岩国行帰路&総括

307CC charging gas

松山は道後を1930出発、ひと頃よりは勢いが衰えたが、まだ雨の降りは強く、早く東に抜けて脱したい・・・と思えど、降り出しが予報より早く、すでにかなり向こうまで行ってしまっているのかも知れない。それだと気が重い・・・雨が降らなければ、もちろん屋根は開けて走るつもりなのに。
松山インターまでは20分ほど、右折のレーンは前も後ろも「新宿」などの行き先のバスばかりである。同じ所に帰るのか、どっちが早いんですかね〜。ま、お互い気をつけて行きましょうや・・・と思ったら、なにやら入口が塞がっている。もしかして大雨で通行止め!? いやいや、1回待たされて次は動き出したが、手前にバスがハザードを出して停まっている。何やってんだ・・・どうも、別の車とこすったようなことらしい。早速やってんのか!? 先が思いやられますな。
松山道に乗ったのは2000を回ろうとする頃だった。同居人は0100頃には帰ると言ってあったのだが、この時点でもちろん無理な話、休まず走っても0500という計算になる。まあ、今日はスタートが早いし、変なプレッシャーもかからないのでかえってリラックスして眠気も感じない。しかし、雨の勢いは時々土砂降りのようになることがあり、運転しつけないFF車ということもあり、当初は抑えペースで行くことにする。音楽もそういうのを選んで・・・しかしこのナビ、ミュージックサーバから自動でかけっぱなしにしていると、真っ昼間からT-スクエアのライブがかかったり(あれは夜に聞くもんでしょう)、真夜中の高速で眠気を誘う野田幹子のバラードセレクションがかかったりするので、その度に「そっ、それじゃないでしょう!」とか突っ込みを入れつつ手動選曲をする羽目になる。まあ、その掛け合いが楽しかったりもするのだが・・・(一人上手と呼ばないでくださいっ!)
高縄半島を横断するため、松山道は西条までは真っ暗な山の中を走る。たたきつける雨でほとんど見えはしないが、街の灯りがチラチラと見え始める頃、新居浜の辺りで、走行5,000kmを突破。2月5日納車だから、ちょうど3カ月である。このまま行くと年2万kmペース・・・さすがに走り過ぎか? でも、今は307CCと走るのが楽しくてしょうがない。長いことアイポイントの高い車で走ることに慣れて(前にも書いたけど根が鉄だから電車を運転しているような視点が楽しい)、ハコに乗ってすぐに嫌になるんじゃないだとうかと心配したけれど、それも杞憂に終わったようだ。あ、でもこの車正確にはハコじゃないか。

いよいよ四国脱出となって、さて瀬戸大橋経由か明石海峡大橋経由か決断しなければならない。が、地図で見たところ明らかに一度真北に上がるように見えて、距離の長そうな瀬戸大橋経由だが、ロードマップの高速料金表で見たところ、その差はわずか400m(!)だそうだ。逆に、よくそんなピッタリ合わせたもんだと思うが・・・全然短くはなかったが、長くもないのでよほど淡路島経由で行こうと思ったが、こちらは料金が1,000円ほど高い。まあナビの指示通り瀬戸大橋経由で行くか、と坂出で左に転舵、いよいよ本四架橋横断だ。
昼間は見慣れた瀬戸大橋だが、夜の光景はまさに圧巻。右側前方には火力発電所と石油コンビナートの灯りが、前方には主塔が、どちらもオレンジ色に光っている。そして、単独橋のベイブリッジや虹の橋と違い主塔の連続した姿が、近未来・・・しかもそのスケールの雄大なこと!。コンビナート片側4車線もある広大な道が、ゆるやかなスロープを描いて単径間のピークに向けて登っている。渡りきるまでにどの位の時間がかかるのだろうか・・・まず最初の南備讃瀬戸大橋を通過。横を見ると、昼間はあんなに狭いように見える瀬戸内海は真っ暗だ。大分小降りにはなったが、まだ雨は降り続いている。残念、屋根を開けて走ったらどれほど気持いいことか・・・
次の北備讃瀬戸大橋を渡れば、与島である。PAが設置されており、食事はここでと決めていたので、側道のループをグルグル回って降りていった。時刻はすでに2300近く、車の数も少なく閑散としている。目の前に横たわる巨大な橋には、ちょうどJR四国の2000系特急気動車だろうか、列車が走って行く。晴れていればここでまた大撮影大会となるところだが、いかんせんこの状況ではカメラを持ち出す気にもなれず。さて、食事・・・PAにはフードコートが設けられており、結局うどん紀行はできなかったのでぜひ瀬戸大橋でと思ったのだが、唯一のうどんメニューである冷やしぶっかけは、う〜ん、特に可もなく不可もない仕上がりだった・・・しかも私にはとても物足りない量で、550円。

