碓氷峠に行ってみた

A railway attraction of Yokokawa

最近はずっとそうですけど、今日も同居人と別行動です。
特にどこへ行くと事前に決めていたわけでもないのだが、土曜は天気も良さそうだし、ちょっと遠出を企んだ。それも、ずっと三浦半島続きなので、ちょっとは暖かくなってきたし、山の方へ行ってみようかなと。
といっても、また0800起床と遅く、今からどこまで行けるのか・・・出発は0900過ぎで、目白通りに。前日に何となく碓氷峠に久しぶりに行ってみようかなという気になったので、関越に乗ることにする。今日は屋根を最初から開けたのだが、日差しはあるのだが空気は妙に冷たい。今年はなかなか暖かくならないのに、なぜか桜の開花は記録的に早いらしい・・・不思議な春。ウインドストッパーに手袋と万全な体勢で乗り込んでいるし、シートヒーターをつけているにもかかわらず、足元がス〜ス〜する。
それでも震え上がるほどでもなく、気持ちいい高速走行を終えて妙義松井田で降り、横川駅へ。道も空いており家から1時間半足らずで着いてしまった。ふうこも2日散歩に出ていなかったので速く歩きたいようで、いつにも増してキューキューうるさい。撮影機材一式を持って早速旧線跡の遊歩道を歩く。

整備されてからは初めて来るので、こんなになったのか〜と感心することばかりである。丸山変電所までは約2km、現状で整備されている旧碓氷橋までは4.8kmとのことで、当初は碓氷橋まで往復するつもりだったが、土の道ならいいんだけど全部舗装されてしまっていて歩いていてもあまり楽しくないぞ、コレ。ふうこの足にもあまり良くなさそうだし、どうせ帰りは軽井沢経由なのだからと丸山で引き返すことにした。
文化むらの今日の運転体験充当機はEF63 24。目の前で研修中?の乗務員がパンを上げたり下げたりブレーキをシュッシュシュッシュやっているのを眺めて、旧道の踏切があったところを立体交差で渡る。この踏切が撤去されたことで、丸山までの列車運転が可能になったのだ。

遊歩道は旧上り線の上に続いており、舗装の中にレールが埋め込まれている。写真を撮っていると、24号機が後ろから追い上げてきた。運転体験の走行範囲はここまで、停車してエンド交換、また引き返して行く。いいね〜、オレもロクサン運転してみたい・・・
さらにふうことトコトコ歩いて行くと、向こう側から運行開始1周年を迎えた丸山往復のアトラクション列車「シェルパ君」が帰ってきた。見たところ結構乗っているようだ。

丸山へは横川駅から20分ほどで着く。

ちなみに、内部はこんな感じ。


ここからまた引き返したが、見ていると上から結構家族連れが降りてくる。もう往復してきたのかな?碓氷橋までのシャトルバスがあるので、それにのって片道で歩いてきたのかも知れない。普段着で歩ける整備された遊歩道だが、66.7‰は伊達ではない。下からだと結構登りがきついのだ。しかし、親子で来ている人達、子供は皆小学校に上がったばかり位の年齢のようだが、ということは、この子らは碓氷峠が営業路線だった頃はまだ生まれていないのか・・・ああ、自分が旧線時代のことを聞いてもピンと来ないのと同様、まさに歴史は繰り返されるのだ。
横川に戻って、例によって朝から何も口に入れていないので、一番有名な店で、あえて名物ではないメニューを食べるが、味音痴の私でも(以下自粛) さて、この後当然碓氷橋に寄るので、旧道を上がっていく。

こちらも遊歩道の現時点での終点として、道路から端まで上がる階段も整備されており(以前は何もない急斜面を上がるしかなかったのだ)、誰でも気軽に廃線跡トレッキングが楽しめるが、橋の欄干部には(もちろん)オリジナルにはなかったステンレスのパイプが付けられてしまった。遠くを見ると、新碓氷橋の上に人の姿が。!なんてことしてるんだあいつら・・・と思ったが、ああ、もう列車通らないんだっけ、と、いつまで経っても現実を受け入れられない自分に気づく。前はおっかなくてとても近づけなかった横川方の5号トンネルだが、整備の上ライトアップされ誰でも歩けるようになっている。

