さよなら「しらせ」搭載S-61

Blueforce2008-05-25

砕氷艦南極観測船)「しらせ」AGB5002が今年度で退役するのは斯界を賑わせている話題だが、今回、同艦に搭載されて南極でしらせと昭和基地の間の物資・人員輸送などに従事する搭載ヘリコプター、S-61も新機材に更新のため退役することになった。
同機のホームベース、海自館山航空基地では本日引退に合わせて記念式典とメモリアルフライト、そして一般開放が行われ、体験搭乗もあるというので、悪天候が予想されるなかアクアラインを通って館山まで出かけてみた。
前日までの降水確率90%の予報も、早い回復にシフトしたようで、アクアラインを通過するまではほどほどの曇天であった天気も、富津の山越えの辺りで久しぶりにバケツをひっくり返したような土砂降り(私のカーライフでは昔からよくあるんですよ、ホントにフロントガラスが割れるんじゃないかと思うくらいの土砂降り・・・)で、これはどうやってもフライトは不可能なのでは!?と諦めかけたが、すでに房総半島まで渡ってしまって今更帰るわけにもいかない。しかし、館山市内に入る頃にはなんとか雨はやみ、とりあえず傘を差して人間はずぶ濡れになりながらカメラを守る・・・という事態は避けられそうだ。

ここで、S-61について簡単におさらいしておこう。S-61というのはアメリカを代表するヘリコプターメーカー、シコルスキー社が開発した双発タービンヘリのモデル名称で*1、最大のカスタマー、米軍での制式名称は当初HSS-2、1962年のアメリカ軍用機命名法改正後はH-3と呼ばれ、対潜ヘリバージョンがSH-3として主に空母に搭載され*21990年代中期まで現役にあった。今でこそタービンエンジン装備のヘリは当たり前の存在だが(レシプロエンジン機種を探す方が難しい)、当機の開発当時は画期的な存在で、小形・ハイパワーのタービンエンジンを得て飛行性能は飛躍的に向上したのである。ミッドウェイ搭載のCVW-5にも、HS-12"Wyverns"所属のSH-3Hが1984〜93年の間搭載されており、海軍機ファンにはおなじみの存在*3。また、アメリ海兵隊唯一の採用例として、大統領専用ヘリ"マリーン・ワン"として長らく愛用されたのも当機種の要人輸送形、VH-3Dである。

海自では1964年よりSH-3をライセンス生産により実戦配備したが、制式名称はH-3とせず、軍用機命名法改正以前のHSS-2をそのまま使った。米軍にもF-117、KC-10、SR-71といった妙な経緯や多分に作為を感じさせる制式番号を持つ機種があるが、自衛隊の場合は米軍ほど種類が多くなかったり、その他導入にまつわる事情もあり、素直に米軍制式名称を採用しないケースがいくつかあるが、あまり詳しくない人にはこれが混乱の元。要するに、シコルスキー社が(米海軍の要求で対潜用途に)作ったヘリがS-61、その軍用名称がHSS-2、さらに同じ機種を1962年以降*4はH-3と呼ぶ、ということである。

もちろん、その頃にはまだ海自にはヘリ搭載艦は影も形もないので、すべてが陸上基地からの運用となる。その後、HSS-2はエンジンのパワーアップ、対潜機器の更新によりHSS-2A/HSS-2Bとバージョンアップし、このB形(米海軍の最終モデルSH-3Hに相当)が決定版となった。
1982年、初のヘリ搭載護衛艦「はつゆき」型が就役したことにより、HSS-2は艦上運用の任務が加わることになり、以降艦載形と陸上形の2バージョンが生じることになった。これはもちろん、機体の下面に装備した着艦拘束装置ベアトラップの有無で区別が生じるもの。写真でも機体の下から拘束用のバーがベアトラップに伸びているのがわかる。

