「アリラン2005」華々しく開幕!

Grand Gymnastic game”Arirang 2002”

朝鮮労働党創建60周年と祖国光復60周年を記念した大マスゲームアリラン2005」がいよいよ開幕した。
本隊の方でリンクさせて頂いているサイトの管理人同志をはじめ、おなじみのメンバーは早速みんな出かけたようである。ニュースで見たところ、15日の初日には将軍様もその麗しいお姿を見せてくれたとのことで、日本人でもその光栄に浴した方がいるようである。もっともそのために、初日に限って会場内にはカメラ・ビデオの類は一切持ち込み禁止となってしまったようだが、肉眼で将軍様を見るという体験はそれを補って余りあるはず。余談だが、この時の映像で、「会場にはカメラ・ビデオは持ち込み禁止です〜!」と叫んでいたのは多分私もお世話になった旅行会社の方ではないかな?
内容は私が観た2002年版をスケールアップとのことで、構成などは基本的に同じようだ。テレビでは同じ大道具や似た絵柄が散見されたので、改めて観るでもないかな・・・などというのはとんでもない大間違い!
3年経った今でも、はっきりと覚えている、そのスケールの大きさ、衣装や絵文字の美しさ、統率の取れた動きのシャープさ・・・あまりの素晴らしさに、ツアーの同行客には内緒で2日連続して2回観てしまったほど魅せられた、あのマスゲーム。観られるものならぜひもう一度・・・
至高を追求するあまり、芸術はどこまで(一般的な)モラルを逸脱することができるのだろうか。レクター博士ではないけれど、殺人だってその手口を極めれば立派なアートではないのか。共和国が好きな(私らのように歪んだ愛情ではなく、あくまでも真っ直ぐに)人達がまた大好きな人権などという言葉の対局に位置する、人を人とも思わぬことで成立するマスゲームはまさに禁断の芸術と呼ぶにふさわしい。それでいて、レクター博士の人殺しや児童ポルノほどインモラルでなく、遠くで観ている分にはその裏で流される汗や涙、血を目の当たりにせずに済むから、堅気の人間でもとっつきやすい。
禁断の果実を食って堕ちるのか、モラルの壁を越えて芸術と真摯に向き合うのか、人によってベクトルは180度異なるが、「人」が「部品」になれば、かくも美しい世界が現出するという事実はどんなに嫌でも認めざるを得ないだろう。2002年のアリランは日韓ワールドカップの向こうを張って開催されたイベントであったが、ちょうど同じ時、ワールドカップの開会式で見たマスゲームの真似事のようなものは、アリランに比べればまさに児戯に等しいものだった。幸か不幸か、個性や人権がそれなりに認められている社会に生きる我々は、この芸術を自らの手にすることができない。それで10万もの小さな部品が創り出す、壮大なアート見たさに高い金払って共和国まで出かけていくわけである。
こちら側に居たって、あくせく働いて大して年金ももらえない小さな部品には変わりないのにね。
というわけで、私も本当はアリラン2005行きたいのだが、おおよそ暦通りの休みしかもらえない職場で、ただでさえ9月にイレギュラーな休みを取っているので、行けるはずもなく・・・もちろんオシアナに行かなければまだ可能性もあったあろうが、あまり趣味も多くない私にしては、トムキャットと激突とはあまりに相手が悪かった。いくらアリラン見たいといっても・・・もっとも、相変わらずオシアナはVF-101が〜とブツブツ言っているわけだが。じゃあアリランの方が良かった!?
Photoは2002年の「アリラン」第3幕「二心無き忠誠」のワンシーン。この時の様子が見たい方は本隊のこちらへ。↓
http://homepage.mac.com/izunton/BlueforceFiles/dprk4.html