最初はおっかながって入ろうとしなかったふうこも入ってしまえば楽しそう。

その後、軽井沢まで上がって、ここで1600前。スキー場は(人工雪だが)まだ営業しているのに、屋根を開けていてもそれほど寒くない。とりあえず駅に寄って、こちらにも保存されている2号機を撮ろうと思ったのだが、10000形(EC40)ともども「碓氷峠資料館」のようなものの展示の一部になっており(いつできたんだろう)、なんと入館料が200円。払っても良かったのだが、まあいいか、と思って玄関前に展示されていた草軽のジェフリーだけふうこを乗せて撮ってきた。

さて、ここからだが、もちろんそのまま帰るような芸のないことをするつもりはないが、妙義荒船林道経由で神津牧場にでも寄ろうかとも思ったものの、さすがにちょっと遅いのでそのまま南に下り、下仁田へ。道も空いており、オープンで誠に快適なドライブである。今日は307CC、それどころかプジョーの車をここまで1台も見なかった。307でこういった「由緒正しい日本の田舎」に来たのは初めてだが、もう何年もひと品も売れていないような雑貨屋の軒先をかすめて走るフランス製のオープンカーも、意外に景色に溶け込んでいる(ような気がする)。サ○イや男○隠れ家などで毎月やっているような、買えもしない車のインプレ記事などで良く読む手垢の付いた文句かもしれないが、その異文化の邂逅を、ドライビングシートから覗くことのできる人間には一応言う資格があるんじゃないかな。
下仁田から上野村まではうんざりするような細道での峠越えだが、なんと2年ほど前にふるさと林道湯の沢線などと言う名前のトンネルを掘ったらしい。今時のことゆえまさか素堀りではないだろうが、こんな山奥にどんなトンネル掘りやがったんだ!?とそちら経由で行ってみる。トンネルの位置は現道路から遠く未整備の取付道路を走った先にあり、この間までピストンの獣道のようなものだったろう1車線のクネクネを上がると・・・あった! 片側1車線ながら、なんとまあ立派なトンネル・・・2004年2月に完成したらしい。もう10年以上こちらの方に足を運んだことがなかったので、どうりで知らないわけだ。しかし、これはすごい・・・前にも後ろにも車はおらず、オープンで走っていると、なんか別の世界にトリップしそうだ。
出たところは上野村国道299号十石峠のふもと、ここからは志賀坂峠を越えて秩父経由での良く知ったルートである。そうはいっても、こちらももう長いこと来たことはないので、まあ道の良くなったこと。ほとんど直線でトンネルでつないでいる。昔は全部川沿いに細い道を走っていったのだ。
ここで、「慰霊の碑」という標識があったので、初めて寄ってみた。上野村で慰霊とは、言わずと知れた御巣鷹山事故のことである。新道から外れ急な坂道を登っていくと、その広場はあった。日の傾きかけた時刻、誰も人はいないが、休憩所のような建物に管理人が常駐しているらしい。それとは別に、円形の「資料室」と名のついた建物があり、砂利を敷き詰めた広場を前に手を合わせた形をモチーフにしたという慰霊の塔が立っている。墜落現場からは約20kmも離れており、この場所に事故と直接の接点はないが、誰もが険しい山中の事故現場に行けるわけではない。当時の救助活動などを通してこの事故を末永く語り継ぎ、その霊を慰めることが村民の務めだ、という上野村民の相違により、有志が土地を提供してこの碑を建てたのだという。その合わせた手は、事故現場の方角を向いているのだという。
碑のたもとに刻まれた、犠牲者の数の多さに改めて驚き、ふうこと手を合わせた後、今日は桜と307CCのカラミでも撮るつもりできたのだが、アテが外れてまだ1枚も車を撮っていないので、不謹慎かとも思いつつ一応撮影(割とここで台無しな気が・・・)。

この後も順調に進み、あっという間に秩父、普通ならこの辺で日帰りドライブの目的地だが、帰路の行程ではまだ半分である。とにかく、流れているのが助かった。今日の総走行距離は337km、軽井沢からの帰りの距離は182kmだが、所要時間4時間で結構楽しみ所もあり、関越の渋滞を考えると時間もそう変わらないかもしれない。なんだかんだ言っても、日本の道路は日々便利になってますよ。昔はこんなルートで帰ろうなんて夢にも思わなかったのだから、まあ、自然を壊して、という留保事項付きだが。とにかく、本日一番驚いたのは「ふるさと林道」でありました・・・