上の写真、なんか後ろに見慣れない艦が写ってるけど、どこかって?別アングルだとこんな感じっす。
1988年5月、晴海に来航したカナダ国防軍海上部隊の駆逐艦、ヒューロンHMCS Huron DDH-281とホストシップ、しらゆきDD123(第41護衛隊―当時)のツーショットで、大平洋機動艦隊の同艦を含む戦闘艦5隻と補給艦1隻という大艦隊で来航し、フネ屋さんがお祭り騒ぎとなった時の姿である。カナダ国防軍もSH-3のカスタマーであり(カナダ軍での制式名称はCH-124)、この時はシーキングが3機並べて見られるといった貴重なシーンが展開された。1988年時点で、海自HSS-2Bが121航空隊のデーハー赤白ストライプをはじめ航空脅威という概念皆無のマーキングなのに対し、カナダ軍がすでにロービジのスキームとなっているの興味深い。ちなみに、写真の425(シリアル12425)はこの10年前、1978年に着水訓練中(H-3シリーズは飛行艇状の機体下面形状と水密構造により着水が可能)に横転して尾部を切断、再生したという経歴を持つそうで、435(同12435)の方も着艦の際に右脚を収納するスポンソンが折れてやはり横転orz、ローターが乱れ飛んだという事故歴があるという。すでにHSS-2は最終モデルのB形が2003年に退役して忘却の彼方に去りつつあるのに対して、CH-124は後継機種CH-148が来年から配備されるというので、まだ現役のようである(バリ現役のようです こちらのブログの鹿児島港にオタワ寄港の写真参照のこと)。

ということで、そろそろ本題に戻りましょう。海自では対潜形であるHSS-2の他に、1965年より南極観測の支援用としてS-61A/A-1を導入した。あえて軍用名称でなく商用モデル名称で呼び区別したのは、純粋に非軍事分野の業務専用の機体であり、米軍に相当するプレフィックスを持つタイプがなかったこともあるためと思われるが、他の国にも軍用形にもかかわらず民用バージョンの名称がそのまま通っているケースが結構あり、ヘリの分野はこれがややこしいと敬遠されることが多い。海自ではこの他にも救難バージョンを13機導入したが、こちらもS-61の名称で通している(S-61AH)。
実は私、館山は初めて訪れたのだが、ヘリ基地ゆえ敷地面積も小さくこぢんまりした雰囲気に加え、お客の少なさにもちょっとびっくり。今回のイベントはレギュラーの基地公開と違い、お祭り大好きな群司令の方が特別に一般入場可のイベントとして開催されたもののようだが、まあ天気予報の悪さもあったのだろうが数えられるような人数である。雨がやんでしまってから言える結果論だが、一度しかないさよならイベントなのにもったいない・・・

南極観測用の機体は8180番代のシリアルを与えられ、計5機が新造で用意された。8181〜8183の3機(S-61A)はHSS-2規格、エンジンをパワーアップした8184・8185(S-61A-1)はHSS-2A規格の機体である。8181・8182は比較的早くに引退し、8181は現在名古屋港ガーデン埠頭で保存展示されている先代の砕氷艦「ふじ」の後部ヘリ甲板に設置され、一緒に展示されている。この写真は2005年の撮影で、機体は薄いグレーとなっているが、その後の整備により黒く再塗装されたようである。

生粋のS-61Aは、上記で述べたように8181〜8185の5機となる。では写真の8187号機は? 南極観測用ヘリは砕氷艦と同サイクルでの更新を予定していたが、そうは世の中うまく行くものでもなく、先に8183・8184号機の耐用年数が来てしまうために、すでにSH-60に更新が始まり余剰が出ていたHSS-2Bの飛行時間が比較的短い機体をベースに、対潜機材を降ろしS-61仕様とした機体を2機改造した。これが最後まで残り今回ラストフライトを行う8186・8187号機で、旧シリアルはそれぞれ8156、8159である。
若干もたついたために、朝早くに行われた退役記念式典には間に合わず、雨が降っていたためにハンガー内で行われた式典に展示された8187も、フライトに臨むため外に引き出された。

