岩国オープンハウスフェリーツアー

a scine of Seto-uchi sea

今回の岩国ツアーでは、先に述べたように広島港から楽々フェリーツアーで上陸を果たしたのだが、これが単なる移動手段に留まらず、風光明媚な瀬戸内を巡るなかなか秀逸な小旅行だったので、項を改めてここで紹介したい。
このツアーを知ったのはこれも先に述べた通り某掲示板の然るべきスレなのだが、広島港を朝発って岩国基地の岸壁に直接上陸、岸壁より会場まで連絡バスに乗り、帰りも同じルートで一切車に乗らず渋滞知らずの行程が魅力。私はまったく知らなかったのだが、複数の業者がツアーを設定しており、知名度も高く毎年かなりの固定客がついているらしい。
私の参加したツアーはhttp://www.setonaikaikisen.co.jp/ehimedia/travel/が主催する日米フレンドシップデー岩国基地見学ツアー。これ1つでも瀬戸内海汽船保有する手空きの船舶をフル動員するため、私の乗るベーシックなフェリーをはじめ、クルージングシップ「銀河」、高速船2便と計4便が設定されている。所要時間はフェリーが約1時間40分なのに対して「銀河」が約1時間30分、高速船が約50分。料金はそれに反比例してフェリーが6,000円、「銀河」が6,500円、高速船が7.500円。高速船は(設定時刻上)早く着くのではなく、遅く出て同時刻に到着することになっている。つまり、高速船に乗っても場所取りレースに勝てるわけではない。というか、どの便に乗っても前夜から車で泊まり込みの脚立組には勝てない時刻設定なのである。

広島港フェリーターミナルは広島駅から広電5系統の終点・宇品に隣接しており、アクセスも便利。車の場合は駐車場が一日1,000円で利用できる。旅行の案内にはいっぱいになる可能性があるのでなるべく車でのご来場はご遠慮下さいと書かれているが、まず満車になることはない。いずれにしても車でも電車でも便利な所なので、お好みで選択できる。

私が参加したフェリー便は0730集合、0800出発。すでにターミナル前は大勢の家族連れなどでごった返しており、仮設のテーブルで乗船受付を行っている。目についたテーブルに「フェリー便なんですが・・・」と申し出ると、違う業者だった(^^;) 複数の業者があるのでかならず横の貼り紙に書いてあるツアー名を確認のこと。
私はギリギリのキャンセル待ちで繰り上がったので、日程表もファックスでの送付となり、料金の振り込みもできず、現地で直接払って下さいとのことで、受付で6,000円を払う。弁当をオプションでつけることができ、当日どうしますか?と聞かれたが、朝飯は食ったし一応サンドウィッチを買ったのでパス。ただし、船内にあるのは飲み物の自動販売機だけで、食事の販売は一切ないので、朝食を抜いた人は注意したい。ただしこの弁当、1食1,000円とのことなので、それならコンビニで買えば・・・

本日のフェリーツアーに充当されるのは宇品(広島港)―切串(江田島)航路に就航している総トン数360トンの小形フェリー「第八はつひ」。横一列にずらりと並んだ各航路のフェリーが壮観である。東京に住んでいると、フェリーなど東京湾フェリー位しか乗る機会がなく、ついアトラクション的なものに考えてしまうのだが、瀬戸内に住む人々にとってフェりーは日常の交通手段。東京都民で晴海の客船ターミナルを利用したことのある人はいくらもいないだろうが、広島港は次から次へと船が発着し、ターミナル内は常に人でごった返している。これが、まず東京人にはカルチャーショック。というか、日本中でも瀬戸内以外ではなかなか見られない光景だろう。
乗船したところ、すでに客室内は満席で座る余地はない。まあこちらはデッキで見物&撮影のため座るつもりなどはなからないが、見たところ客層はほぼ100%カタギの方々。小さい子供を連れた家族連ればかりで、脚立はおろか一眼レフを持った(持っていると思われる)人間は数える程しかいない。恐らく私を含めて5人。これは意外だったが、現地に到着して納得させられることになる。

0800定時に出発。予報に反してベタ曇りで肌寒く、デッキに立っていると上着なしではいられないが、船室内には居場所もない。港内にはさまざまな船舶が出入り&停泊しており、こちらの御座船も動員されていたらしく、帰りには基地岸壁に姿を見せていた。

クルージングシップ「銀河」。総トン数は「第八はつひ」の倍近い602トン、速力は「第八はつひ」の12.3ktに対して14ktで、こんな優雅ななりをして後から出航したのに見る見るうちに追い越していった。ディナークルーズ用の船舶だけあって、短距離航路用で何の愛想もない客室だけの「第八はつひ」に比べアコモデーションは充実していると思われ、どうせ乗るならこっちの方がいいな〜。ま、キャンセル待ちだからしょうがないか・・・
フェリーはまず、原爆が投下された時にたくさんの被災者が船で搬送されたという似島を左手に見、さらに江田島、続く西能美島と小さな無人島、大奈佐美島の間の奈佐美瀬戸を抜けて行く。

右手は遠く廿日市の市街を望み、手前には牡蠣の養殖か、囲いのいけすがいくつも見え、ボートが寄り添って漁師の人がなにやら作業中。当初航路はひょっとして厳島神社を望む厳島(宮島)西岸の大野瀬戸を通るのかと期待したが、当然それでは遠回り&通航にはちょっと狭いため、まったく人家のない東岸を眺めながらの旅路となった。

