリングが追いつかないので何を言っているのかわからないが、スピーチの途中で何度も会場を大爆笑の渦に巻き込んだ。後半は
トムキャットの功績を称え、次の言葉でスピーチを締めくくった。

「私は最後の言葉を述べる立場にないと思います。ですから皆さん、海軍のしきたりに従い、ご起立の上別れの三唱をお願いします。皆さん、様々な思いを胸にされていると思います。泣こうがわめこうがご自由にどうぞ。世界中に聞いていただきましょう。
さらば、トムキャット。
ヒップ、ヒップ、フレー! ヒップ、ヒップ、フレー! ヒップ、ヒップ、フレー!(『ふれーふれー、トムキャット』の意)
(ヒコーキ写真.comより)

会場端、AJ103とは別に離れて駐機していたAJ102(Bu.No.163904)には、すでにファイナルフライトを担当するクルーがスタンバイしていた。機体のチェックは自分たちでやるのが鉄則、まず脚や下面のアクセスパネル、可動式のインテイクなどを目視と手で点検した後・・・

機体に乗り込むエビエータ(パイロット)とNFO(Naval Flight Officer)。基地のエプロンに立派なラダー(踏み段)が置いてある空軍と違って、狭い空母のデッキ上ではそんな場所を取る贅沢なものは望むべくもないため、生粋の海軍機は必ず機体に引き出し式のラダー・ステップを備えている。空自でもF-15や、F-16がベースのF-2にはこうした装備はいっさいないのに対し、出自が海軍機のF-4には空軍形でもやはり引き込み式のラダーが装備されている。

機体の上を歩き回り、動翼なども点検。

いよいよコクピットに収まり、ハーネスをつけてGスーツへの圧縮空気配管、酸素マスクの配管を接続する。最前線での運用などまったく想定していない生粋の艦隊防空戦闘機、トムキャットには内蔵のエンジンスタータがない。必ず外部の高圧コンプレッサーを接続し、そこからの高圧空気を受けてエンジンが起動する。PTOを使ってスタータカーのエンジンが一際高いうなりを上げてからしばらく、F110-GE-400が目を覚ました。

振り返ってハンガーを見ると、建物の上にもエビエータやNFOが鈴なり。フライトスーツの下の赤いシャツが映えるが、色合いやパッチからVFA-11の一群のようである。

ここからはエンジンが始動したため、後方に下がれとの指示が出され、私も再びスタンドの上に上がる。会場に集まったすべての人々の熱い視線を受けて、エンジンランナップとプリフライトチェックが進められて行く。

機首の前に立ち指示のサインを出すグラウンドクルー。

すでに、エンジンは安定した自立回転を始めており、付属のジェネレータからの電源供給も安定してきた。ジェスチャーで外部電源切り離しを指示するエビエータ(パイロット)。

トムキャットの最大の特徴である、可変翼を最前進位置の20度にするのをはじめ、前縁スラット、後縁フラップフルダウン、スポイラーアップと各動翼のチェック。スラットなど、動翼の内側は作動時の確認が容易にできるように赤く塗られていること、スラップがシングルスロッテド方式のため隙間から向こう側が見えること、スポイラの内側の配管類、また主翼後退時には胴体の内側に潜り込む部分がこすれて色が変わっていることなどがわかる。優れた低速性能と高速性能の両立のためには空力的には理想のシステムである可変後退翼も、このように機構的には大変複雑でために多くのデメリットを持つことが容易に想像できると思う。なお、フラップの色が変わっている部分―後退時には胴体内に引き込まれる部分は当然後退角が増してくれば作動させることができない。高速時にフラップのような高揚力装置を展開させる必要はないが、主翼前進位置―すなわち低速時にはフラップはエルロンとしても機能するので(スポイラーも併用される)、最大後退角時にはロール系の操縦は水平尾翼の差動によって行われる。また、胴体の主翼が差し込まれる部分は下側が空気で展張するラバー状の材質となっており、前進時にも隙間を生じさせないよう配慮した造りとなっている。

