追悼 前田淳

レーサー前田淳さん死亡 マン島のバイクレース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060607-00000002-kyodo-soci
朝刊を見て、我が目を疑った。
99年の歴史を誇る伝統の公道レース、イギリス・マン島TTレースに出場中の前田淳氏が、29日の予選走行中に他車と衝突、骨盤を骨折し、一時は快方に向かっていたもののその後容態が急変、6月6日(現地時刻)に死去したという。
前田淳といえば、私が8耐に毎年通っていた頃、頭角を現しつつあったホンダセミワークス若手の注目株。有力サテライトチームのBVDヤマモトレーシングで、岩橋健一郎とペアを組んでRC30で出ていたのが記憶に残っている。
このBVDが結構印象として強烈だったためか、何年かこの体制で続いたような記憶があったが、調べてみたらなんと1990年1年限りで、デビューの89年はマリオ・デュハメルとのコンビでスーパーモンキーから、91年は田村圭二とのコンビで同じヤマモトだがスポンサーはスポーツシューズのKaepaに変わっていた。そうだったっけ・・・BVD、懐かしいよね。ほとんどRC30純正カラーにロゴを入れただけで、あんまりヒネリのないカラーリングだったけど、それはそれで似合っていた。深夜のグランプリ録画中継でCMもやっていたよね、BGMがSHOW-YAで・・・もう16年も昔の話。
当時、岩橋はいずれはグランプリに・・・という驚異の成長の真っ最中で、見る見るうちにHRC入りしてペアを組むライダーの格も上がっていったが、前田はワークス入りのオファーを断ってプライベーターとしての活動にこだわり続け、そして1997年よりマン島TTにチャレンジを始めたのだという。出身がスーパーモンキーだけあって、マシンはホンダ一筋。最後はCBR1000RRでの出場であった。
前田氏の場合は安全性など論外のマン島TTでの事故だが、クローズドサーキットにおいても、エスケープゾーンの拡張、シケインの設置(これは時として逆に危険を増長する存在と指摘されることもあるが)、そしてウエアやヘルメットの改良と、年を追うごとに安全性が向上しているにもかかわらず、2輪のレースというのは現在でも死者が絶えない。喜多祥介、永井康友、若井伸之、そして加藤大治郎・・・皆、逝ってしまった。そしてまた、日本人の墓名碑がひとつ、刻まれてしまった。
今はもうバイクを降りてしまったようなものだし、8耐を見に行くこともなく、彼の近年の活動も死後知っただけだが、同じ世代でもあり、当時の活躍も知っており、彼の名を忘れたことはない。ショップ経営の傍ら、全日本に未練はないとマン島TTに乗り込んで、ライフワークとして挑み続けた、そんな彼にあまりに非情な、冷徹な物理法則の壁。
Photoは探したけど、前田氏の走行を撮った物はありませんでした。もとより写真を自慢する類の内容ではないから、本日はPhotoはなしで、ご冥福をお祈りします。
すべての2輪ライダーへ、明日も無事にゴールまで、自宅までたどり着きますように。