激烈!オシャレ!なパリのデモを体験

Lover of Paris facing police

307CC購入で迷っていた頃、1月10日の日記で紹介した、TGVでルマンまで往復した時のことである。
列車に乗るのだけが目的なので、駅前広場をぶらっとしただけで、もちろんサーキットなどには足を伸ばすことはできず、次の列車でトンボ帰りしたのだが、数時間ぶりにモンパルナスに戻ってきて、どうも様子がおかしいことに気がついた。駅前広場に、車やバスが1台も入って来ないのだ。なんで?・・・
駅は、表通りから200mほどの広い「路地」で袋小路になっている。駅からモンパルナスタワーのたもととなるT字になっている通りを見たところ、なんか警官隊のようなものが・・・そしてそれは本当に警官隊だった。防弾チョッキに盾、おまけに催涙弾(!)でフル武装した警官の群は、いつの間にか駅前広場にも入ってきた。その人数たるや。日本で、生まれてこの方こんなの見たことない。
そのうち、大通りの方には、デモ行進らしき若者の行進と、横断幕、そしてにわかに騒がしくなってきた。シュプレヒコールのようなものも聞こえてくる。そういえば、「フランスのデモは人が死ぬ」って聞いているけど、どうもまっただ中に降り立ってしまったようだ。なんと運の悪い・・・
バスはもうまったく当てにできず、地下鉄の駅は大通りの下なので、ここから逃げるとすれば後退するしかない。いざとなったら駅に逃げ込むしかないのか ?と、しばらくビビっていたが、そこは痛い目に遭ったことのないバカタレの野次馬根性、どうも情勢は落ち着いているようだし、最前線まで行ってみるか!と、カメラ構えて大通りまで歩き出したのである(会社のバイトの姉ちゃんを全然笑えないじゃん)
その時泊まっていたのはカルチェラタンの超安宿で、テレビなどもちろんないので今パリで何が起こっているのかなどわかるはずもない(テレビさえあれば、フランス語がわからなくてもニュース映像で情勢は理解できるだろ)。が、横断幕など見たところ、なんとなく、なんとな〜くだが、学生や若年層に対する医療制度の改悪を許すな?というようなニュアンスのテーマだったようである。恐らく閣僚の顔をカリカチュアライズした似顔絵など、横断幕が何列にもわたって続いている。こちらは反戦デモとか、もっとわかりやすいテーマを期待していたのだが、どうも地味な争点・・・日本だったらこんなテーマにこれほどの若者が集まるはずもない。さすが若者の政治に対する参加意識が違う、とビックリ。

大通りは完全にホコ天と化しており、交通がマヒ、というか見渡す限り人で埋め尽くされている。それが、ど真ん中に入ってみれば、緊迫した雰囲気もなく、列はほとんど進まずに座り込んでしまった。今度は座り込みか1? その人々の合間を縫って、アイスや何か食べ物の物売りが歩いて行く。・・・そうか、デモ行進というのは、パリの日常、風物詩なんだ、もちろんこんな大規模なものは年に何度もないだろうし、人が死ぬときは死ぬのだろうが、 これがC'est la Vieって奴か、目吊り上げて政治的主張をするだけではない、デモの最中にも腹は減るだろ、と、こちらもソーセージ「みたいなもの」を買って、座り込みの一員となってパクついてみたが、なんだこれ・・・!? ソーセージなのか何なのか、赤チンのような真っ赤な色のついた、肉ともなんともいえない味のない棒状の物、という記憶がある。

デモは座り込みに移行して十数分経った。行列の先頭はどうなっているのだろう、と、西の方に向かって歩いて行く。恐らく地下鉄のデュロック駅の辺り、デモの先頭は警官隊と睨み合っていた。最前線は立ったままで、こちらはもはやC'est la Vieもへったくれもなく、ものすごい緊張感・・・警官隊も催涙銃を水平撃ちしそうな勢いだ。触れたら壊れそうな均衡状態がもう長い間続いているらしい。
と、そこに、花束を持った一人の若者が。ジリジリと前に出る警官隊の前に1人飛び出し、地面に花束を置き、何かを叫んでいる。恐らく、「さあ、権力の犬ども、この自由と人権の象徴、花束を踏んでみやがれ!その時が共和国が死を迎える時だ!」とでも言っているのだろう。そしてその後が強烈!行進するように足を揃えて前に出てくる警官隊が、花束を蹂躙していく前で、お芝居の御辞儀のように、片手で半円を描いて腰の前に、もう一方の手を斜め前に突き出し深々と御辞儀する、あのジェスチャーをやって見せたのだ。まるで天安門事件の、あの有名な映像を見ているようだが、そこはさすがフランス、デモもオッシャレ〜・・・と、感心している時にデモの後方から投石が。それが長い間の均衡を破る合図だった。
静寂は不意に破られた。逃げなきゃ!これは大変なことになった。そこからは数百m、無我夢中で逃げた。この時ばかりは一瞬だが死を覚悟したが、デモの先頭が四散してしまえば、まるでかさぶたがはがれて出血し、また傷口がふさがって新しいかさぶたができるように、その後方にいた連中が最前線となって、警官隊と睨み合うのである。相変わらず後方では物売りも行き交うのどかなお祭り騒ぎである。
四散した連中もあらかた警官につかまって連行されるような輩はいなかったようで、地下鉄の改札を飛び越えて電車に乗って逃げる程度で、無法地帯と言ってもそれほど凶悪な感じはなかった。しかし、通りの横の路地に入ってみると、電話ボックスのガラスは粉々に割られ、商店のショーウインドウもあらかた割られたり、ヒビが入っていたり。これはひどい・・・当時、いわゆるバンダリズムのような、愉快犯で物を壊すようなのは、こんな西ヨーロッパの先進国にはないもんだと思っていたので(もちろん、イギリスなどであることは知ってはいたが、やはり実際に体験してみないと)、フランスに幻滅を感じたのは事実である。しかし、フランスではデモで人が死ぬのと同様、暴動で少なからずの車が失われるのも風物詩だったのである。どの国にも外国人から見ると意外な風習や国民性というのが存在するが、デモで催涙弾がもろに当たって死んだり、自分の店がメチャクチャに壊されたりするのは、あの国では割と許容範囲内?(殺されて許容範囲もなにもないが) 暴動保険なんてものがあるのだろうか。

フランスに超高級車のブランドが存在しないのも、実はこういう所に原因があったりしてね。うちのふうこ号も良かったな、はるばる海を渡って日本まで来てしまえば、よほどのことがない限り暴動で廃車になることもないだろ・・・
その後、あらかた膠着してしまったこともあり、ブラブラとエッフェル塔まで歩いてきたが、こちらはデモなどまったくどこ吹く風の日常風景で、展望台に上がれば日本人をはじめ世界各国の観光客で賑わっていた。距離でいえば目と鼻の先なのに、オレが体験したのは幻だったのだろうか、と思うような二面性。まさにパリのデモは生活の中にあるのである。
C'est la Vie!この美しい都で、食べて歌って恋するのさ。医療制度改悪反対のデモの最中でも、そりゃ美しい人生だもの、催すこともあるだろ、チューしたくなることもあるだろ・・・えっ!? チュー? 緊迫するデモの最前線、警官隊の前で愛を語らう2人・・・それは、日本人が100万年かかっても真似できない、美しい国でこそ絵になる風景ではありました。
ライオン印の車は、こういう国で生まれてくるのです。