母子像

art made container”Speybank”

え〜、もう読まれている方もいい加減飽き飽きされていると思いますが、本日も神奈川方面です。
まあ、今日は客人が来ていることもあり、あまり遠出せず横浜で、ということで、赤レンガ―山下公園港の見える丘公園―元町―中華街のロングコースにする。今回も3人乗りのため屋根は開けられず、近場だし時間も早いので307CCにしてから初めて1国を使用。チンタラ走りながら赤レンガの駐車場に到着。料金収受係のオバチャンはもう何度も見たことのある顔だが、その度に同居人の膝の上のふうこを見て「アラ!かわいいワンちゃんだこと〜」と喜んでくれる。フハハハ・・・なんか、ほのぼの。
さて装備を整えさっそうと歩き出したが、予報では暖かいとのことなのに、今日もまた風が冷たい。ペースを上げて体を温めることにする。で・・・
山下公園を通り過ぎ、ペデストリアンデッキが工事中で通行止めとのことなので、ドンキの前の横断歩道を渡ってフランス山の下に出て、いつもの階段脇のスロープを登っていった。ここはフランス山の階段を登っていくのが車通りもなく、緑の中を歩けて気持ちがいいのだが、急な木製の階段で、ふうこの足には負担が大きいのでいつも通らないことにしている。坂をてくてく上がって・・・頂上に到着、そのままバラ園の方に向かうところで、今日はちょっと寄り道が。
フランス山の頂上に、「愛の母子像」というブロンズの像がある。前述の通り、いつもはこちらが散歩コースではないので前を通ることはないのだが、最近ちょっと気にかかったことがあったので寄ってみた。
もちろん、この像の由来となった事故(事件)については、忘れたことはない。それは片時も忘れることのない、というのではなく、旧日記でオチャラけて書いているが、観艦式を時としてすっかり忘れていることもあるけれども、いつもその瞬間の感動を心のどこかに秘め日々を過ごしている、というのと同じ、いや正反対の性質のものだけれども、時として思い出し、どす黒い怒りに身を震わせたり、やりきれなさに一人考え込んでしまったり、あまりの申し訳なさに自分の気持ちのおさまりがつかなくなったりすることがふとした瞬間にある、そういう性質の記憶・想いである。しばらくは心の引き出しの奥の方に行っていたのだが、ふとしたきっかけがあり、たまには寄ってあげないと・・・最近像の由来を説明したプレートが設置されたとニュースにもなっていたし、どんなかな・・・と。
港の見える丘公園の展望台からはわずか20mほど、こんな近くなんだから毎度ちょっとでも寄らにゃなあ・・・なんて考えながら行ってみると、先客が数人、70代位のおばあさん達が像を見ながら手を合わせたり、供え物をあっちやったりこっちやったり。その斜め横、並んでいる私の前にはやはり70代位の男性が立っている。千羽鶴が像本体が埋まってしまうほど山盛り、お菓子やらジュースやら写真やらで基台にはもう何も載せ切れないほどだ。いつもこんなになってるの1?
おばあさん達はなかなかどいてくれない。いや、急いでいる訳ではないし、後ろでゆっくり順番待ちをしていたが、「熱かったでしょう・・・痛かったでしょう・・・ねえ」と一通り手を合わせた後、男性になにやら話しかけている。立ち聞きをする気はなくとも、会話の内容は聞こえてしまう。「こんなに大勢の人が忘れずにいてくれるなんて、娘も孫達も喜んで・・・」
!!!やはり・・・そうではないかとは薄々思っていたのだが、この方が林和枝さんのお父さん、そして子供達のお祖父さん、土志田勇さんであった。もちろん私には何の縁があるわけではなし、お目にかかるのは初めてだが、なぜここに?命日でもないし・・・
どうも、偶然だが本日ここでプレートが設置されたことを記念しての小規模な集まりがあるようで、それでおられたようであった。もちろん、私が言葉を交わす理由はないし、交わす必要もない。おばあさん達が下がった後で、像の前に立ち、軽く一礼をして、土志田さんにも会釈をして、像を後にした。
一度奥まで行って引き返して来た頃には、人々が三々五々集まっていたようだが、別にメガホンや横断幕があるわけでもなく、静かに故人を偲ぶ集いであった。土志田さんは思いの外小柄で、あれだけの理不尽な怒りや悲しみを乗り越えて来た方とは思えない、いやそれだからこそなのか、好々爺といった感じの穏やかな方だった。
私はアメリカ海軍が好きだ。アメリカ海軍研究を一生の趣味として、その艦艇を、飛行機をこよなく愛し、栄光の歴史を称え、輝かしい未来を信じる。しかし、それは誰にでも後ろめたさを覚えず、男子一生をかける趣味ですと胸を張って言えるものだろうか。あの場で土志田さんに、いつも厚木で戦闘機の写真を撮ってます、この間はアメリカまでも行って来ました。でも娘さんのこと、お孫さんの事は忘れたことはありません、今日はお参りさせて下さいと言ったら、土志田さんは私にどれだけの罵倒を浴びせるだろうか。否、土志田さんは恐らく穏やかに、そうですか、よく来てくれました、覚えてくれていてありがとうね、といって微笑むだろう。
いっそ、言葉の限りを尽くして怒鳴り散らしてくれたら、拳の一発でもくれたら、その方が気持ちの整理がつくのに・・・年月のなせる技か、声高に叫ぶこともなく、ただ穏やかに母子像を見つめる老人。その姿に救われるのと同時に、自分の思いを一皮めくると、底知れない救いのなさを見て慄然とするのだ。
Photoは母子像ではなく、山下公園の新たに設置されたコンテナで創られたアート、"Speybank"(Luc Deleu作)。