ついに忘年会11回目

a pantogtraph of EMU

本日は毎年恒例の忘年会。早!と思ったが、まあ昨年も12月4日であったらしい
http://d.hatena.ne.jp/Blueforce/20041204
ので、それほど変わらないといえば変わらないか。昨年は随分しんみりとしてしまったのだが、ついに高齢化が進んで今年から昼間の食事会に変更となったので、意外にたそがれ感もなく、トークも軽い感じだった。しかし、年齢が進むとやはり「次回があるか?」どうかは切実な問題になってくるようで、学校の同窓会なども今年から昼になった、2年おきになって次どの位減ってるかが心配、などの話題が飛び交う。おかげさまでまで当方、まだそこまでの年齢には達していないので、聞いていても実感がないが・・・
毎年お酌させられる方は、かったるいとか時間の無駄とか悪態をつきながら、お金払っても聞くことができない貴重な話を拝聴することができるので、なんだかんだ言って楽しんでいる。今回はまたタイムリーに、昨日の日記で触れた岩手の山奥のことが話題になり、雫石の全日空機事故の時は、落っこった場所が植林地で、林業労務者(この言葉って使っていいのか?)がお祓いをするまで絶対に入らないと立ち入りを拒否して大変だったとか、いろいろ興味深いことを聞いた。
また、これも先日書いた電車線と集電の問題だが、旧国鉄時代集電の性能が悪化の一途を辿ったのは、車両と施設が縦並びで敵対し合う「国鉄病」の典型例の一つで、お互いに交流もなく、悪い意味で「負けないように」作っていった結果、車両側はパンタをひたすら重量化、多パンタ設置にと、施設側は重架線化にと邁進し、どんどん事態を悪化させていったのだという話を伺った。現在新幹線の架線の標準仕様であるヘビーシンプルカテナリ式はその産物なのだそうだ。JRになってから、車両側のセクションにも架線を研究する部門ができて、集電の問題は大分改善したが、これらセクショナリズムモグラ叩きのように、現在でも常にあちこちで頭をもたげてくるという。 
ま、そんな話題を肴にしながら、今年も酉料理をつついて、まだ明るい1500にお開きとなった。