ババリアの王子実家に帰る

running on the BMW320

事故から、もうすぐ2カ月になる。
この間中、ずっと320に乗っているのだが、いい加減2カ月も乗っていると、307CCの6分の1近くになっているわけで、代車というにはあまりに長い付き合いになってしまっている。まさかビーエムにこんなに長い間乗ることになろうとは、夢にも思わなかった。
ぶつくさ言いながらも、結局のところこれほどの車を宛われてまんざらでもなく、ここ数日は事情があって毎日乗っているのだが、結局遠出したのは先週の鎌倉が一番の距離で、昨年後半あれほど出歩いたにもかかわらず、すっかり大人しくなってしまった。
もちろん、代車だからと遠慮しているわけではない。条件さえ合えば佐世保まで走るつもりだった位なのだから。しかし、何の変哲もない4ドアセダンである。別にこれで遠出したところで心が躍るわけでもないし・・・実用品だもんねえ。
しかし、この2カ月という決して短くない月日を共にした代車号について、皆さんにぜひお伝えしたいことがある。それは「飽きたけど、飽きない」というパラドックス。読み返してみれば、この記事の文頭から肯定的なんだか否定的なんだか、評価が交互に層を成しているが、これがまさに今の心境をよく表していると思う。つまり、こういうことである。正直、屋根が開くわけでなし真っ赤な本革のトリムに囲まれているわけでなし、毎週ハレの日の「のりもの感」をビンビン感じていたい私としては、テレビや布団や便所と同じ種類の生活用品としか意義を見いだせないのである。その点では、もうとっくに飽きている。
しかし、テレビや布団や便所とは違う、「クルマ」としてこの320を見れば、重いステアリングが醸し出す重厚かつインフォメーションの伝わってくるハンドリング、これで最下級グレードとは信じられないノイズの少なさ、落ち着いたドライビングポジション、座り心地のいいシート・・・さすが世界の高級車の一角を占めているだけあって、街を流しているだけでもクルマの基本所作には飽きるところがない。レーンチェンジも、セミオートマでのシフトアップですらも、ある種のときめきに取り憑かれて行っている。
ユーミンの子供時代のエピソードではないけれど、人間、一度は一流に触れておかないと、評価の基準軸がうまく形成されない。もうすっかりイヤミな舶来かぶれになりつつあるがw、不幸な事故の副産物とはいえ、このような体験をしたのも無駄ではなかったかな、とちょっと思っている。数年後、ビーエムオーナーになっているかも・・・
しかし、所詮は代車、予想よりも長かったものの、さすがにお別れの日が近づいているようであります。