ヨシムラボンネビル・プロトタイプ

YOSHIMURA Bonneville proto type

ずっと間が離れてしまったが、ヨシムラのボンネビルプロトタイプマシンを紹介しよう。
昨年11月24日の日記で書いた、1990年のゴールデンウィーク、秋田は協和温泉四郎兵エ館で開催されたヨシムラのファンクラブ組織、「Pops club」のミーティングに参加した際、参加者各氏のマシンに交じり停めてあったのが、写真のマシン。
日本を代表する二輪コンストラクター、ヨシムラが1990年にGSX-R1100をベースに造り上げた公道走行可なコンプリートマシン、ヨシムラトルネード1200"ボンネビル"。ユタ州ソルトレーク・ボンネビルスピードトラックで開催される直線最高速レースの名を冠した、当時居並ぶカスタムマシン界でも最強の180PSを発揮する、モンスター中のモンスターとして内外に知られた存在である。市販車ではあるが厳密な完成品販売ではなく、1号車はアメリカの現地法人であるヨシムラR&Dアメリカが組み立て、完成品輸入車として販売されたが、以降は注文や顧客のレベルに合わせ仕様を決定し製作する完全な受注生産マシンで、ヨシムラでバイクを御するに足りない技量と判断された場合はいくら金を積んでも売って(造って)もらえないとも言われた。すべてのパーツを組み込みフルチューンした仕様では1台500万円と言われたが、仕様の定義によっては"ボンネビル"の名を冠するかどうかが別れる場合があり(完成品1号車以前にもボンネビルの名を冠するマシンがいくつかある)、フルチューン仕様は結局4〜5台しか製作されなかったという。
ボンネビルは1986年に登場したGSX-R1100Gの流れを汲む旧フレーム型最後のJをベースとしていたが、1100は1989年に前年フルチェンジした750と同じ新フレームのKにモデルチェンジ、ヨシムラも以降商品展開をするにあたってこの新形ベースのボンネビルの開発を進めていた。撮影時、エンジンはすでにステージ1のカムを組み込み、開発を進めている最中。車体もリアホイールがマルケジーニ、ブレーキホースはメッシュに、フロントディスクは鋳鉄に交換されていた。
GSX-Rに詳しい方が見ればひと目でおわかりかと思うが、このマシンの凄いところはフロント周りとカウルが750のものを装着していること。1100がデビュー以来750に比べてツアラー的な設定となっており、全体的にカウルが立ってハンドルもトップブリッジの上に取り付けられているが、見た目のスパルタンさ重視でそっくり交換されているのである。おかげで1100のもったり感はまったく払拭されており、その格好良さといったら・・・初めて見たときの感激は今でも忘れられない。しかし、当然のことながら750と1100では取り付けボルトの位置が全然異なっており、あちこちでステーをつけてつなぐという苦労が見られる。また、ディメンションが異なっているため、フォーク突き出し量も変更されている。まあそれも試行錯誤の試験中なので固定はされていないのであるが・・・
このマシンに乗って秋田までやってきた、当時開発を進めていたA氏の話では、カウルはすでに型取りも済んでいて、ライトにはプロジェクターを使用した斬新なデザインになるんで期待しててよ、とのことだったが、結局この次期マシンは日の目を見ることはなかった。ご多分に漏れずバブル崩壊である。500万円のバイクを支えることのできるマーケットが存在できなくなってしまったのだ。開発スタッフの中心であったA氏もいつしかヨシムラを去り、次期ボンネビルは幻の存在となり、ビモータのような海外コンストラクターと肩を並べる半完成品メーカーへの道は挫折してしまうのである。