或るAV女優と戦国武将の話

Kurobe trolley bus type200

ワシは常日頃から、名字と名前のまいっちんぐもといマッチングと言うことについて、人一倍気にしている方なんである。
同居人がそうなのだが、名字にも名前にもなりうる単語ちゅうのがあるやろ、もしこの人こそが運命の人!と思っていい具合に相思相愛になったりしてもな、広江弘恵とか和泉泉とか里見聡美とかになってみい、やっぱり所帯持つのは躊躇するやろ・・・と、なぜか夢想しては、自分の身にはもう降りかかることのない不幸に怯えるのである。
例えばヨネスケ。もし万が一、米倉涼子と競演が縁で熱愛が発覚したとするわな。いやいや、万が一ですわ、黙って最後まで聞きなさいよ・・・ヨネスケと大して年の変わらん(ひょっとしたら年下かもしれん)涼子の父親から、我が家は一人娘で嫁に出すことはできません、ついては婿に入っていただけませんでしょうか、と言われ、はたと2人で考え込む・・・婚姻届に書く名前が米倉ヨネスケ。バカにしとるんか!との港区役所(推定)戸籍係のつぶやきが聞こえてきそうである。なぜ、なぜにヨネスケなどという珍妙な名前をつけたのか、私は彼の父親を呪う。我が子の幸せを願わない親がどこにいるだろうかと(あっ、待って、最後までワシの話を聞いて〜!)
で、最近コンビニでオトナの雑誌などを立ち読みしていると、やたらと目につくのが範田紗々という姉ちゃん。絶対一発で変換できないので、書くのが面倒なことこのうえない。まあそれは置いといて、え〜なになに、「東京大学物語」で体当たりのセクシー演技・・・まあ早い話がエロ要員だわな、でも・・・オロ!? なかなか可愛いではないか、もうすっかりグラビアなんてどうでもいいような年でいちいち覚えてなんかいられないが、これは覚えた! しかも、一応グラビアでギリギリ踏み止まっているのかと思っていたのに、なんとAVデビュー!? っしゃ〜! 喧嘩上等芳賀書店最大戦速回転翼角整定!
・・・あ、いや、コホンコホン。まぁ〜ね、あれだよほら、周囲の説得に負けたのだろうが、無理にそちらに行かなくても、深夜枠なら全然タレントで通るのに、もったいない・・・なんて男のやせ我慢。しかし、これなんて読むの? ったく、最近の娘はぁみだとかきいだとか珍妙な名前ばっかりつけやがって(いちいち覚えてる)、父親は娘をなんだと思っておるのだ〜(バカ)と憤ってみたところで、この極めつけの珍妙な名前についてしばし考えてみた。
いかにもインパクトを狙ってつけたのがありありと伺える彼女の名前は「はんだささ」。まあ珍妙で耳に障る名前が昨今のトレンドなら、なかなかいいセン行ってるんだろうが、彼女の運命の人が佐々さんだったとしたら・・・
サッサササ、サッサササ、サッサササ・・・
その響きが、頭から離れなくなったorz
佐々という名字は音では「さっさ」と読み、戦国武将として知られる佐々成政をはじめ、中京圏に比較的多く見られる一族である。ちなみに、この名字の有名人といえば初代の内閣安全保障室長を務めた佐々淳行がいるが、彼は成政の子孫だそうである。
尾張の国、春日井の豪族に生まれた成政は織田信長柴田勝家の家臣を務め、後に越中富山城城主となるが、豊臣秀吉に敵対し、徳川家康側についたものの、小牧長久手の戦いで秀吉と和議を結んでしまった家康を翻意させようと、1584(天正12)年冬、富山から浜松まで自ら説得に赴いた。結局この説得は失敗に終わり、翌年佐々氏は秀吉の軍門に下るのだが、この真冬に現代でも秘境として知られる黒部峡谷針ノ木峠を越えるという命知らずの壮挙いや暴挙は「ザラ峠越え」として後世に語り継がれている。大体、殿様自ら居城を空けてそんな危険な山登りをやるかな・・・
後立山連峰の最南端に位置する針ノ木岳は標高2,821m、タイトルPhotoの立山黒部アルペンルートを構成する長野県扇沢黒部ダムを結ぶ関西電力トロリーバスの走る関電トンネルから3kmほど南に下ったところに聳えている。短い夏も終わり、あと2ヶ月もすれば一帯は深い雪に閉ざされる・・・最近行く機会がなかなかないのだが、つまらん連想から私の心のふるさと、黒部に思いを馳せたひとときであった。範田紗々クンも、せっかくそんな名前を頂いたのだから、遠く戦国に生きた壮大な男のロマンに触れに、黒部を訪れていただきたい(ボッ、ボクの車に乗ってく?)
なんか、訳のわからん日記になったな〜