追悼羽田健太郎氏

Blueforce2007-06-17

こんばんわ、最近土屋アンナまちゃまちゃが実質的に同じなのではと思い始めているBlueforceです。
ちょっと前の話になってしまうが、6月2日、作曲家の羽田健太郎氏が亡くなった。享年58歳。
羽田氏といえば、我が家では近年はすっかり「シュウマイのおじさん」という認識になってしまっていたが、私にとってはなんといっても「マクロス」の初期シリーズの主題歌・BGMを手がけたテレビ音楽作曲家としての業績が思い出される。
80年代初期、それ以前のお子さま物と異なり、ガンダム後のオタク文化の萌芽を感じさせる作品が次々と誕生し、テレビ欄に数え切れないほどのアニメ作品が曜日ごとに並んだ空前のアニメブーム。そのまっただ中で育った私が、今でも折に触れて口ずさむ、数々の作品の主題歌群。あの頃のアニメは、どれも現在第一線で活躍する一流の音楽家を使って贅沢に主題歌やBGMを作っていたものだった。今や北野映画では欠かせない音楽を創り出す作曲家として巨匠の名を欲しいままにしている久石譲。氏の作品で思い起こされるのは「機甲創世記モスピーダ」、今でもカラオケに行けばこの作品の主題歌「失われた伝説を求めて」を歌ってしまう。1コーラス目で半音下げて、2コーラス目で裏声まで上げるラストの所、今は私も声帯が細くなってしまってとても声を張り上げて歌えないけど、本当気持ちイイ!適度にアニソン感を残しつつもちょっと苦みの効いた大人のポップスのような仕上がりだし、エンディングの「Blue Rain」なんて、とてもアニソンとは思えないほどのR&B感溢れるバラード。私が持っている中で多分一番のお宝モノ「テクノポリス21C」のアルバムもこの人だったなあ、LPなんでもう再生できないけど、主題歌の「いつか黒船」もエンディングの「振り向けばラプソディー」もどちらも忘れられない。本当に当時の久石氏にはお世話になった。
かたや「新エースをねらえ!」や「戦闘メカサブングル」などで活躍した馬飼野康二。そういえばこの人「のりピー音頭」なんてのも作ってたんすね、この間テレビでクレジット見て思い出しました、それから「六身合体ゴッドマーズ」の若草恵、そして、アニソンといえばこの人を忘れちゃいけない、タイムボカンシリーズやJ9シリーズを手がけた奇才、山本正之。今だったら発禁モノの「愛のロリータ」がB面の「ななこSOS」のSP盤、持ってましたよ、あれ今売ったらいくら位になるんだろうか、どこにしまっちゃったかな・・・私、この「ななこ」と「テクノポリス」とスタジオぬえがデザインを手がけた「およげ!たいやきくん」が収録されているポンキッキのLP、あと吾妻ひでお画集の「日射し」初版本だけで、売れば10年位働かなくてもいいんじゃないか(絶対無理)・・・まあそれは置いといて、とにかくあの頃のアニメ音楽を手がけて、(その後脱皮したというか)当代一流のポピュラー音楽家になった人は多い。
で、マクロス、当日記を長らくお読み頂いている方なら私の好みはお分かりかと思うが、言うまでもなくズッポリとはまった一作である。本放送の当時厨房で、一応受験など控えておった身なのだが、第1回の1時間スペシャルが始まった時は仲間内で大騒ぎ、まだビデオが各家庭に1台備わっているような時代ではなく、ベータのJ7(もう、マジで今の若ぇモンは何言ってるかわかんねえだろう〜な〜)を持っている友達の家に皆で押し寄せて、毎日毎日全部で60〜70回ほどは見たと思う。特に最初の時はすごかった、今でも覚えているが団地で厨房が「ぬぅおおお〜」とか「きぇぇぇ〜」とか大声張り上げて、その日のうちに確か3回、だから3時間も見ていたのではないか。翌日以降はそれこそ毎日、6時間目も終わりに近づくと、誰ともなく目を合わせて、「今日もか〜?」もうそれはひと月目を過ぎることにはすっかりネタと化しており、毎日自宅を提供させられる方の奴も「またかよ〜」などと言いながら満更でもない表情(余談だが、この友達の父親は海自の人―航空関係の職種の人だった)。健全な男子だったら違うジャンルのビデオ鑑賞会なのだろうが、いや実はその方面も何度か開催されはしたが、やはり毎日押し掛けてみるのはマクロスの、第1回スペシャルだった。もちろん、作品も夢中になって楽しんだが、気の合う友達が5〜6人で集まってああだこうだ言いながら見るのがまた楽しかったのだ。

