永遠の目標 長久保秀樹氏

F-4S Bu.No.153821 in VMFA-212

宮本氏の項でちょっと触れたが、前から書こうと思っていてそのままになってしまっていたことがある。長久保秀樹氏のことである。
80年代前半、航フ誌の発売日を毎月待ちわびて、模型屋の店頭に並んだのをもぎ取るようにして買ってきて、貪るように読んだあの頃、数々の名記事を書かれていたのが長久保氏。元航フ誌の編集者で、まだ学生の頃、飛行機の下面を明るく撮るために厚木のアプローチのコース下にアルミホイルをずっと敷き詰めたという型破りなエピソードを持ち、米空軍・海軍、自衛隊問わずメイン記事や連載を一手に引き受けていた。
今でも思い出す数々の連載、それは現場レポートの「80年代エースへの道を探る」だったり、ワイルドウィーズル創世記を描いた「ハイブリッド航空戦の幕開け」だったり、コンバット・サーチアンドレスキューという当時一般読者にはマイナーな世界だった領域を教えてくれた「生きてる限りは・・・」だったり(ここまで各タイトルはバックナンバーを繰らずに書いている 20年の時を越えてだ)・・・「ハイブリッド」とF-4Sのスラット取付改造についての紹介・研究記事、また謎に包まれた三軍共用ステルス巡航ミサイル、AGM-129/136の正体に迫った渾身のルポは本当に今でも忘れられない。
そんな氏のスタイルといえば、一度や二度読んだだけではまったく理解できない文法むちゃくちゃの、主語不明、体言止め多用の悪文。実は私の文体も、当時一番多感な年齢ゆえすっかり感化されてしまい、多分に意識して真似をしている所がある。研究者としての実力がかなうはずもないので(大体私は研究者でもなんでもない)、せめて文体だけでも似せようという涙ぐましい(痛い?)努力である。実は氏の執筆記事に限らないが、航空雑誌の文章には句読点の付け方が変だったり、前出の記述とつじつまが合わなかったり、突然それまで説明のなかった装備や兵器がさも承前のように出てきたりすることがあって、特に氏の記事にはそういう所が多かったのだが、それを差し引いても長久保氏の記事は他氏に比べて圧倒的に情報量が多く、3度4度と読み返すたびにどんどん知識が吸い込まれていくのがわかった。とにかく読み応えがあるのである。
ところがそんな私も、信じられないかも知れないが90年代にはヒコーキもフネも長く休んでいた時期があり、10年ほど雑誌もほとんど買ったことがなかった(現在は海外鉄が比較的お休みモード)。そしてある時、何の特集だったか、多分トムキャットだとは思うが、航フを書店で手に取って編集後記を読んだ時、「亡くなられた長久保氏が生きていたら・・・」????この時も、本当に殴られたようなショックで、しばらく立ちつくしてしまった。なんで?まだそんな年ではなかったはずだし、事故?ガンとかだったのだろうか?
結局、まさか古本屋で後記チェックのためだけにバックナンバーを繰るわけにもいかず、まだネットもそれほど一般的ではなかった時代なので、死の真相を知ることはかなわず、後に某巨大掲示板の黎明期に、何だったか忘れたが関連テーマのスレで聞いてみたことがあったがスルーされた。名前で検索してもほとんど引っかからないし・・・本当航空雑誌界って、作り手のことには皆関心がないんだな、それも寂しいな、と思いつつ、最近までわからずじまいであった。
そして、あっと驚いたのは宮本氏の訃報に際して書かれていた長久保氏のことである。どちらも孤独死、しかも長久保氏は死後2カ月、誰にも発見されなかったらしい。いくら浮世離れした航空・軍事研究家といっても、こちらも独り身だとは夢にも思わなかったし、あれほど精力的に執筆されていたのに、なぜどこも催促に行かなかったのだろう。しかも、親交のあった人もそれほど多くはなかったのかな・・・
正直に告白すると、長久保氏に憧れて、(航空)雑誌の編集者を目指したこともある。だが、才能もなく努力もせず、漫然と日々を過ごした(趣味の浮気も多い?)私にそんなチャンスは訪れるはずもなく、いつかお会いするのだと心に決めていた氏は知らない間に他界され、結局お会いすることはかなわなかった。あまり人に憧れたり、心酔したりすることのない私であるが(というか皆無 そういうの嫌いなんで)、長久保氏だけは、本当に憧れて、一度お目にかかりたい、あの人のようになりたいと心の底から思った、ただ一人の人である。あんな人、もう二度と現れないだろうな。
恐らくこの日記はしばらくすれば、「長久保秀樹」という検索語で上位に来ることだろう。私はそれが嬉しい事だとは思わない。むしろ残念である。そもそも、それがアクセスアップにつながるわけでもない、そのことが問題なのだ。あれほど素晴らしい研究記事を数々残された氏について、触れられているサイトは極めて少ない。自分が業界事情に興味を持ち過ぎているだけで、皆は筆者が誰かなんてどうでもいいのかな? ネットでひっかかる項目が多ければ業績が大きいというわけでもないが、しかし現状は、氏の生きた証が、業績がすべて否定、いやそれどころかさっさと忘れ去られてしまったようで悲しいのである。
長久保さん、私、あなたのこと死ぬまで忘れませんよ! 一度お会いしたかったのに、いつまでも活躍して欲しかったのに、なぜ早く逝かれたのですか・・・