リバイバル交通博物館

Blueforce2008-06-14

何の脈絡もない内容で恐縮だが、昔の写真データを見ていたら、ちょっと懐かしいものを見つけ、以前書いた内容を補足するつもりで、2006年5月に閉館した神田の交通博物館の展示品などを紹介してみたいと思う。

大宮には結局まだ行っていない私が、鉄道の博物館と言って思い浮かべるのはまだまだ神田。最初に訪れたのは・・・3.4歳位だったろうか、ひょっとしたら都電で行ったのかもしれない。結局私は模型鉄(特にHO)には進まなかったが、それでもこの大レイアウトは私の原点とも言える存在だわね〜

前に何度か書いたことがあるような気もするが、実は私の出た中学校は、155系による修学旅行列車「ひので」が運転を開始した時の、利用第1号だったそうである。もちろん、私自身はそんなものを体験した年齢のわけはなくw、味気なく新幹線で京都・奈良を回ったわけだが・・・といっても、乗車した車両は0系。今となってはそれも忘却の彼方である・・・充分ジジイか!?

この時は、ちょうど企画展で普段は非公開の収蔵模型蔵出し展示をやっており、鉄道の模型に並んでこんなものも展示されていた。当時どこかのブログで同じような写真を上げていたのを見たような気もするが、2年前の当時よりさらに事態が進行したのは、ついに鶴丸が絶滅してしまったこと。機体も大笑いならマーキングも、平成生まれの若者が見たら我々にとってのバタヤンの「オィーッス」とかSKDのラインダンスみたいなもんだ。未来が一度思いっきりレトロになって、一巡して再び新しいよ!wwww しかしこの模型、製作したの天賞堂なんだね、今どこに収蔵されてるんだろう。
もし、第四次中東戦争なんていう運命のいたずらがなかったら、我々は皆超音速で空の旅を楽しんで、オシアナに行くのに12時間も飛行機乗る必要はなかったのだろうか。人類にも、そういう選択肢があったかもしれないね・・・たとえ、あっという間に使い果たす運命にあったとしても・・・

こんな写真を撮ったことすら忘れていたが、初代(もう先代?)「しらせ」AGB5002の模型もあった。一応、この模型もNKK製作となっているが・・・
ディーゼル電気推進の、3軸という特異なスクリュー配置がよくわかる模型だが、それよりびっくりなのが、後部ヘリ甲板に置かれている緑色の物体!? こういう計画もあったんだっけ?

4階にあったのが、懐かしいサシ151(181?まあ「こだま」って入ってるから151系なんだろう でも、どっちにしても今の子供にしてみれば江戸時代と変わらん話だよなあ・・・)をモデルにした食堂。今思えば明らかに横幅がおかしいwのだが、リアルで在来線特急電車の食堂車を体験したことのない私は・・・だいたい子供なんだからそんなことはどうでもいいのだが、いつもおばあちゃんに連れられてここで食事をするのを楽しみにしていた。ほぼ人生最古の記憶か、ここでまるで現代中国のレストランのように、鬼のような形相をしたウエイトレスのお姉さん?が料理をテーブルに叩きつけるように置いたのを見て、おばあちゃんと顔を見合わせてクスクス笑ったのを覚えている。4歳位かなあ。

昭和も遠くなりにけり・・・こんな造作の電車も、別に珍しくもなんともなくそこらじゅうでいつでも乗れるもんだと思っていたら、あっという間になくなってしまった。

多くの鉄道車両や情景とともに、この博物館の光景も、永遠に失われた。2年経って、改めて写真を見て想うのは、諸行無常・・・数十年前に、幼き日の私とここを歩いた、優しいおばあちゃんも、今は墓石に刻まれた名前と、アルバムの写真の他には、家族と数人の知人の心に残るのみ、ここを行き交った人々の足跡も、いつしか1人、また1人と消えていくのである。