大いなる助走→シカゴまで

TOMCAT BLVD in NAS Oceana

ヨーロッパと違って、アメリカ路線は朝が楽だ。4時5時に起きる必要もなく、いつもよりちょっと遅い起床で、ゆっくり朝飯を食って0900過ぎ自宅を出る。
成田に行くにはJRよりも京成を選ぶ。ずっと忙しかったので床屋に行く暇がなく、途中でどこかに店はないかと探したら、上野御徒町の駅の階段を上がった所にあった。伸びきってボサボサだったので、思い切って短くしてくれと頼む。といっても、制限時間10分のQ●ハウスのこと、いつもはあまり劇的に短くはしてくれないのだが、安心し切っていたらほとんどGIカットにされてしまったorz ま、いいか。これから軍事基地の、軍隊の懐のど真ん中に飛び込むのだから・・・
床屋に寄ることを計算に入れていたのに、予想より早く駅に着いてしまい、1本早い特急に乗ることができた。スカイライナーでゆったりと行くのも海外旅行の前哨戦としてはオツなものなのだが、バカみたいに金を使うのにここで贅沢するでもなかろうと、約900円を節約しロングシートに座る。どうせ時間は10分ほどしか違わない。
成田ではYシャツを買わなければならない。昨年のオシアナエアショーはハリケーンの通過直後だったこともあるが、異常に蒸し暑かったので、半袖をと探したのだが、道中のコンビニでもすでに半袖は扱っていなかった。何でもあると期待した成田のショップ街では、服を扱うのはユニクロしかなく、半袖はもう色やサイズが選べず、結局長袖を買う羽目に。暑がりで普段はスーツを着ない私としては、ちょっと心配なところ。
本日の飛行機は1420発のシカゴ行きUA884便。昨年と全く同じ行程となる。その昨年、チケットを持たず自分で端末を操作して搭乗券をプリントするEチェックインに驚いたのだが、たった1年で今年はまたスタイルが変わっており、カウンターの前にあるモニタの読み取り機にパスポートの写真をかざして旅券番号?で個人識別するのもすごいが、その後アメリカでの滞在先を打ち込む画面が出て、慌てて行程表のプリントを取り出すなど慣れない手順にバタバタ。これじゃあ年寄りはとても手に負えないだろうな・・・
しかし一度発券してしまえばその後は順調で、航空券現物の紛失を心配する必要もなく、非常に便利だ。バックパックを預けて身軽になったら、出国審査を受けて搭乗口に進む。買い物で結構時間を浪費したにもかかわらず、ここでもかなり順調に順調に進んだせいでそれなりに時間ができてしまった。この先道中は11時間半と長い。本でも入手しないと・・・と思えど、こういう時の出国ロビーって、本当に欲しいものを売っている店が手近にない。平面図を見たところ、なんと本屋は反対側の端。歩けば軽く5分はかかる距離だ。これで乗り遅れたらシャレにならんなあ・・・
しかも、昨年寄った別の店とはまた違うその本屋は、あまり品揃えもなく、司●●太郎とか唯●恵とか阿●●隆とか読む気がしないので、こりゃ困ったぞ、しかしあまり迷っている時間もない・・・ふと文庫のサイドから、覗いてはいけないフ●●ス書院文庫じゃなかったハードカバーの方に足を運んだら、イケナイものを見てしまった。

