配線の美学

TGV nord Europe running north of Par

ちょっと前に、職場の鉄の人間と語り合ったことがあるのだが、外国の、例えばロンドン、パリ、ローマといった首都クラスの大都市で、駅から長距離列車に乗ると、発車してからずっと長い間複雑な配線が絡み合い、あっちへ行ったりこっちに来たり、何本もある線路が下をくぐっていったり上を跨いだりと、その規模の大きさに驚くことがある。
ひるがえってわが国では、首都圏では上野駅、旧品川運転所周辺、鶴見の辺りの東海道線、関西なら吹田から大阪駅を鋏んで尼崎辺りまではその複雑さ、大規模さにワクワクさせられるものの、上記のように海外を知ってしまったら、子供の頃あれほど大ターミナルに見えた上野の配線など所詮2〜3度見れば把握できてしまうようなもので、その単純さに驚いてしまう。鶴見の辺りもそう思って見てみれば、各線路ともどこから来て、どこに消えて行くのか把握するのにそれほど苦労は要らない。もちろん、海外でも、都市間輸送、いやそこまで長くなくてもひとたびターミナル駅を出れば、どこかで路線は収束していって、最終的には複線になるはずである。が、海外はその距離が圧倒的に長いのだ。
誤解していただきたくないのだが、だから日本の鉄道が劣っているというわけではない。いや、むしろ優れているはずなのだ。恐らく、拠点駅の線路(路線ではない)延長/輸送量比という数値があったら、日本は間違いなく世界一だと思われる。複雑な方向別や快速・緩行といった種別の膨大なベクトルを持つ異なる太さ・長さの矢を、いかに束ねていくか、やはり日本人はこういった効率を考えさせたら世界一だな・・・ということになったのだが、それにしてもちょっと差がありすぎるのではなかろうか、と。
旅客駅のホームひとつを取っても、日本はその数の少なさが驚異的だ。例えば中央線の東京駅、あれは外国なら3面くらいあってもおかしくないし、線路は絶対に東海道線に接続しているはずなのである。その東海道だって、外国だったら最低5面は欲しいところだ。新幹線もどちらも5面欲しい。かくて、東京駅は在来線10面、新幹線10面の大駅となるのである。いや多分まだちょっと小さい。
で、本日ちょっとした趣味の会合というか会議があったのだが、またまた偶然というか、そのことが話題にのぼった。もともとは複々線の発生学、その定義についての議論だったのだが、そのなかで複々線が都市の大規模な鉄道の象徴のように言われるけど、あんなもの外国に行けばとりたてて騒ぐほど珍しいものでもない、そもそも近郊は全部複々線、もしくはそれ以上で数えることもできないし、「複々線化事業」などというお題目で作ったものではないのだ、という話から、前記の私の疑問のような話になり、皆でなぜなんだろうとひとしきり考えた後、やはり日本は土地も少ないし、資本を極限まで有効に活用せざるを得なかったんだろう、そしてこういう国民性だからそれを可能にするスキルがあったのだ、という結論に達したのだが、まあそれは妥当なんだろうが、どうも今ひとつ割り切れないものが残るのである。
例えば、ヨーロッパもあちこちで民営化が進んで、上下分離の国もあるけれども完全民営になった所もある。都心部にあれだけの広大な(無駄に見える?)配線のスペースがあったら、固定資産税だってばかにならないし(減免措置があるのか、それとも課税対象になっていないのか)、保守管理も容易ではないはず。日本ほど土地の有効利用にカリカリしなくていいのがわかるが、それにしたってデベロッパーが指くわえて見ていそうなものである。ヨーロッパだって、ここ10年で車両はメーカー再編もあって大きく情勢が変わり、高速列車・機回し不要の電車方式が増えれば配線も旧態依然のままでは冗長に過ぎたり、使い勝手が悪かろう。なにより鉄道を取り巻く社会の仕組みも様変わりして、日本ほど貨物輸送に冷淡ではないけれど、そうそうインフラを遊ばせておく余裕があるとも思えない。
新宿駅大阪駅で進んでいる配線のスリム化などというのは、外国の鉄道技術者が聞いたらまったく理解不能な投資なんだろうなあ。
Photoはパリの北、TGV北ヨーロッパ線が在来線から分岐するGonesse-Arnouvilleを通過する2編成併結のTGV524編成。東京でいえば赤羽のような場所である。