道後で坊ちゃん列車とマドンナさんぞなもし

Blueforce2006-05-10

さても今回の岩国行は男ひとり鉄の塊を追いかける旅路、あんなんや・・・

こんなんや・・・

いろいろ撮ったれども、一番の収穫は・・・

松山は道後温泉の街角を彩る、道後マドンナたちです。正直これ撮れれば戦闘機も軍艦もいらないや。皆さんもいい加減うんざりしてきたでしょう。マドンナさん達見て気分も新たに、後半出〜発!

おおすみ」型3隻が停泊する呉港内が、狭い水道の入口、対岸の島に遮られ見えなくなると、私と307CCを乗せたフェリー「四万十川」は減速し、最狭部では70mしかない右にカーブしている水路をゆっくりと進んでいく。さっき出航した直後だというのに、もう接岸しそうなほど陸地が目の前だ。しかも、こちらは小さめといっても総トン数699トンのカーフェリー、こんな水郷めぐりみたいな所を通るのはなんとも変な気分・・・

音戸ノ瀬戸全景。向かって右側が呉側、左側が倉橋島になる。なんとこの瀬戸、人口的に開削されたそうで、平清盛が心血を注いだ賜物らしい。なるほどここがあるとないのでは広島湾から瀬戸内の東側に抜けるのでは航程が大きく違ってくる。平安の世に切り開いたスエズ運河・・・でも、現代の船舶には若干(いやかなり)窮屈なサイズ。おおすみ型はもちろん、はつゆき型でさえ通航は無理に違いない。大体マストが引っかかるって。1961年完成の音戸大橋は中央部の桁高さ満潮時23.5m。

最微速で瀬戸を抜けたところで、水路は左に抜けている。正面には陸地が迫ってくる・・・まだ・・・まだ・・・ブイをクリアしたところでフェリーは左にフルステア、まさに取舵一杯である。こうして最大の見せ所というか難所を通過すると、あとは右に2回変針して松山まで一直線である。こちらもやっと船室内に入り、売店で料金を払い、しばしラウンジで休息。ゴールデンウィーク真っ最中だというのに、車も数台しか載っておらず、乗船客も3割程度というところ。桟敷もあるのだがそちらはさすがにいっぱいだったので、靴を脱いで長椅子でしばし昼寝となった。
しばらくして、はるか先に見えていた陸地が近づいてくると、松山はもう目前。高速船が追い抜いていき、上空には松山空港にアプローチする747がゆっくりと高度を下げて横切ってゆく。典型的な瀬戸内に浮かぶのどかな島、野忽那島・興居島を右舷に見ていると、到着・下船案内のアナウンスが聞こえてきた。車に戻り、ロードマップで道後温泉までの道をチェックしつつ、イグニッションを入れるとカーナビは当然呉の乗船地点を表示している。ヘヘヘ、いつになったら気がつくやら・・・とニヤリとしながら、またマップに視線を這わせ、一瞬後にまたカーナビを見たら・・・!!!
画面が、松山港に切り替わっている。え?え?え?、いつ替わったんだ? しかも、まだデッキ上、横は抜けているが天井は塞がっている。よく衛星を捉えたな・・・もっとも、東京に暮らしていれば滅多にお世話にならないが、瀬戸内の人々だってカーナビは使うのだ。日常生活でフェリーに乗ってそのたび大ボケかましてたら生き馬の目を抜くこのご時世、商品にならない。その瞬間、カーナビがここぞとばかり得意げな顔をしたように見えた。
松山、というか愛媛には今回初訪問となる。まったく土地勘のない町でこういう時こそカーナビが威力を発揮、初めて本当の意味でつけて良かった、と実感した。市内に入れば、こちらも当然初めて見る伊予鉄市内線の踏切を渡り、そして愛媛大の脇を通って左折すると、脇からニュ〜ッと市内線の車両が!

ほどなくして道後温泉に着いた。松山市内随一の観光地、日本最古の温泉として知られる道後は、趣のある道後温泉本館を中心に温泉街が広がっている。

本館の後ろの山の上にある駐車場に車を停め、道後温泉駅に。今回松山を訪れた一番の目的がここにあるのだ。風呂は後回し(というかこの時点では入るつもりなし)

これが今回の陸海空乗り物探訪ツアーの「陸」テーマ。伊予鉄坊ちゃん列車である。2001年10月より市内線に運転開始された、SLを模した機関車牽引列車だが、遊園地のアトラクションではなくあくまでも市内線の営業列車である。現在2編成が在籍し、主に道後温泉松山市間で運転されているが、ご覧のように車両はいわゆるマッチ箱で定員も少なく、乗車は定員制で道後温泉駅内の売店乗車整理券300円也を購入する。しかも、私が行ったときは次の1508発の列車は満席となっており、そこまでして乗らなくてもいいかな・・・とも思ったのだが、ここまで来て諦めるのはもったいないと、1548発の列車の券を購入。どうせ駅周辺をぶらついたり市内線車両の撮影をしていれば40分くらいすぐに経ってしまうし。

