追悼 坂井泉水女史
まあ、初めてのプレッシャーと闘った翌日、週明けでボ〜ッと仕事しとったわけですが。
ニュースサイトのヘッドラインに驚き続ける一日だった。私が洋上で悪戦苦闘しているまさにその瞬間、坂井さんは逝ってしまったのだ。
別にファンでも何でもないが、かつて2輪レースジャーナリストを目指して(?)鈴鹿に足繁く通っていた時に、偶然目にしてそのあまりの美しさにオッタマゲて以来、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれないが、本隊でこのようなコーナーを開いていることもあり(分遣隊でも一度やったことがる)、何とはなしに意識している一人ではあったのだ。もちろん、闘病生活を送っていたなどということは知る由もないので、第一報をはじめ続々更新されるニュースにはただただ驚くばかり。
当然、画像検索で引っかかる上記コーナーにも相当数のアクセスがあると思われ(現在本隊は1年以上完全放置プレイで、以前からアク解も入れていないので正確なアクセス状況は不明)、今回の件でリンクを貼っているブログも結構あるようだ。中にはアドレスの頭のh抜きで「こちらからのリンクをばらしたくありません」などとわざわざ明記する日記もあり、そりゃ本隊は昔から共和国、観艦式、最近では黒部があちこちでリンクされる知る人ぞ知るサイトとはいえ、コンテンツがコンテンツだけに関わり合いたくないのだろうが、そんなに怖い人だとか気持ち悪い人のように言われるのも心外ですがね・・・ああ、実物に会うと本当に怖い人ですか気持ち悪い人ですかそうですかwwwww まあ、実際私とお付き合いのある人でも一部しか知らない、ある方面の交際もあるしねえ、警戒するのもあながち間違ってないかも知れんねえヒヒヒヒ!
脱線したが、メディアへの露出が少ない謎めいた美女ということもあり、上記コーナーもそれなりに注目を集めていたようで以前からいくつかリンクを見かけたことがある。実は、この手のPhotoは、一目に触れるのが商売のキャンギャルだし、上記コーナーにも書いたようにあまたのレースクイーンのなかで普段は撮らない私が思わず撮ってしまったという位(?)ひときわの美しさだったのだから、もっとネット上に流布していてもいいと思うのだが、意外に見つからない、というか私のが限りなく唯一のものなのだ。リンクが貼られるのもむべなるかな。
この時に撮ったカットでは、他にもネットに上げていない貴重なものもあるのだが、その過去のことは本人は隠したがっていたのだから、死者にむち打つような行為をするべきではないという同居人の進言により、あえてアップはしないでおく。私は別に彼女は決してその過去を封印したがっていたわけではないと思っているし、また、若き日の美しい姿を公の下にするのは決して侮辱ではないとも思うのだが、あえてアクセス狙いの無粋なPhotoを上げるでもあるまい。そんなことしなくても最近アクセス増える一方だしw しかし、当時の坂井さんは強者揃いのレースクイーンが居並ぶ中でも、誰もが振り返るほどの一際の美しさであったということは、私が後世に伝える義務があるだろう。
というわけで、Photoは問題の鈴鹿200kmの2カ月半前、1990年3月25日、日本GPでのカップヌードルレーシングチーム・ゼッケン47番のNSR250を駆り鈴鹿のヘアピンを行く青木宣篤。本来ブレブレのとてもお見せできるコマではないのだが、走行中のカップヌードルのマシンはこれ1枚しかありませんでした。今、宣篤のサイトにも坂井さんのことが書いてある。10代後半で、まさにGPレーサーとしてのキャリアを歩き始めた時にサポートについてくれた坂井さんの訃報を、彼も万感の思いで噛みしめたのだろう。当分遣隊では折に触れ縁あった人の追悼文を書いているが(単語での分類上最初に1件余計なのが入っているが)、彼女も単なる芸能人としてではなく、前田淳氏と同じく、あの時代に鈴鹿に集った、僭越ながら「同志」として、ここに送る一文を寄せたい。
安らかにお眠り下さい。良い旅を。
しかし、最後に不謹慎なことを一言だけ言わせてください。ちょっと気になるのは、上記の本隊コーナー上から順番に故人になって行くんだよね、しかも2人とも一世を風靡した絶世の美女、年齢もほぼ同じ、30代後半から40初めで謎の多い不慮の事故で夭折、伝説となる・・・ダイアナ妃は没後に作ったページだからいいとして、坂井さんは本当に偶然なのかな・・・これは呪われたページ!? レッ、レーデメルちゃん大丈夫だろうか!?