Blueforce 生「ルビーの指環」を観賞す

The skyscraper of Shinjuku

新宿厚生年金会館で開催された、寺尾聰コンサートに行って来た。
例によって詳しく話すと長くなるのだが、アニメとか童謡以外で多分一番最初に買って聞いたのが、寺尾氏の「Reflections」。もちろん、当時はLPなので、長いこと聴くことはできなかったのだが、数年前にCDを買い、早速カーナビのミュージックサーバに入れてある。
今日も同僚に寺尾さんのコンサートに行くと言ったら驚かれたり、やはり私の趣味のジャンルやイメージから見ると以外に見えるのだろうが・・・確かに、子供の頃はドラマや歌番組はいっさい見せてもらえず、実は大都会や夜ヒット、ベストテンで当時の姿を見たことはほとんどないのだが、アルバムはすり切れるほど聴いた。当時厨房で、今にして思えばあんな絵に描いたような大人の恋愛を、子供が理解したりイメージを思い描けるはずはないのだが、そういった思い出は誰の胸にもあると思うので、あえてあれこれ述べない。
1800開場、1900開演とのことで、定時で会社を出て地下鉄で新宿3丁目へ。1830には会場前に着き、同居人と待ち合わせて館内へ。今回のコンサートは、最近平均して週に2回はライブに行っている同居人の方が乗り気で、数年ぶりとなる(1998年以来とMCで本人が言っていた)大ホールでの寺尾さんのコンサートを見つけてきては速攻で予約したのだ。お代は1人7,500円、決して安くはないが、なにせ今となっては貴重な機会、これを逃しては次はあるかどうかわからない。

実はこのイベント、小児がん撲滅のための活動を行っている基金と、それに協賛している某洗剤屋さんのスポンサーによるチャリティコンサートでもある。というわけで、ホールでは募金活動なども行われており、客席も純粋なファンなのか、動員?なのか今ひとつ判然としない方々もいるのだが・・・見たところ平均年齢層は40代後半といったところで、驚くことに我々はほとんど最年少といった感じ。恐らく80年代前半に10代後半〜20代前半だったであろう、「かつての」ギャルの方々が前後左右を占めていた。
というわけで、開演後も総立ちというわけにもいかず、まあ元々踊ってノリノリのナンバーというわけではないので、大人のシティ・ポップス(死語)を座ってお行儀良く聴くというスタイル。演目は洋楽のカバーが半分位で、オリジナルの曲数、特に知っている「Reflections」からのナンバーはあまり多くなかったが、初めて見る生寺尾さんはミュージシャンモードの時のトレードマーク、サングラスにノータイのスーツで、御年58歳という年齢を感じさせない(いや、正直に書くと時々感じさせてくれる・・・それがまた微笑ましいのだが)不良オヤジっぽさで、息を切らせながらのMCをはさんであっという間の2時間半であった。
「Reflections」のナンバー中、私が一番好きなのが、イントロにかぶせた今となっては時代を感じさせる電話の「ジーッ、ジーッ」というダイヤル音と留守番電話の声が印象的な「ダイヤルM」。今でも通勤途中や車を運転している時にふと口をついて出る歌である。MCでの自動車を運転しながら携帯をかける話を枕に、「あ、これはダイヤルM来るな」と思ったら、本当にその通りになった。あんなに何度も口ずさんできた歌を、今本人が目の前で歌ってくれている・・・リリース以来四半世紀を経て、それは誠に感慨深い再会、いや初体験。もちろん、同アルバムからのナンバー、「二季物語」「Habana Express」「出航Sasurai」「北ウイング」も、それぞれに彼の、そして私のこの25年の歴史を思い起こさせてくれるものであった。
「濡れた素肌」や「お前の熱い身体」なんてフレーズに、厨房の当時も今も自らに思い当たるところはないけれど、そんなともすれば現実感のない空虚なフレーズが、彼の口から出ることでまるでリアルのように感じられる、もう60近いというのに、その「現役感」に驚かされる。もちろん、人前で歌うという行為がどれだけ体力を消耗するものか、私も知らないわけではない。1曲歌った後の息の乱れ、なにかにつけ「ドッコイショ」みたいな振る舞いに年齢を感じないわけではないが、それがまたいっそう「かっこいいオッサン」の姿にリアルさを加え、ああ・・・オレもこんな不良いオヤジになりたい、と思わせるのである。決して二枚目というわけではなく、背も高いわけでもない、ルックスから見ればお世辞にも美男子とはいえない男が、あれほど人気を欲しいままにし、日本芸能史の1ページを飾る存在になったそのわけは・・・そんなことを考えるうち、曲目は最後のもちろんあの曲、寺尾聰畢生の一作、「ルビーの指環」に。いつしか観客は総立ち、私も生「ルビー」を生きて目の当たりにすることができるとは・・・と感慨に浸りながら、手拍子でリズムを取っていた。
思えば「ルビー」作詞を手がけたのは松本隆だが、他の「Reflections」のナンバーについて作詞を担当した有川正沙子女史(本日も会場に来ていたようだ その他阿川泰子、LiLiCoも一般観客に混じって観賞していた)のカラーか、出来上がった曲はどれも当時石原プロでバンバン拳銃を撃っていた寺尾さんの芸風とはかなり異なる、気恥ずかしいほどの都会風ポップスなのだが、そんな彼のキャリアは音楽は「ザ・サベージ」から始まるものの、演技は裕ちゃんに拾われての「黒部の太陽」がデビュー作となる。

大スターとお金払って見に来ただけの一般観客と、彼と私を結ぶ個人的なつながりはまったくないものの、私が第二の故郷と思っている黒部が結ぶ縁、寺尾さんの俳優としての歴史は、ネオン輝くオシャレな大都会からはほど遠い、文明を頑なに拒む黒部の深い谷から始まっていると思うだけで、とても身近な想いを抱いてしまうのだ。
山塊に長大なトンネルを穿ち、巨大なダムを造る壮大な男達の物語、それを題材に映画を創ってしまった男のロマン、摩天楼の中心で愛を囁く男の夢、ヒットチャート連続1位記録の大スター・・・全部取りの寺尾さんは、はっきり言ってズルイよ・・・