VF-31"トムキャッターズ"への想い

Mug of VF-31”Tomcatters”

9月7日、空母キティホークKitty Hawk CV-63が約50日ぶりに横須賀に帰還。それに先立ち、4日には艦載機群も厚木に飛来した。搭載飛行隊のVFA-27ローヤルメイセスもスーパーホーネットになって戻ってくるし、そろそろ涼しくなってきて、秋のエンド撮りには絶好のシーズンだ。9月中にふうこを連れての展開を予定している(できれば複数回)。

夏中行われたらしい全世界同時展開演習"サマーパルス04"の余波で、日本近海もいつになく慌ただしいが、それに関連し先日佐世保に入港した原子力空母ジョン C.ステニスJhon C.Stennis CVN-74艦上に、トムキャットが搭載されていた。今日はこの「最後のトムキャット飛行隊」にまつわる話・・・

2007会計年度をもって現役部隊から姿を消すトムキャットだが、最後にスーパーホーネットに転換する部隊として予定されているのが、今回ジョン.C ステニスと来日したVF-31(第31戦闘飛行隊)"Tomcatters"。まるでトムキャットに合わせて名付けられた部隊名のようだが、その歴史は古く、アメリカ海軍2番目の戦闘飛行隊として1935年に創設されたVF-1Bまで遡ることができるという、屈指の古参飛行隊である。

同部隊が代々装備する機体に描かれているマスコットは日本でもおなじみの"フェリックス ザ キャット"。第2次大戦前の複雑な部隊の変遷のため、このマークを最初に採用したのはVB-2Bという別の飛行隊なのだが、戦後VF-1Bの後進であるVF-6がVB-2Bの後身であるVF-3とマスコットデザインを交換し(これについての経緯はいろいろあったらしい。人気デザインなので)、最終的にVF-3A(VF-3から部隊番号変更)が1948年からトムキャッターズという部隊名を名乗り、マスコットを使用するようになった。よって、飛行機の方よりも四半世紀も早く名付けられたのである。

爆弾を持ったフェリックスが可愛らしいこのマスコット、ファンも多く私もずっと昔にパッチつきのフライトジャケット(本物のCWU-45Pです!)を作ったとき、迷わず胸に縫いつけたものである。しかし、人気のある飛行隊の常として、大体大西洋艦隊所属なのである。よって来日歴は皆無に等しく、ベトナム戦争時に数回あるらしいがそれ以降は全く見る機会はなく、写真自体もあまり多いとはいえない。

同隊は1970年代を通じてCVW-3(第3空母航空団)に所属し、空母サラトガSaratoga CV-60と行動を共にしていた。当時飛行隊・航空団と空母の組み合わせは今のように頻繁には動かなかったので、我々の世代がトムキャッターズというと、CVW-3のテイルコード「AC」を尾翼に描いたF-4Jファントムを思い出す。実は本館トップの別館リンクバナーはこの頃の尾翼デザインをパクッたものである。ファントム時代は、というかそれまでの飛行機は単尾翼が普通なので、テイルコードに垂直尾翼を取られてしまったマスコットは胴体に描いていたのだが、1981年にトムキャットに転換し文字通りのドラ猫飛行隊となってからは、双尾翼の強みでテイルコードを内側に追いやり、晴れて尾翼を飾るようになった(双尾翼の一番のメリットは空力などではなく今までの2倍絵が描けることだ、というジョークがある)。

トムキャッターズは1980年代以降、海軍が推し進めた低視認性塗装、いわゆるロービジ塗装に対してもっとも頑強に抵抗し続けた部隊という伝説を持つ。これって、日本では考えられないことだが、敵に見つからないようにと当時最新のコンピュータ解析まで使って編み出したグレイの迷彩パターン塗装採用に対して、士気が下がるという理由で海軍の決定に従わなかったのだ。当時の隊長の意向が大きかったそうで、さっさと色味を無くして伝統のマークを申し訳程度に小さく入れるようになった部隊もあるが(てゆーか軍隊で命令なのだからそれが当たり前!?)、

一部の飛行隊は本当に頑強に抵抗し続けて、結局四半世紀経った今でもトムキャットの尾翼は真っ赤に塗られ、爆弾持ったフェリックスがデカデカと描かれている。ただ、これはハデハデ部隊でもおおよそCAG機と呼ばれる航空団司令機や隊長機に限られ、その他の機体はグレイの1色塗り。この辺が上層部と伝統を重んじる現場の部隊の落としどころであったのだろう。上層部としても、元は自分がいた思い出の部隊なので、その気持ちは良くわかっているのだ。どうです、こういう話聞くと、アメリカ海軍って無表情な人殺し大好きな戦争マニアの集団っていう先入観が取れて、所詮人間の営みなんだなってことがわかるでしょう。絶対服従のはずの命令守んないんだから・・・

冷戦終結前後、飛行隊・航空団と空母の組み合わせが激しく変わり始めたなかで、同隊も第6空母航空団・空母フォレスタルForrestal CV-59に移動し、1991年まで行動をともにした。翌年にフォレスタルは退役、第6空母航空団は解散となったが、伝統ある飛行隊は残すという海軍の方針に従い、異例ともいえる太平洋艦隊への転属が行われ、その後数少ないF-14D、いわゆるスーパートムキャットを受領し、現在に至る。

トムキャットに転換したのは決して早い方ではなかったが、その後D形を受領したという巡り合わせのおかげで、トムキャットの有終の美を飾ることになったVF-31。もし許されるのならば、何もかも投げ出し佐世保まで駆けつけたかったが、所詮空母艦上に並べられているだけで一般人が乗れるものではないし、数少ない来日というチャンスも、遠くから想うのみである。恐らく、これがVF-31の、いやトムキャット自体の最後の訪日であったろう。部隊自体は戦前以来の伝統を引き継ぎスーパーホーネット飛行隊として存続し続けるので、また見るチャンスもあろうが、猫がスズメバチの背中に乗れるかっちゅー話ですよ、これ。四半世紀守り続けてきた色味がどれだけ守り続けられるかというのもあるし・・・

艦載機は、見守る人の趣味のキャリアが一番充実していた時の飛行隊・航空団・空母の組み合わせが一番美しい。VF-31は恐らく多くの人がそうであろうが、「AC」のテイルコードを記入したファントムがサラトガに搭載されているのが一番似合う。もっともその頃はフェリックスが小さかったわけだが・・・そう望みながらも、トムキャットとの組み合わせ、ましてや「N」で始まる太平洋艦隊のテイルコードが書かれているなど、とても似合わないのである。でも、でも・・・嗚呼、私のトムキャッターズへの想い、いくら書いても書き足りない・・・(もうここまで読んでる方はいませんよね?)

写真はずっと昔に岩国のゲート前にあるパッチ屋で買った同隊のマグカップ。なんで縁もゆかりもない岩国で売ってるんだというツッコミは置いといて、大事な宝物である。
http://homepage.mac.com/izunton/