いよいよフライト。グラウンドクルーの指示でメインローターを展張、噛み合わせを確実にするために軽く回転させるオリジナルS-61A-1の8185。同機は近年予備機として南極への航海には参加せず、2002年以降は86・87がもっぱら使用されていたとのこと。

メモリアルフライトを空撮するために、マスコミのカメラマンやテレビクルーを乗せたカメラプレーンのSH-60K(8411)が飛び立つ。

それでも、フライトが始まる頃には観客も増えてきて、格納庫前のエプロンには人垣ができてきた。1238、いよいよ3機が離陸。

固定翼機と違って、なにせ目の前のエプロンから垂直に上がることもできるヘリ、しかも近接したホバリングは大迫力だ。

3機でのフォーメーションを組み、駐機するUH-60J(8979)を後目に館山湾上空での撮影に臨むS-61。この頃になると天候もすっかり回復し、晴れないながらも雲も若干ムラが出てきた。

S-61シリーズは前脚がスポンソンへの引き込み式となっており、出しっぱなしのH-60(S-70)シリーズとは異なる。だからといって、H-60系列より速いわけではないのだが・・・また、対潜形から改造された86号機には機体後部(写真で「上」と「自」の文字の下)にESMアンテナ?の出っ張りがあるが、85号機にはないのに注目されたい。

3機編隊は館山湾上空を2周し、撮影を行いながらエプロンで見守るギャラリーにもその姿をアピールした。

目の前をパスする85号機。救難・輸送任務に従事する機体は戦闘任務に就く機体とは逆に視認性が高くなければならないため、いわゆるディグロウと呼ばれる警戒蛍光オレンジを機体に塗っているが、南極観測用のS-61は機体のベースを一面の銀世界で一目でわかるように黒で塗り、これにより部内外で「カラス」とのニックネームで呼ばれ親しまれた。機首に取り付けられた、機体下面のホイストに吊り下げた物資を確認するためのバックミラーもS-61特有の装備。

メモリアルフライトを終えて戻ってきた3機。

機体左側、出入り扉の隣にあるのはペンギンと氷山を描いた南極観測用S-61のマスコットマーク。南極観測用S-61は航海中はしらせ飛行科(横須賀地方隊が母部隊)の所属だが、ホームベースでは館山の第21航空群21飛行隊*5に所属し、同隊が管理・訓練・整備を担当する。

次々と降りてくるS-61。おおよそ17分ほどのフライトだったが、これが3機が揃って飛ぶのを見られるラストチャンスとなった。厳密にはオーラスは翌26日に催される部内向けのラストフライトとなっており、すでに86・87の2機は耐空時間が限界いっぱい、26日のフライトで切れる計算になっているそうである。85号機はもうちょっと余裕があるようで、実際除籍は86・87号機が今月中なのに対して、85号機が8月となっていて、同機が最後まで残るHSS-2/S-61シリーズということになる。

ラストで降りてきた87号機。

エプロンに向いて着地する寸前の87号機の後ろに、カメラプレーンのロクマルK、8411の姿が重なる。まさに新旧シコルスキー社製ヘリの競演。近年、大統領専用ヘリのEH-101採用をはじめ、軍用・民生用ともにユーロコプターアグスタウエストランド勢に押されているシコルスキーだが、やっぱり重量感があって適度に無骨なシーキング/シーホークシリーズはいいね・・・

85号機は降りてから早速アクセスパネルを開けてエンジンの整備が開始された。同機のエンジンはGE製のT58-GE-10をIHIライセンス生産したCT58-IHI-10M1で、出力は1,400HP。もちろん、これもジェット/ガスタービンエンジンの仲間である。ヘリ用のタービンエンジンとして、非常に小型なのが見て取れると思う。左側―機首側についている銀色のものは、エンジン吸気口に異物―この場合は氷―が入らないように塞ぐ可変式のアイスデフレクタ。低空を飛行するヘリは吸気に異物が混入する危険が多いために、大口を開けて飛ぶタービンエンジンヘリの場合はデフレクタを装備する例が多く、上で紹介したHS-12のSH-3Hは完全に前面を塞ぐ板を装備(ここ、大体部隊エンブレムを描くスペースになってるんだよね〜)しているが、逆に「しらゆき」艦上で撮影したHSS-2Bは何も装備がなくエアインテイクが丸出しになっている。もちろんデフレクタを装備すれば吸気口を塞ぐことになるので若干の出力低下は免れず、SH-3でもデフレクタを外していたり、HSS-2でも逆に装着していたり、その時々で状態が違っている。

