空の後は広島・呉で陸海の乗り物を激写

Submarine of JMSDF

昨夜は柄にもなく、ホテルでノートパソコンを持ち出して展示機リストを作っていたりしたのだが、これがなかなか気持ちいい時間で、明日は早起きする必要もないし、テレビを見ながらうだうだして(広島ではタモさんをやっていないのが残念)、0130頃に就寝。
それでも0800過ぎには目覚め、さて今日はどこへ行こうか・・・せっかくここまで来たのだから、外来の帰りを押さえるべくまた岩国エンドに行こうと思ったのだが(「せっかくここまで来たのだから」って、そっちかい!)、昨夜の天気予報では猛烈な低気圧が南に近づいており、天気は昼の間は持つが、南風でしょう、とのこと。窓から空を見ると、確かに雲が猛烈な速度で北に向かって動いている。これでは、先日書いたようにほぼ南北方向の岩国の滑走路、離陸は撮影不可能な南側、いわゆる20方向にしかならない。明日も一日休みだし、夕方まで粘ることはできるけど、坊主も辛い・・・というわけで、岩国は諦めて「一般コース」、四国に渡って普通の観光をすることにした。

まず、307CCの広島での証拠写真を撮るべく、原爆ドーム周辺へ。カラミで撮れるポイントを探しているうち、どうせならということで原爆ドーム前で広電の撮影も行う。

初見となる国産初の100%低床車、5100形を狙うのだが、こういう時に限ってなかなか現れない。昨日は町中でも広島港でもよく見たのに・・・やっと来たのを撮ったが、こう望遠で圧縮した姿はそうでもないけれど、実物を目の前にすると、なんか「飛べ!孫悟空」の三蔵法師を思い出す造形なんだよなあ・・・(クチビル感?)

結局20分ほどいろいろ撮って、こんなもんかな・・・と、呉に向かって走り出す。ここですでに1時間は軽く消費している。松山に渡るフェリーは一日14便あるそうだが、時刻は調べていないしこんなことで香川でうどん食えるんかいな・・・とも思うが、まあ気ままな一人旅、気分に任せてブラブラと行くことにする。
といいつつ、あまりのんびりもしていられないので、広島呉道路に乗ったが、やはりETCがあるとつい軽い気持ちで有料道路に乗っちゃうんだよな〜フフフン、などと走っていたら、なんとこの道路ETCがなかった・・・さあ無人のブースに突っ込んじゃったから大変、バックして有人ブースに入り直す。またまたいい気分が台無し(怒)なんのためのETCなんだよ・・・まあ滅多に来るところではないけど、まだこんな大都市に未導入の道路があったとは。それでもオープンで古鷹山を右に望みながら走れば、気分も乗ってきて、2回目の料金所は慌てずに有人ブースに入って助手席越しに手を伸ばして料金を払う。と、沖を見れば、なんと!「おおすみ」型が3隻停泊している。おいおい、さすが呉〜! これはぜひ撮らねば!

呉ではまず写真でしか知らない有名ポイント、「アレイからすこじま」に向かう。確かに潜水艦は近いけど、護衛艦は後ろの方だし、ヴェルニーの方がロケーションとしてはいいじゃん、などと思いながらもそれなりに夢中になって撮影(笑)。南端の岸壁には訓練支援艦「くろべ」ATS4202と輸送艦「ゆら」LST4171が停泊しており、こちらは非常にクリアーな姿で撮れた。その後、先程走ってきた時に目についた「歴史の見える丘」まで戻る。

ここは「大和」建造ドックを真下に望むポイントで、正岡子規の句碑や大和の鐘楼をデザインした「噫(ああ)戦艦大和の塔」、ドックに使用されていた石を使用した「造船船渠記念碑」、「海軍工廠記念塔」などの各種モニュメントが設置されている。そして、その前に延びている歩道橋を向こうに渡っていくと・・・

なんと圧巻の光景!大和建造ドックの建屋が目前に迫り、隣にある現役のドック(旧海軍工廠第3ドック 能力40万トン)では大形船舶が建造中。大和のドックは現在旧海軍工廠(造船部)の敷地で操業しているIHI(当時・現マリンユナイテッド)により1993年に埋め立てられてしまい、現在では工場敷地の一部となってしまっているが、機密保持のために一面をむしろで覆ったという高さ49mの建屋は現在でも残っており、「大和のふるさと」の文字が書かれている。
さて、すでに時刻は1130を回り、また時間オーバーである。この後はフェリーで松山まで渡るのだが、航路は呉から出る便と山をひとつ越えた裏側、阿賀から出る便の2航路あり、阿賀便の方が安いのだが、松山方でもちょっと離れた所に着いてしまうらしい。まあそれで安いのだろうが・・・それより、どこかで「おおすみ」型の3隻を撮らなければ・・・と、港をはさんで反対側の岸壁に行ってみたが、こちらからはさっき撮れなかった護衛艦が丸見え!しかも大和ドックもなんと307CCとカラミで撮れるポイントを発見。

こりゃええわいとパシャパシャやっている時に、ふと気がついた。陸地でうろうろ撮影ポイントを探し回ってるより、呉本港からフェリーに乗ればいやでも沖停泊の「おおすみ」型は撮れるじゃん! ということで、見学客で混雑する大和ミュージアムの隣にある呉フェリーターミナルに。乗船レーンに車を停めたら、なにやらすぐにでも動き出しそうな雰囲気で、船が1隻着岸寸前である。急いで車検証を持って乗船券売り場に行ってみると、次の便は1155発、そして時計を見ると・・・1156!? うわ大変だ!「1155の便はもう出ちゃいました!?」「いえ、まだじゃないかしら・・・ちょっと待ってね・・・ああ、まだみたいよ、切符は船内で買ってね」慌てて車に戻り、乗船口の係員に「切符は船で買えって言われたんだけど」「ああそう」ということで乗船したところ、すぐに出航となった。

ところが、遅いように見えて意外に行き足の速い船のこと、ここでモタモタしていたら、「おおすみ」型を撮り逃してしまう。大体、その前に護衛艦桟橋がすぐ横に迫ってきている。というわけで、乗船早々機材一切を担いで後部デッキに陣取り、切符は後回しで撮影に没頭。

まず左舷に見える護衛艦群(右からうみぎりDD158、はつゆき型護衛艦―艦名不明―、てんりゅうATS4203、ひえいDDH142、あけぼのDD108)をガシガシ撮った後、右舷に移り沖泊めの「おおすみ」型3隻を舐め回すように撮影する。

いくら母港とはいえ、こんな豪華な顔ぶれはいつも見られるものでもなかろう。観艦式でも絶対に見られないスリーショットを1枚の写真に収めるという奇跡・・・さすが海軍の町だニャ〜。

でも、やはり港内は手狭そうで、この大形輸送艦3隻も恐らく沖泊めが常態化しているのだろう。乗組員も不便だろうなあ。改めて海図を見てみれば、外洋に出るのも本当に大変そうだし、港湾の自体の抗堪性も重要だった帝国海軍の時代ならともかく、こんな奥まった所にあるのが現代の自衛艦隊には決して使い勝手のいい港とも思えない。フネだけ増えていっても、現実問題母港の確保まで考えないと・・・と考えさせられた「おおすみ」型3隻であった。

フェリーの乗船時間は約1時間50分、瞬きも忘れるほど夢中になって撮ったのが一段落したら、フェリーは呉本港に別れを告げ、何やら細い水道に吸い込まれてゆく。前には尾道大橋のミニ版のような橋がかかっているが、こんな狭いところに入って大丈夫なのか!?
待て、次号!(笑)