夜とはいえ景色がいいわけでもなく、こんなはずではと首を傾げつつ(いや私にはよくある失敗なんですけどね)、早々に食って本線に戻ることにする。ところが!
このPA、知ってはいたが与島へのランプに隣接しており、アミューズメントパークであるフィッシャーマンズワーフにも行けるのだが、高速が島の外に出る唯一の道のためか、出入りが変則的になっている。PAを出たところで、通行券をチェックするブースがあるのだが、ETCの場合はどうするの?「カードをチェックするので出してください」そう来たか! うちのETCはグローブボックスの中なのだ。取付場所の関係で運転席からではなかなか取りにくい・・・体を伸ばしに伸ばして、やっと取り出すことができた。ここでおじさんに渡して、チェッカーに通すらしい。ったく、広島呉道路といい、いちいちメンドクセーな・・・しかも戻されても、普段出し入れしないからどの向きに差し込んだらいいのかわからん。ここで間違ったら八王子(瀬戸大橋のど真ん中で八王子に思いを馳せるのもなんだが)でゲートに激突であるので、慎重に・・・「カードを認識しました」との声。結構こういうことが疲労の元となる。寄らなきゃ良かった・・・
下津井瀬戸大橋を渡りきれば再び本州に戻ってくる。ETCのため目ん玉飛び出るほどの料金を取られる痛みを実感しなくて済む料金所を通過、倉敷で山陽道に復帰すると、0時近いというのに結構交通量が多い。ここで給油以来の走行距離が430kmとなり、なかなかエネオスが出ないという行きの過ちを繰り返さないために吉備SAに給油のため立ち寄り。バカバカしい、各駅停車だ・・・と、スタンドを見ると長蛇の列。20分くらいはかかりそうだ。それなら諦めるか・・・仕方ないのでさっき物足りなかった食事の続きをすることにして、牛丼定食580円也を食う。1つずつ入って飯を食うのは私も初体験である。ここで結構な時間のロス。
結局、山陽道はずっと交通量が多く、平均で85kmほどの走行を強いられた。中国道に入り、吹田の手前ではついに渋滞!もう0100にもなるのに・・・まあ、そこそこで脱出でき、名神はまた流れ出した。しかし、この時間で渋滞とは、四国を早い時間に出て、日付が変わるくらいに東京に着こうと思ったらこの辺でもっとひどい渋滞に巻き込まれたわけだ。遊びすぎたけど、まあ結果オーライということで。

結局ガスはやはり次のエネオスSA、多賀まで持たず、行きと同じく大津でまた10リッターだけ給油。ここも各駅停車で入り直し、多賀で満タンにできた。後は無給油で大丈夫だ。小牧から中央道に入り、ここからは一挙にペースアップ! なかなかここでは言えないような平均速度になってきたが、そうするとやはり四駆とは緊張感、疲労度が違うのを実感する。それでも習性で、前に現れる車を斬っては捨て、斬っては捨て・・・恵那山トンネルに突入すれば、マルチファンクションディスプレイ表示の平均速度が見る見るうちに上がってきた。そこまでの走行距離(=分母)がすでに600km以上あるので、目に見えて変化するとはよほどペースが上がったのだろうと思う。駒ヶ岳SAで一服して、再び走り出した頃にはすで0330、もうすぐ東の空が明るくなってくるはずだ。曲はSPEEDの「Starting Over」が終わって、浜省の「ON THE ROAD」ライブになる。あ、これ、久しぶりに聞いたけど、いいなあ・・・真夜中の一人でのドライブには最高だ。でも願わくば、夜が明ける前に聞き終わりたいが・・・しかし、諏訪湖を横に見て走っている辺りから、空はほんのり明るくなってきた。
その後は順調なドライブで、自宅には0600到着。雨は小淵沢の辺りで止んだが、結局帰りは一度も屋根を開けられなかったのが残念である。さて、今回の岩国行を総括すると・・・
5月6日の走行距離は広島―松山間51km、松山から自宅前は883km、 総走行行程は1,890kmとなった。全行程の平均速度は76km/h、行きの平均速度は非公表(笑)、帰りは94km/h。そして、多賀の給油によるこのセクションの燃費は、メーター708km÷59.44リッター(大津10リッター+多賀49.44リッター=11.91リッターを記録。これは記録更新の数値となる。307CCは高速走行でも変な癖がなく、いくら走っても疲れないおかげで行き帰りとも到着時点でまだまだ走れそうな勢い、これじゃ走行距離が伸びるはずだよ・・・今度は鹿児島までイッキ走りしてみようか。
レンジでも成し得なかった四国上陸を果たし、2,000kmを軽〜く走り抜いた307CCふうこ号。低いアイポイントも、右手で感じる冷たいシフトノブの感触も、もうすっかり自分のものになってきた。これからも我々を、未知の世界に連れて行って欲しい。そして願わくば、次の週末も晴れでありますように・・・