さて、ここで昼飯・・・基地内の隊員食堂でお約束の海軍カレーを頂く。告知が行き届かなかったのか食堂内は閑散としており(てゆ〜か皆その後のヘリ体験搭乗の抽選でそれどころじゃない!?)300円でおかわりし放題!という破格のサービスだったが、それを知らなかったのとこちらも後のスケジュールが迫っていたので、1杯しか食べられなかった・・・無念〜!

さて、午後の部開始です。
今回はS-61による体験搭乗に混ぜて頂く機会を得、館山湾上空の散歩を楽しんできた。まずブリーフィングルームでOHPによる簡単な任務や機体について、飛行ルートや着用する装備の説明を受ける。その後別室に移動、ヘッドギアとイヤーパッド(これで大声を上げないと会話できなくなる)、ライフベストを着用、さらにおなじみのドッグタッグ(といってももちろん個人名が入っているわけではないので、万が一事故が起こって黒こげにでもなっても個人の識別は不可能だが)を首にかける。エプロンに出れば、我々を乗せて飛んでくれる87号機が前の組の体験搭乗組を降ろすところ。

無断でモデルになって頂いた方、すいません・・・支給されたヘッドギアには「作業用特殊ヘルメット」「予備(ヘリ) しらせ」の文字が。

私がヘリに乗るのはこれが初めてではない。もう18年ほど前、バブル絶頂期にバイト先のパーティの景品が当たって、男2人で東京へリポートからデートコースの遊覧飛行を楽しんだ記憶がある。当時ログブックをつける習慣が一応あったにもかかわらず、今となってはレジスターはおろか機種も―多分エキュルイユだったのだろうが―良く覚えていない。というわけで生涯2度目のヘリ体験になるのだが・・・先日ロマノ先生が・・・などと言ったそばからこの状況。頭の上ではローターがグワングワン回っている。「物を落とした際は私たちが取りに行きますから、絶対に勝手に動かないで下さい」そんなこと、言われなくてもわかってます!でも、イケナイことだと意識すればするほど、テイルローターに視線が行ってしまう・・・今たとえば、あの下に分遣隊長がいたら・・・なんか恐怖と非日常の昂奮のなかでだんだん狂気が芽生えつつあるなか(?)、なんとか無事に機内に収納。でも、だだっぴろい陸上基地のエプロンでこの緊張感だから、水上艦のヘリ甲板なんかでの恐ろしさは比べ物にならんだろうなあ・・・ま、それを言ったら超音速ジェット機がものすごい勢いで飛び交う空母のフライトデッキの方がもっとすごいか。

輸送ヘリだけあって、S-61の機内は広々としている。ヘリの体験搭乗は館山など回転翼基地の航空祭ではおなじみのイベントだが、SH-60だと何人も乗れないのに対してS-61なら16人位余裕で行ける。「マリーン・ワン」VH-3Dはすでに後継機種のVH-60が配備されて久しいが、歴代大統領は今でもVH-3の方を好むという。それは、VH-60では機内では立つこともできず中腰の姿勢を強いられるのに対し、背筋を伸ばしてもまだ頭上に余裕があるVH-3のキャビンの方がずっと居住性が良いからだ。前述のように、当87号機は以前は対潜形であったため、もちろん機内はもともとはドンガラではなく機材が設置されていたのであろうが、現状ではコクピットの後ろから尾部まで何もない。ジャンプシートに座って旅客機と同じバックルの2点式ベルトを締めると・・・