この辺から少しずつ日が出てきて、ようやく外のデッキにいる人間も人心地がしてくる。そしてそこには穏やかな、平家の世から人々の暮らしを支え、見守り続けてきた豊饒な海があった。

進行左側、遠く東には西能美島の沖に浮かぶ無人島、大黒神島が、そしてその右に現れるのはハマチの養殖で有名な阿多田島。人口330人、小学校1校しかなく、渡船は大竹から一日5往復という小さな島だが、瀬戸内にはこのような島が無数にあるのである。こういう所で生まれて暮らす人生って、どんなかな? それは同じ漁村とはいえ、同居人の実家である釧路で昆布漁を営む母方の親戚、私の田舎である外房でかつて漁船に乗り組み、今は素潜りをして生計を立てている母方の親戚ともまた違う生き様なのだろう。船首のデッキに仁王立ちになりながら、かように感慨を深くするほど、この瀬戸内のミニツアーは私にとってカルチャーショックだったのだ。
下の車両甲板を見ると、客室からあぶれた乗客のためにデッキチェアが置かれ、こちらでも休むことができるが、ほどんど長い船旅に飽きた子供達の遊び場と化している。

そうこうするうちに右舷の光景は、宮島の奥に大竹のコンビナートが見えてきた。40分後に出発したと思われる高速船が右舷側を追い抜いて行く。その隣には、いよいよ岩国の敷地が。ここまですでに1時間以上を費やした。まだ30分近くあるが、望遠レンズで覗くとUS-1のディグロウが鮮やかに見える。沖合展開事業で埋め立てられた部分の向こうにハンガーも見えてきた。手前には前日訪れた今津川の河口が。そして、フェリーは基地敷地の南東端、防波堤に囲まれた岸壁に入って行く。
さて、降りる支度・・・ところが、コミューター便の小型フェリーだけに慣れない岸壁も接岸はお手の物なのだが、ビーチングができないので舷側からタラップを渡して降りるしか方法がなく、なぜか当船だけがその作業に以上に手間取り、後から接岸した船にも抜かれてしまった。しかも、こちらは車両甲板で列の先頭で待っていたのに、階段を上がってすぐの下船口に、やっとタラップが設置されたと思ったら「船室内から回ってください」先にそれを言えよテメ〜はよ!さんざんこっちに行列ができてるのを見てたくせによ!
急いで逆の側から階段を上がり、船室内を通って家族連れをかき分けるようにして先頭に出たが、それでもすでに接岸後15分ほど経過しており、上陸したときにはあらかた他のツアーの後塵を拝していた。というわけで、5日の日記に記したように、この先でもシャトルバスのサイクルが悪く、ちょうど全部出払った時に当たってしまい、ここでも10分をロス。空自のF-15・F-4EJの飛行航過を指をくわえて見るほかないという事態に。バスも敷地内を走るのはかったるいが、非公開の東側サイドの海自側施設の間を縫って走るので、まあそれなりに目の保養にはなる。
バスの発着場は会場北端、外来の駐車場が設けられている一帯で、陸路での来場と同じく手荷物検査を受けてからの入場となる。飛行機の展示場までは5分ほど歩かされるが、確かに渋滞には巻き込まれることもなく、家族連れや物見遊山の方には願ってもないツアーだと思われる。しかし、結局私が会場に着いたのは1020過ぎ、すでにロープの最前列はすべて埋まっており、どの道並ぶつもりもないが、高速船に乗っても上記のように接岸時の不確定要素が大きく、このようなわけで長玉持って目を三角にした脚立持ちの方にはお勧めできない。帰路は私の便は1700発ということで、1620に行きと同じ場所に集合とのことだったが、例によって展示機を夢中になって撮っていたため戻ってきたのは1630。バスはまだまだ続行で出ているが、立っていた違う会社のプラカードを持っていた係員に「乗っていいの」と聞くと「ええ?瀬戸内海さんもう出ちゃいましたよ。まあとにかく乗って」ということで別ツアーに紛れて岸壁まで帰る。まだ出航時刻には30分あるし、いずれにしても基地内に置いてきぼりにされるはずもなく、別段心配もしなかったが、乗船したのは私が最後だったようである。皆さん別段マニアでもないので、もう満喫して早く帰りたいのである。

こうして、現地滞在6時間のフェリーツアーは終わった。帰りはすっかり青空も広がり、また最後の乗船だけに船室内に座る席もなく、デッキで潮風を浴びてすっかり日に焼けた肌を冷ましながらの帰路に就いた。真のマニアには使えない時刻設定だけあって、終始ユル〜イ雰囲気に包まれたツアーではあったが、私としては楽ちんで思った以上に瀬戸内めぐりの気分も味わえ、それなりに満足。これが徒歩だったら岩国駅まで足を棒にしてテクテク歩かなければならないし、バスは長蛇の列、車もいつ会場を出られるかわからない・・・のに比べ、帰路は約1時間30分後、1830には広島港に帰ってきた。後は車でホテルまで10分である。
さて、このレポを読んだ皆さん、来年このツアーに参加されますか?