最後は前脚オレオをいっぱいに縮ませてのニーリングチェック。空母から発艦する際は、前任のF-4までは主翼の迎え角を稼ぐために逆にオレオを目一杯に上げる姿勢をとっていたが、F-14では逆にこのように空力的には不利と思われる機首下げのポジションに変更された。また、タイヤの前方に、空母のカタパルトシャトルに引っかけて射出を行うためのランチバーも下がっているのが見える。↑の通常時の前脚の状態と見比べていただきたい。

再び主翼を最後退位置にセットし直して、グラウンドクルーが整列して見送るなか、いよいよタキシーアウト。

A型の装備するエンジン、TF30とは異なる形状で、B/D型の最大の外観上識別点であるF110-GE-400のノズルからブラストを吐き出して、しずしずとタキシーウェイを進む。通常F-14は胴体―エンジンナセル下に2本の267ガロン増槽を装備していることが多いが、この機体は取り外されてクリーン形態となっており、また主翼グローブ下にあるスパロー/サイドワインダー用パイロンも、サイドワインダー用ランチャーのLAU-7まで取り外されてしまっている(前脚付け根の直上に見える2つの黒い穴の部分)。

ここで、カメラを持っている人間は全員エプロンの前端まで走る。こちらは足場の悪いスタンド*1の上にいたため、追いつくのに一苦労だが、エアショーではないから人数はたかが知れており、遅れを取っても場所取りに苦労はすることはない。R/W05で離陸するために、タキシーウェイを南側のエンドに向かうAJ102。ほぼ真横のまるで三面図のような形態となったが、いよいよこの機体ともお別れの刻が近づいてきた・・・そして同機は、いったんエプロンから見つめる我々の視界から消えた。

待つこと4分ほど、アフターバーナーの音もひときわ高く、ついに離陸滑走に入った・・・来るぞ来るぞ来るぞ、これが最後のチャンス!キター!

「ファイナル・カウントダウン」から26年、ついに訪れたトムキャットとの別れの刻、万感の想いを込めシャッターを切る・・・が、あれ?・・・あれ????

何かが、何かが違うんですけど・・・えっ!?機体が違うっすよ〜! なんと、離陸したのは先程滑走して行ったAJ102とは違う、AJ107/Bu.No.163902だったのだ。ご覧頂いておわかりのように、尾翼のマーキングがセレモニー用のものとは違いフェリックスが爆弾を持ったVF-31のマーク、胴体(エンジンナセル)下に増槽つき、サイドワインダー用のLAU-7ランチャーも胴体下のフェニックス用ランチャーもついた完全戦闘機仕様? ど〜ゆ〜ことだ!?

ほどなくして、トムキャットは我々の視界から消えた。恐らく、かなり大回りしてもう一度05の方向でフライパスをするのだろう。全員が、その本当の最後のチャンスに備えて、待った。
しかし・・・5分、10分・・・いくら待っても、トムキャットはいっこうに姿を現さない。しかし、こんなセレモニーで飛んでいったっきりということはあるはずなかろう。制服姿のエビエータやプレスの連中もいつまでも私の横から動かない。だが、さすがにその場の雰囲気も、これはちょっとおかしいのではという空気が流れ始めた。それにしては、いっこうに「トムキャットはもう飛んで来ませんよ〜」というアナウンスが流れて来ないのだが・・・誰もが横にいる人と顔を見合わせて、「なんじゃこりゃ?」といった表情。そうこうするうちに、セレモニー中は中止されていたフライトが再開され、オシアナは再び日常の姿に戻っていた。

本当に、これで終わっちゃったの!?

*1:前に本隊のオシアナエアショーレポで書いたけど、向こうのスタンドは本当にちょっと幅のある四角い鉄柱を並べただけのもので、床板も何もなくちょっとでも足を踏み外せば大変なことになる