測量船「明洋」&第2海堡の愉快な仲間たち

Japan Coast Guard ship meiyo HL03

え〜、皆さんご存知のように対馬海峡波高しなわけですが。
日頃の論調や執筆テーマから、私が韓国朝鮮に甘いと思われている向きもおられるかも知れないが、私も(左寄りとの自覚はあるし、あまり高い誇りも持てないのですが)日本人、この問題に関しては毅然と対応して頂きたいと思うものである。
ま、それをやるのはこの日記の主題ではないので・・・現在境港で待機中の測量船について紹介してみようと思い、Photoを探したのだが、基本的に海保は守備範囲外なのでなかなか見つからない。2隻のうち東京港を定係港とする「明洋」は、毎週のようにお台場で見ているのに、さて撮影したことはあるのかと探したところ、昨年6月、渡船が廃止されるというので最後のチャンスにと行って来た第2海堡で撮影したものが見つかった。
測量船「明洋」Meiyo HL03は総トン数550t、昭和63年度計画において川崎重工業神戸工場で建造、1990年10月24日竣工した中形の測量船で、同形船「海洋」とともに今回竹島周辺を含む日本海の海底地形調査に従事することになっている。
で、この写真を撮った時、その頃の日記ではまだPhotoが1枚しかアップできず、ビジュアルに様子が伝えられなかったので、今回改めて東京湾に浮かぶ無人の要塞島、第2海堡を紹介してみよう。

金沢シーサイドライン野島公園駅横の村本海事船着き場から発着する渡船は、シーパラと住重追浜工場を両脇に見て、小さな防波堤に寄っては釣り人を降ろしながら、満員の乗客を乗せ浦賀水道航路を突っ切って行く。最後に乗船し、後部のデッキにしがみつくようにしてやっと乗っている私は、振り落とされないようにふんばりつつ、普段は見られないアングルの横須賀港停泊艦艇を夢中になって撮影(まるでロデオライド・・・)

停泊していたのは、この時が恐らく横須賀初寄港のはずの最新鋭補給艦、「ましゅう」型の2番艦「おうみ」AOE426(護衛艦隊直轄・佐世保)。そして、なんとその後方、空母岸壁のバース8には、同じく佐世保を母港とするワスプ級強襲揚陸艦エセックスUSS Essex LHD-2の姿が見える。海中転落の恐怖も忘れ、潮のしぶきを浴びながら夢中になって撮影していると、約30分で第2海堡に到着。

島は完全な無人島で、売店はおろか水場や便所も満足な施設はない。訪れたときは渡船廃止フィーバーで乗り切れないほどの盛況だったが、通常時だったら渡船が帰ってしまえば東京湾のど真ん中でひとりぼっち、さぞや寂しかったことだろう。

島の北端近くから南の方角を見る。この右側が、東京湾を行き来する一般船舶が通ることのできる唯一の細い航路帯、浦賀水道航路になる。渡船が廃止されることになった原因がこの荒れ様で、年々風化が進むレンガ、コンクリートの構造物が、いつ観光客を巻き込んで崩壊して大事故を引き起こしてもおかしくないほど危険となったため、一般人の渡航全面禁止の措置となったのだ。

島の中央辺りから北西を見る。遠くに横須賀沖の無人島・猿島横須賀市街、追浜の工場群が見える。

島の中央に設置されている第二海堡灯台。初の点灯が1894(明治27)年9月、現在建っているのは1983(昭和58)年3月に改築されたものになる。

本隊の関連テーマコーナーをはじめ、各所で書いているが、浦賀水道は一日平均で700隻前後の船舶が航行する世界有数の過密航路。ここが通れなくなってしまえば、我々首都圏に住む人間は海外との物流を絶たれてしまう。最狭部の第2海堡―第3海堡(崩落して座礁の危険があるため、現在撤去作業が進められている)の間では航路の幅は片側300m程しかなく、写真の北航船もここから段々一列縦隊に移行するところである。その間を縫って、無数の漁船が操業し、ヨットやプレジャーボートが縦横無尽に走り回る。

東京―大島間を結ぶ東海汽船ジェットフォイル、「セブンアイランド 夢」。数少ない浦賀水道航路から外れ第2海堡の東側を航行して行く船舶である。

次に姿を見せたのは海自の「はるしお」型潜水艦。セイル頂部の司令塔にはくの字に切れ込みが入った1つ桜の隊司令旗(甲)を掲げている。手前に見えるのは浦賀水道航路中央第5号灯浮標、後方の高い建物は横須賀プリンスホテルである。

北航して行く日本通運RORO船「ひまわり No.5」。東京港や千葉港に向かう北航船の多くは第2海堡を回り込むようにして北西の針路を北北東に変え、北航船専用の中ノ瀬航路に入って行く。

さらに、「明洋」型に比べ総トン数2,600tとはるかに大形の測量船、「拓洋」HL02も姿を見せた。

なんと、あまりの客の多さに渡船が多くの積み残しを出し、逃げるように出航してしまった! オイオイ、東京湾の真ん中で無人島に置き去りか〜! と、右側に見える一度沖に退避していた渡船が再び着岸、無事に帰れたのであった。後方に見えるのはLNGタンカー「ENERGY FRONTIER」。
残念なことに、現在ではここで紹介したような体験はすることができない。自前の船を出しても渡航自体が禁止されているので、くれぐれも上陸はしないで下さい。
また、2分割になってしまって申し訳ないが、当時のレポートは
http://d.hatena.ne.jp/Blueforce/20050626
をご覧下さいませ〜