2代目ふうこ号、誕生。

a speedmeter of 307CC

空気は冷たく、肌寒いながらも雲一つなく晴れ渡った一日。

やって来たのは、練馬自動車検査登録事務所
1月13日に事故って以来、本日は初代ふうこ号の2回目の月命日にあたる。この2カ月間、当初は同乗者の治療費請求などの手続きに追われ、後半は次期車両の選定にかかったものの、各項目費用の負担についてディーラー、保険会社と3者で揉めて、仕事のサイクルなどもあり、いつまで経っても買い換えの手続きに入れないでいたが、本日をもってようやくカタをつけることができた。
数週間来、用意・取得してきた書類を提出し、30分ほどで手続きは終了、ナンバー交付所でドライバーを借りて、旧ナンバーを返却、新ナンバーを取り付けて後部は封緘をして・・・

当日記にたびたび登場し、いろいろ相談に乗って頂いたり飲みに誘ってくださったりするPJ氏だが、実は307CCオーナーでもあり、数あるラインナップの中でも、特に307CCには思い入れがあるということで、私の初代ふうこ号(もうこの表現も解禁だろう)にも何かと気をかけて頂いた。お会いするのは大体飲みの時が多いので、車をお目にかけたのは正月の京都駅前、帰省の途上に連絡を取って八条口でお会いしたのが最初で、結局これが最後になってしまった。その10日後に事故を起こしてしまったので・・・
事故の顛末は1月13日から数日にわたる日記に書いたとおりだが、当時アヴァンタイムムルティプラを次期車種に選んで出物を探していたとき、この307CCに乗ってみないか、との申し出を受けた。同じ車種ではゲンも悪いし、前述の通り当初今度は大人数を乗せてゆったりと走れる(できれば国産のミニバンではない)ものを、と考えていたので、お断りするつもりだったのだ。その頃は選定もかなり煮詰まってきていて、1日ごとにアヴァンタイムムルティプラが交互に襲ってくるものの、どうせ買うなら無理してもド珍車を!とアヴァンタイムに覚悟を決め、幸いちょっと遠いが、ある県のルノー正規店に手頃な出物があったこともあり(そう、国内販売150台しかないのでは、買う気満々でもタマがなければ話にならない)、週末に見に行くと連絡を入れて、何度も支払いのシミュレーションを繰り返していた。
その週末、土曜にちょっとドライブにでも行かないか、との氏からのお誘いがあり、ご自宅に伺ってみると、初めて見る307CCが、すでに屋根を開けて待機しているではないか! う〜ん、これは売る気満々だ、いや乗せられないぞ乗せられないぞ、明日は静○までアヴァンタイム見に行くんだ・・・初めて助手席に座ると、ここまで乗ってきた320に比べて、なんと不思議なことか。本当に遊園地の乗り物みたいだ。そして走り出してしばらく・・・
ひと月ほど忘れていた、307CCの感覚を思い出す。それも、運転しないで初めて空を見上げ、脇見をしながら揺られていると、これはこれで捨てがたいような気がして・・・横浜に着く頃には強固な意志はグラグラになっていた(笑)
昼飯を食いながら、細かな話し合いをするも、私が最後まで(実は今もなお)引っかかっていたのは、ボディカラーがアルミナムだということ。アルミナムのCCオーナーの方には大変申し訳ないが、私、どうしても銀は嫌だったのだ。CCのカラーの好みで言えば、一番はひょっとしたらネイシャかもしれない。その次位に初代のカラーであるモンテベロ、いい意味でのおもちゃっぽい質感のアデン、なにげにマニトバ、黒、バビロン、モンテクリストサラマンカと並んでアルミナムが最下位。これは今でも氏とは見解が平行線のままで、まったく意見の一致を見ず険悪な雰囲気になるのだがw、もともとCCはデザイン上濃色は似合わず、ボディが薄いので銀が一番似合うように造られているというのだ。これはプジョーの公式見解でもあるという。それはわかるのだが、わかるのだが・・・いかんせんト○タ車っぽさが抜けない。実は白があればそっちの方が似合うと思うんだけどなあ・・・
しかし、初代を買うとき、まだT5のカタログもあったので、全部見比べて「この内装いいな〜!」と憧れたフュージョンは、このアルミナムと黒にしか設定がない。考えてみれば色のコーディネイトとしては当たり前の話で、外装モンテベロだったらフュージョンが合うわけがないのだが、当時はそこまで考えが至らず、内外装のカラー適合表を穴の開くほど見つめながら身悶えたものだった。いずれにしても、T6になってからのフュージョン仕様では赤の部分はシート部に限定され、ダッシュボード・ドアトリムは黒と大人しいデザインになって魅力も半減してしまったし、外装色優先、しかも納車時にはSportは事実上モンテベロしか選べなかったので、内装色は自動的にパランブロとなり、悩む必要も、余地もなかったのだが。しかし、このT5のCCは、あの憧れの全面フュージョンで車内が華やかに飾り立てられている。まさにバーターというか、外と中でプラマイゼロなのか、若干プラスなのか、それともマイナスなのか・・・
顔のデザインも、こちらも賛否がはっきり分かれるところだが、やはりT6で知って、T6を買った世代の人間としては、グリルのあるT5の顔には若干違和感を感じざるを得ない。新形に乗っていたのに、なぜ旧いモデルに乗り換えなければならないのか・・・しかし、決して説得に負けたわけではなく、ある時自然に、私はこの出会いの運命を受け容れた*1

307CC、T5アルミナム・グレ−のLHD。登録は2004年12月ながら、新車同然のまさに「PJの隠し玉」の1台である。LHDということは、自動的にマニュアルということである。これが右のオートマだったら、またまた同仕様にお乗りの方には大変悪いが、選択の目はなかっただろう。かなり小さな確率の偶然が積み重なってできた、奇跡のような運命の環が閉じてできた結晶。
譲渡時の走行距離はなんと3,159km。これは廃車時16,693kmに達していた初代の2割にも満たない距離で、厳密に言えば慣らしも済んでいない。

恐らく、同期中最少走行距離の1台だろう。これでも伸びた方で、初めて乗せてもらった時は2,300km位だったが、このひと月ほどで惜別ドライブなど駆け込み需要で大幅に伸びたようだw 聞くところによると、ほとんど乗る機会がなく、かつシートカバーをかぶせて駐車しているので、見れば見るほどピッカピカ、納車が2年も後の初代の方がよほど傷だらけでくたびれていた。しかし、この走行距離にもかかわらず、この車すでに2オーナー車。初代のオーナーはPJ前社長、リチャード G.マレー氏だったのだ。UCG2006年8月号をお持ちの方は特集のグラフ記事をご覧頂きたい。ここにインプレが掲載されているのが、この車である。その由緒正しき車を、お前が継承しろと託されたのだ。
新たな車検証が交付され、名義も私のものとなった。澄み切った青空の下、2代目ふうこ号のロールアウトだ! ナンバーも、事前に希望番号を申し込み、初代と同じ番号にすることができた。キーを受け取り、先日の試乗以来2度目の運転席に座る。違和感や緊張はまったくない。2カ月前と同じように振る舞うだけだ。ただ、トルクがT6より若干細いような気がする。クラッチミートを今までよりちょっと長めにしないといけないかもしれない。小1時間ですべての手続きを終え、陸運事務所を後にしたが、まだ一日はたっぷりある。さて、これからひとっ走りしに行こうではないか・・・

俺は、これで行く。

*1:本当は、もっと複雑なメンタルの動きがあるのだが・・・詳細は省略w