意外に音や振動が大きくなったりするわけでもなく、フワリと浮いた。回転翼基地の館山にも、300mと短いながら滑走路はある。向きは09/27とちょうど真東西、「Gメン'75」のオープニングシーンはここで撮影されたのだそうである。

機首コクピットを見るとこんな感じ。戦闘任務に就く機種ではないので、撮影に制限はない。高度は1,000ft前後、もちろんこの程度では気圧に変化はないので窓は開けっ放し。

館山湾を右に見て、洋上に出る。まさに空と海がひとつに融けゆく瞬間(^^;) 右下に見えるのは基地からぽっこりと飛び出した沖ノ島、湾をはさんで向こうに見えるのは富浦の大房岬である。その左奥は浦賀水道に続いている。

館山湾上空を飛ぶ。現在高度1,000ft、速度100ktジャスト。現在館山の第21航空群には30数名のパイロットがいるが、S-61の操縦資格を持つ人はそのうち9名とのことである。グラスエリアが大きく、H-60系のようにエアコンを持たないS-61は夏場がきつい。南極で使うヘリなのに後付けで市販の扇風機がついているのがなんとも皮肉・・・S-61はスロットルが中央部窓上方に設置されている。H-60系だとローターのピッチに応じてエンジン出力が自動調整されるので大きな出力変更以外はスロットルを操作する必要がないのに対し、旧式のS-61ではこれがすべて手動となるため、絶えず細かい操作が要求される。上で紹介した写真のほとんどで、パイロットが手を上げているのが確認できるが、あれは別に観客に手を振っているわけではなく、スロットルを操作しているのである。

あえて浮遊感を出すために水平を出さないトリミングにしてみましたが、進行左側はすでに大平洋、沖には大島の姿が大きく見える(広角で撮ると小さく写ってしまうが)。素晴らしい!

これが今回のベストショットでしょうか・・・方位150度、高度700ft、速度は70ktまで落ちてきている。館山湾に浮かぶ船舶、館山市街を一望に見渡す絶景。インパネで、機長席の左下部分が大きくブランクになっているのが目立つが、これが85号機だとこの部分に落下タンクの切り離しスイッチがある。(オリジナル)S-61だと増槽がつくんだっけ?

左下方に見えるのは船形漁港、ここから海岸線は基地の手前までおよそ4kmにもおよぶ長い砂浜になる。

10分ほどのフライトはあっという間に終わり、再びシートベルトを装着して着陸に備える。基地の東側にある造船所を下に見て、ゆっくりとエプロンに着陸。
こうして、今回のさよならS-61イベントのレポは幕を閉じるわけであるが、展示機紹介など小ネタもありますので、一応パート2に続くということにして、一旦締めます。

*1:アメリカ5軍をはじめ陸海空3自衛隊でも採用されている現代を代表する軍用ヘリ、H-60シリーズのシコルスキー社モデル名称はS-70となる オーストラリア海軍など商用モデル名称で呼ぶ軍もあるのはS-61と同様

*2:ヘリ搭載駆逐艦フリゲイトにはひと回り小形のカマンSH-2シースプライト―LAMPS MkIが搭載された 従って海自の護衛艦にHSS-2を搭載する組み合わせは本家米海軍よりも贅沢な組み合わせであったとも言える

*3:1983年以前はHC-1―第1ヘリコプター混成飛行隊第2分遣隊のSH-3G

*4:最大生産機数を誇る軍用ヘリを代表するベストセラーモデル、ベル・テキストロンUH-1イロコイはアメリカ軍用機命名法改正以前はHU-1であった 同機の非公式のニックネーム"ヒューイ"はこのHU-1をもじったものであり、従って同機をベースに攻撃ヘリとして製造したAH-1コブラは、プレフィックスが多目的を表すUから攻撃を表すAに変更されているので、厳密にいえば"ヒューイコブラ"というのは誤りになるわけ

*5:2008年3月26日の組織改編以前は第21航空群第101航空隊