ガンダム世代ではあるけれど、プラモは夢中になって作ったが作品世界にはなぜかそれほど染まらなかった私が、本当に放映前の設定書を見て以来夢中になったのがマクロス、適度なお子様向け感を残したテイストの大河原メカも良いけれど、横須賀生まれで実際に空母に触れて育った宮武さんや天才メカデザイナー河森氏の手による軍オタ狂喜の設定は、当時アイドルにはまったく興味がなく毎日トムキャットかアメリカ海軍航空のことばかり考えていた若き日の私には、本当自分のために作ってくれた作品なのではと勘違いしてしまうほどのものだった(笑)。ただ、そのあまりにマニアックさが仇となったか、ガンダムのようにサーガとしては展開せず、国民的人気作品とはならなかったが・・・
ま、BSマンガ夜話にでも呼んでくれれば、そんなこんなを2時間でも3時間でも喋くってやるのだが、残念なことに国営放送からはお呼びがかからないのでこの位にして、その作品世界を彩る音楽を担当したのが若き日の羽田氏。まだ33歳? サントラ1作目に収録されたオーケストラ編成の映画音楽のような奥行きの深いBGM、特に宇宙空間を往く巨大宇宙要塞&ロボットの質感を感じさせるスケールの大きな19曲目「旅立ち」、アイキャッチやオープニング曲の間奏にも使われる短くも強烈なメロで始まる戦闘シーン御用達の11曲目「ドッグ・ファイター」など、今でも忘れられない曲が並んでいる。当時飯島真理が実際に文化放送で「Miss DJ」を担当していたこともあり、それに半ばタイアップした形で作品中の設定で物語が進行するドラマLP「Miss DJ」とか、アルバムも何枚か出たが、今は全部手元からなくなってしまった。ただ1枚、結婚式の時に2次会のゲームで流すファンファーレ用にと買った1枚目のアルバムのCDを持っており、さすがにこれを307CCでオープンにして聞く勇気はないが(高速流す時にはいいかも・・・今度サーバーに入れようかなあ)、結婚式以来ン年ぶりに聞いてみた。
ライナーノーツには、音楽アルバムだけあって各スタッフが並ぶ中で真っ先に羽田氏の一文が掲載されている。「ああ、生きるということは、かくも素晴らしいことなのか。喜びも悲しみも、生きる「魂」あってこそ、憎しみも絶望も「血の通う心」あってこそ、私はこの世に生きる」。氏は後年、長年の慢性的な飲酒がたたって体調を崩し・・・とWikipediaにある。もちろん、無数のアニメ・ドラマ音楽を世に送り出した人であるから、その作品は毎日のようにどこかで聞いているのだろうが(「渡鬼」も羽田氏の作だった)、さてその姿や人となりとなると、残念ながら冒頭に述べたようにシュウマイしか思い浮かばず・・・だから、ファンなどと称するのはまったくおこがましい話ではあるが、あの名作駄作おびただしい数のアニメがテレビ欄にひしめいていた頃に、ある作品で出会い、今でも口づさんだりふとした瞬間にメロが頭の中に流れたりする、そしてこれからも一生忘れないような音楽を創ってくれた氏には感謝。
考えてみれば、ポピュラー音楽と歌謡曲、若干ジャンルは異なれど、アニメでもいい仕事した作家として日本音楽史に残る巨人、宮川泰氏も昨年亡くなって、羽田氏はまるで追うように逝ってしまったのだ。実は両氏は「ヤマト」で一緒に仕事をしているらしい。あちら側で2人、今頃音楽談義でもしているのだろうか、並んでピアノセッションでもしているのだろうか・・・
そして、最後についでのようになってしまって申し訳ないが、その前日に石立鉄男氏も亡くなっている。「おくさまは18歳」や「気まぐれ天使」など、こちらもまさに世代なので、近年あまりテレビではお見かけしなかったとはいえ、64歳という若さでの死は残念である。皆さん、逝ってしまうのちょっと早いですよ・・・
羽田さん、石立さん、今までたくさん楽しませてもらいました。良い旅を、安らかにお眠り下さい。