お疲れさまトリノオリンピック

The finare of Nagano Olympic

トリノオリンピック、全日程終了で閉会式。
もちろん!?東京は知らず、札幌は(正直に白状すれば)生まれてるけど、まったく記憶がない私が実際に体験したことのある唯一の大会が長野。昨日の日記にあるように、アルペンに凝っていたので、一度はオリンピックの滑りをこの目で見たいと、競技日程とにらめっこして観覧可能な種目を選び出した。
競技は当たり前だが平日も行われる。土日をからめて見られる種目は・・・と、選んだのが女子の滑降。アルペンなら男子でも女子でも良かったし、当時全盛のカーチャ・サイツィンガーを生で見たかったので、ゴールエリアの指定券も買って、明日は可愛いカーチャの金メダルもらうところを目の前で・・・と、病み上がりで完調ではなく若干クラクラする状態で友人と2人、夜行「アルプス」のグリーン車の乗客となった。
さて夜が明けてみると、現地は吹雪ならまだしも、大粒の雨がザバザバ降る最悪の天気、インフォメーションに行っても競技が予定通り行われるかわからず、一昨年の百里と同じような事態。白馬駅からバスに乗って会場に行ってはみたものの、明らかに競技ができるようなコンディションではなく、程なくして正式な中止のアナウンスを聞き、もうどうでも良くなって会場を後にした。
当時、悪天候による競技の順延は深刻な問題で、2度・3度にわたっての延期も珍しくなく、2週間の会期中にすべての種目を消化することができるのか、かなり悲観的にみられていた(なんとか最後でギリギリ消化 オリンピック史上に汚点を残さずに済んだ)。この日、我々は豊科の友人の家に泊まって、女子滑降は確か翌日実施のはずだったが、当日も天候は回復しなかったと記憶している。友人宅ですっかり朝寝した挙げ句、もうあんな雨の中で茫然と立ちつくすのは御免、それなら長野に出て他の競技の表彰式でも見て帰ろうや、あっちの方は天気もいいみたいだし、ということになった。その日がまさに、ジャンプ団体の金メダルの日である。それを松本駅で知ったか長野の街中で知ったか、号外を見て仰天し、夕方から表彰会場で何時間も並んで、歴史的な瞬間に立ち会うことができたのである。
結局競技を一つも見ることができずに終わった私であったが、閉会式もぜひ味わいたいということで、実はこちらも事前にチケットを入手してあった。今度は日帰りだし気楽な行程、天気もおかげさまで崩れず、午前中は賑わう長野の街をぶらついて、夕方に閉会式会場に向かった。暖かい一日で、街は世界中のさまざなな人種の人でごったがえし、店という店が軒先に高価な物からバッジに至るまで商品を並べて、それを皆で冷やかして顔を見合わせて笑い合ったり、写真を撮り合ったり・・・先日トリノの様子を報じたニュースで、現地の人が「この雰囲気がずっと続いて欲しい」と言っていたのが、その気持ち、よくわかる。
この歳にして、戦闘機がどうの軍艦がどうの毎日書いている身でちゃんちゃらおかしな話だが、この一日が終わらなければいいのに、世界中の皆がこうして笑って暮らしていければいいのに、閉会式が終われば皆また怒りが渦巻く世界に帰っていかなければいけない理不尽さに、言いようのない寂しさ虚しさを感じたのである。幻想だ安っぽいセンチメンタリズムだというご意見もありましょう。不透明な資金の流れ、土建屋保護の公共事業、自然環境をないがしろにした開発・・・大人の事情を掘りおこせばそんな某大手民鉄のお手盛りイベントでいいように踊るアホウはさぞや滑稽に見えるだろうが、それでもあの日、世界中の人と会釈をして、握手して、笑い合って、選手達に拍手して、長万部太郎の「WAになって踊ろう」を一緒に歌って踊った、あの思い出を、世界の人々が皆等しく共有すれば、明日にでもとはいわないが、いくさのない笑って暮らせる世界が少しずつでも近づいてくると思いたい。もちろん、日々「このチ○ン公が!」とか、「潜ったまま強行突破だ〜?喧嘩上等、そのまま一生潜りっ放しにしてくれようか!」と憤ることはあれど、あの日の体験が、それでも最後の最後で、握手の手をさしのべる大切さを思い出させてくれる。
国際スポーツイベントなんて、8割方そんな気持ちを人々に植え付けるようにするのが存在意義じゃないのかな。