道後温泉では行政と地域が一丸となって温泉地の魅力をアピールするべく、各種施策を行っているが、そのなかでも一番眼においしいのがこの道後マドンナ。マドンナっつってもレオタード着て大股広げて踊ってるおばさんじゃねえぞ、一般公募で選ばれた地元のうら若き乙女で、明治時代のお巡りさんの格好をしたおじさん達と町をそぞろ歩いているのだ。彼女らは観光ガイドとしての役割も担っているので、適宜道案内などもしてくれるが、坊ちゃん列車が道後温泉駅に到着するとどこからともなく現れて、遠く明治の浪漫を演出する。もちろん、モデルになってもらうのもいい。しかし、カップルや家族連れで来たら、彼女や奥さん子供放っておいてマドンナ撮るわけにはいかないだろう。実際、留置された坊ちゃん列車を取り巻く人々はマドンナに「すいません、シャッター押してもらえますか」と頼むばかり・・・しかし、そこは男の一人旅、彼女らにずっとシャッター押させてばかりでなるものか!、と機関車の前でポーズを取ってもらう。ん〜いいよいいよ〜(●西監督調で)

隣の駅まで行って走りの写真など撮っていると、あっという間に発車時刻。乗車は切符を買ったときにもらった整理券の番号順となる。私は11番、まだ2両編成のどちらも空いている。かぶりつきと最後尾どちらに乗るか若干迷ったが、ここはかぶりついて運転を見せてもらおうということで、カマ次位の客室扉に陣取る。定刻にアトラクションのおじさん達に見送られて出発!(こちらもメカニズムや運用などなかなか興味深い点があるので、日を改めて詳しく解説します)

坊ちゃん列車は前述のように道後温泉松山市間の運転系統が主で、環状運転を行う市内線の南半分、城南線を約25分かけて運行している。仮にも蒸機牽引の軽便スタイルをした列車が併用軌道を走り、路面電車とすれ違うのはなんとも珍妙な光景・・・しかし、この乗車中にポツポツと雨が降り出し、松山市で下車、大手町まで1駅鉄道線である高浜線に乗車、環状北半分の城北線で一周して道後まで帰ってきた頃には土砂降り・・・

最後の最後で結局降られてしまったが、予報ではあまり良くなかったのに、4日、5日と快晴で、本日もなんとか持った。ここまで来れば仕方なかろう、とコンビニで傘を買い(乗り換えはまったく濡れずに済んだのだが、最後の100mがとてもダメ!なほどの土砂降り)、車に戻る。さて、本来は松山を昼過ぎくらいに発って、午後は香川でうどん屋のハシゴをする予定だったのだが(一時期「おそさぬ」が流行るちょっと前くらいにうどんに凝っていた)、すでに時刻は1800、これから行ってたら真夜中だ。うどんは諦め、私にしては結構マジメに撮り鉄をやったので汗もかいたし、予定にはなかったが温泉入って行くか!と着替えをまとめ、いざ本館に。
温泉情緒が楽しめる個室でお茶請けもセットになっているコースは大混雑だが、入浴のみなら400円、待たずに入れる。露天風呂というわけでもなし、趣向を凝らした国道沿いの外湯が林立する昨今では、くたびれた銭湯といった趣の本館だが、これも趣向と小1時間ゆっくりさせてもらった。これからまた12時間の耐久が待っている。しかし決して気が重いわけではなく、いくら距離を重ねても飽きない307CCとの長旅を控え、温泉でゆっくりするのもオレなりの贅沢、こんなに幸せでいいんだろうか・・・と湯船でニヤニヤ。といっても、すでに火傷の域に達している両腕の日焼けが痛くて、腕は湯に浸かることができず妙に不自然な姿勢なのだけれど・・・
本当に身も心もとろけるほどリラックスし切った後、1930出発。しかし、気分はかなり爽快で、さ〜頑張るぞ〜とカーナビの目的地を自宅にセット。カーナビも、道後温泉から自宅までの経路を探索するご命令が出て、まさに待ってましたといわんばかりである。しばらく後、はじき出したルートは瀬戸大橋・中央道経由で860km。あれ?神戸淡路鳴門道経由じゃないのか? と疑問に思ったものの、まあそれは無視して走ればいいこと、まずは松山インターへと土砂降りの中走り出したのであった。