秋の巾着田曼珠沙華祭り

Autumn flower”Manju-syaka”

恒例彼岸の墓参で秩父へ。
思えば昨年この日正午、墓の掃除をしていた時から、ひと月間シトシトシトシト・・・と降り続く雨が降り始めたのであった。地獄の百里、来航艦船撮影ことごとくの失敗・・・あれから1年経ったのかと、感慨を新たにした。1年前のこの日の日記を読めば、まだ私を待ち受けている運命を知らない、「天気悪し」との脳天気なサブタイトルである。
もちろん、生まれてこの方これほど長く継続して日記をつけたことはない。日記を付けるということは、斯くのごとく、過去の自分を客観的に笑うことができることよ・・・と、寒々しい笑いを浮かべる私がいた。
んなわけで、今年も正午現地着で墓の掃除をしていたら、それまで曇りながらまずまずの天気だったのに、ポツポツと降り出し、あっという間に大雨。ここまで全く1年前と同じ展開とは・・・また「もう笑うしかない'05」か〜!?とがっくり来たのだが、2度ほど大きな波が来た後は止んで、無事に掃除を終えて線香を上げてきた。
この時期は人気のない桜の名所、羊山公園で弁当を食った後、帰りはいつもは雁坂を抜けて中央道経由で帰るのだが、今回は親が巾着田に行きたいというので、来たR299を戻るという異例の行程に。4000系と抜きつ抜かれつして、1時間足らずで高麗の巾着田に着いた。
西武秩父線高麗駅より至近の巾着田は、約1200年前に朝鮮半島より渡来した高句麗人が定住し、巾着のようにΩ形に蛇行した現在の高麗川を堰き止めて水田としたのを由来としている。現在でも川の畔の一角には渡来人の本家である高句麗人の本家があり、立派な朝鮮様式の建物は遠くからでも目立つ。「高麗(こま)」という地名も、もちろんこの高句麗人集落にちなんだものである。現在ではΩ内部の相当のスペースは田圃ではなくなっているが、コスモスや曼珠沙華が植えられており、9月中旬〜下旬には曼珠沙華祭りが開催され、大勢の人で賑わう。
なるほどR299を高麗駅入口の所まで来てみれば、電車で訪れた人人人の群れ。国道に面して臨時駐車場が開設されており、そこに車を入れ10分ほど歩くと外周の河原に出る。昔訪れたのはもう25年も前か、よく前の道は通るのに、どんな所かはすっかり忘れていた。しかしこんなに人出があるとは・・・中の敷地は曼珠沙華が群生している有料スペースと無料のスペースがあり、広場には特産品の販売テントが並ぶ。そして、地元の農家が出店しているテントでは、コチュジャンやキムチなどが売られている。う〜ん、伝統、守りますねえ。
曼珠沙華は今年はまだちょっと早いようで、来週位がちょうどいいようである。焼き鳥などの出店もあるし、敷地も広いので、一日中遊ぶのにも不自由しないところである。ハイキングなら吾野の子の権現と合わせてもいいかも知れない。なお、飯能市ではできるだけ公共交通機関の利用をと勧めているので、高麗駅からも近いことだし、ぜひ包みさん所の電車を使ってやって下さい。
その後、我が家へのSTAR*1である職安通りを通って、「あれ?コリアプラザ移った?前の烏鵲橋の所?」などと話してると、我々は日常の生活圏だが、滅多に通ることもないうちの親が「この辺もすっかり変わっちまって。ハングル文字ばっかりだな〜」なんて言うのを聞いて・・・1200年前にも、巾着田の周辺では同じような会話が交わされていたのだろうか?

*1:Standard Terminal Arrival Route