下山事件

下山事件

うひゃ〜、ここで下山、三鷹、松川と帝銀は避けたい・・・しかもハードカバー。少しでも軽量化を図りたいのに、こんな重くてかさばる本を、しかもこれはホテルで夜電気を消して寝られないパターン(笑)やめようやめようと思いつつ、結局この線でお買い上げ(再笑) カートに箱乗りして(再再笑)急いで搭乗口へ帰る。
本日の機体は旧塗装のB777-200ER、レジスターはN797UA。最近、めっきり747を見たり乗ったりする機会が少なくなったような気がする。最後にジャンボ乗ったのはいつだったろうか・・・席は旅行会社が配慮してくれて、全行程で窓側を取ってある。やはり「かぶりつきスト」の私としては、窓際に座らないと気が済まないのだ。
1425離陸。さて、11時間半の長丁場、九十九里でフィート・ウエットすればしばらく陸地ともおさらばだ。ウエルカムドリンクは当然ビールを注文。以降も飲み物が飲めるとなればサーチャージの分を少しでも取り返すべくせっせとビールを頼む俺がいる(一応笑)。そしておもむろに本を開いたのだが・・・
乗り物には強い自信があるのだが、フネヒコーキ系には昔から弱い。どちらも外から写真を撮るのは大好きなのだが、乗るのはあまり気が進まないのだ。以前、ヨーロッパからの帰りに通路上のモニタでアン●レイ●ブルを見ていて、3分の2位まで来て吐きそうになったことがあった。以来、筋は気になれど見る機会がなく、ラストの結末を知ったのはつい最近のことである。だから、本当はあまり本は読みたくないのだが、導入部からグイグイ引き込まれてしまう。私にしてはかなりのハイペースで読み進めていたところで、1回目の食事。ビールをグビグビ飲みながら腹が減っていたこともあり、ガツガツと平らげて、ほどなく外は夕暮れが訪れる。窓のスクリーンを閉めて、睡魔に勝てずしばらく眠ることにする。
・・・7時間も寝たろうか。背中とケツが猛烈に痛い。なんとか半分過ぎればこの勝負勝ったも同然、と腕時計を見て愕然!3時間しか経っていないのだ。こりゃ目論見が狂った、眠気も覚めてしまって、また本を開く。と、再びわき目もふらず読み進むが、頁を繰るごとに段々と背筋が寒くなってくる・・・
昔から、謀略戦、黒い霧系が好きで、共和国が好きなのもその延長線上にあるのだが、特に終戦直後、1949年の鉄道三大事件と帝銀事件には関心が強く、そんなに文献を網羅しているわけではないが、折に触れて読むようにしている。そうか、これが1年ほど前だったかな?に出た、下山事件実行犯の孫という筆者が書いて話題になった作品と対をなす著作なんだ(実はこの本もすでに2年半前の作品だが)。
それは、私のもう一つの大好物、トンネルと同じ、両手で目を覆いながらも指の隙間から見入ってしまうという、あの恐怖と快感。まるで麻薬だ。特に、「謀殺 下山事件」などの古典には紹介された事例なのだろうが、松本善明*1のお手伝いさんが拉致されて、直後に謎の変死を遂げている事実や、我が家の田舎である外房の漁港町に下山氏殺害を実行したと言われる謎の会社の缶詰工場があり、一説には下山氏はその町で殺されたのではないか、など、1万メートルの上空で妙に背中がス〜ス〜する事例が続出。
実は、以前にも書いたことがあるのだが、私は謀略戦には近いところにいつもいるのだ。いや、謀略戦が私に近いのか・・・だから、この外房の小さな町のことについては、またしても、と因縁を感じずにはいられない。そして、2006年になって、トムキャットのお別れセレモニーに行く途上、太平洋のど真ん中の空の上で下山事件について考えている自分に、妙な気持ちになってきた。1949年、暑い夏の不思議で不気味な3つの事件とトムキャット。どちらも冷戦の生み出した産物ながら、片や初期のどす黒いミステリーで、片や幕引きの原動力となった輝かしい、そして今その生を終えようとしている存在。お互いは時間も空間もまったく共有したことはないが、時空を超えて冷戦という文脈の中の辞書に生き続ける。それにしても・・・冷戦が始まらなければ下山総裁が生贄にされることもなかったろう、冷戦が終わらなければトムキャットがこんなに早く退役させられることもなかったろう・・・
光と闇はどちらが欠けても存在し得ない。「冷戦華やかなりし頃」という常套句があり、私も使うことがあるが、華やかないくさが本当にあるのかどうか知らないが、冷戦を飾り立てたひときわ明るい輝きがトムキャットなら、その輝きで三大事件+帝銀や2つの大韓航空機事件、フランシス・パワーズのU-2撃墜事件などは、ますます「黒い闇を煌々と放つ」ことができるのだろうか、などと、妙なこじつけ臭い、安いエッセイの文章のようなことが頭を巡る。いかん、高空でビールが回りすぎだ。
ページの残りが予想以上に少なくなってきた。私のペースでは、帰りも持たせるつもりだったのだが、これでは帰りに読むものがなくなってしまう、と危惧しつつも、ページをめくる手は止まらない。ついに飛行機はシアトル上空でアメリカ大陸に入った。昨年はこの辺ですでに夜明けを迎え明るくなりつつあったのだが、今年は若干時間が早いのと予定よりも早い到着が予想されるためペースが早いようだ。未だ真っ暗では下界はまったく見えない。本来ならジョン C.ステニスの母港であるブレマートンエイブラハム・リンカーンの母港であるエヴァレット、またオハイオ級戦略原潜の母港であるバンゴールなどが上空から伺えそうなものなのだが・・・(もっとも土地勘がないので昨年も確認はできなかったが) 帰りは気流の関係でさらに2時間弱長く、13時間強のフライトとなる。どうやって手持ち無沙汰を紛らわそうか。ふと渡辺淳一の「阿寒に果つ」がもう一度読みたくなってきた。身も凍る恐怖を覚える実在のミステリーを堪能した後は、切ないエロスに身を浸したい。持ってくれば良かった・・・

ここからはいよいよチキンレースの様相を呈してきて、ドリンクが来てもスナックが来ても読書の手と目を休ませることはせず、どうしても手が離せないときはちょっとポケットにねじ込んではすぐに取り出しての繰り返し。窓を開ければ、行く先の空がほんのり明るくなってきた。20日の夜が再び明ける。トムキャットとの別離まで、あと2日。

*1:後に共産党衆議院議員 言うまでもなくいわさきちひろ女史の夫