伊予鉄道坊ちゃん列車のメカニズム

”Bocchan train” of Iyo railway

中国・四国地方はなぜか、主要都市に路面電車が健在なところが多い。
単に偶然なのだろうが、昨今の世界的な趨勢であるLRT(Light Rail Transit)化の波に乗った広島電鉄や、積極的な経営でついに他県の廃止路線(和歌山県の旧南海貴志川線を譲受し和歌山電鐵として経営)の経営にまで手を伸ばした岡山電気軌道、世界の各都市から中古の電車を買い入れ「路面電車の博物館」と化した土佐電気軌道など、すべてが民営鉄道で、各事業体とも日本の悪弊である「路面電車=郷愁を誘うチンチン電車(時代遅れな乗り物)」という固定概念を吹き飛ばす独創的&健全経営を続けている(下の写真は全国で2カ所、松山にしかない鉄道路線の平面交差である大手町 後方にはJR松山駅が望める)。

そのなかで、比較的地味な存在で目につく話題の多い広電や土佐電の影に隠れがちなのが、松山市内に5系統9.6kmの路線を擁し、通勤通学に観光にと利用されている伊予鉄道松山市内線。今時珍しく全面広告の電車がおらず、オリジナルの塗装も地味、車両も比較的おとなしめのデザインの車が多いのが存在感の薄さにつながっていると思われるのだが、そんな路線に2001年10月、あっと驚く車両がデビューした。その名も「坊ちゃん列車」。
松山といえばもちろん、夏目漱石の小説「坊ちゃん」の舞台である。1895(明治28)年、現在の松山東高校である旧制松山中学に赴任した漱石が実体験を元に著した小説の中には、当時開業していた伊予鉄道のナロー軽便と思しき蒸機列車に乗って赴任する様子が描写されている。この愛らしい蒸機列車は、比較的後年、1954(昭和29)年まで現役で運行されていたそうだが、それを市内観光の目玉として復活させたのが、この「坊ちゃん列車」なのである。松山を巡る鉄道の沿革、消長は非常に複雑な経緯をたどっており、ここでそれを詳述するわけにも行かないので、ご興味のある方は各書物やネットなどで勉強していただくとして、今回は前後編でこの珍列車をご紹介させていただく。
モデルとなったオリジナルの軽便列車は現在の鉄道線を走っていた列車だが、復活した坊ちゃん列車は郊外を走っても観光資源とはならず、高規格路線(あくまでも路面電車に対しての高規格という意味だが・・・)を走るのは無理なので、市内線を走る。いずれにしても、線路の幅は「軽便」の必要条件であるナローゲージ・762mmではなく、JR在来線と同じ1,067mmゲージとなっている。観光振興の効果をフルに発揮するため、運転系統は市街東端に位置する道後温泉から南に向かって時計回りに円を描くように走る環状線(届け出上の線名は城南線と花園線)を経由して市街中心部、鉄道線との乗換駅でもある松山市まで。市街地としては外れに位置するJR松山駅を経由して、車両基地のある古町までの列車も設定されているが、入出区列車のためごく少数の設定となる。

このように、頭端部には列車名の由来などが書かれたプレートが設置され、観光客の撮影ポイントとなっている。列車が折り返しの間合いで入線中は人だかりが絶えない。運賃大人1人150円の市内線だが、坊ちゃん列車乗車には特別料金300円(小児200円)が必要。当初は料金も1,000円と高額で、電話やネットでの予約が主体、飛び込み(縁起の悪い言葉だな・・・)は空席がある場合に限り、という条件だったらしいが、現在も制度としては同じだが人気が落ち着いてきたせいか、ゴールデンウィーク中でも1列車を待てば乗車できた。なお、1Dayチケットなどの各種企画乗車券もあるので観光の際は有効に活用したい。

道後温泉駅に留置されている坊ちゃん列車。なんと、伊予鉄はこの列車のために道後温泉駅前を大改良し、折り返しの間の留置線兼ディスプレイ線を造ったのだ。夜間にもここに1編成が留置、ライトアップされるそうである。写真の編成は当初の好評に応え2編成運行とするべく2002年8月に増備された機関車・D14とハ-31(定員36名・座席22名)。 D14は1907(明治40)年ドイツ・クラウス製で、後にナローの762mmゲージから現在の1,067mmゲージに改軌され、蒸機が全廃された1956(昭和31)年まで現役であった2軸タンク機の甲5形14号機がモデル、ハ-31は1911(明治44)年に伊予鉄道が初めて自社製造した「は31」がモデルである。

道後温泉駅で同社最新の国産低床車、2100形と並ぶ1号編成。順番が逆になってしまったがこのD1が2001年10月に登場した機関車で、1888(明治21)年クラウス製の伊予鉄道最初の機関車、甲1形1号(松山市郊外のレジャーランド、梅津寺パークに保存されている)をモデルとしており、煙突(直線上のパイプ形)や運転室窓(楕円)などのデザインがD14と異なる。

いずれの機関車も外見とは裏腹に、なんと中身はディーゼル機関車となっている。復活にあたってはもちろん実物と同じ蒸気機関車を新製することも考えられたのだが、現在の市街地を走る路線に火の粉や煤煙をまき散らして走るSLを運転することは不可能との結論に達し、その代わり、リアルなSLの外観を持ったDLをこだわって造り上げることになったのだそうな。出力は197kW(268PS)、2軸駆動だが駆動軸に直結しているのは前輪だけで、後輪はリンクにより駆動される方式。なお、「坊ちゃん列車」群を構成する機関車2両・客車3両はすべてディーゼル動車・客車メーカーとして実績のある新潟鐵工所(現・新潟トランシス)で製造されている。

メーカープレートも忠実に再現された。1888年クラウス社・ミュンヘンの社名と、中心に日本での輸入商社である刺賀商会・東京の名前が入っている。クラウスは日本ではまさに「坊ちゃん」機関車の代名詞として、コッペルと並んでどちらかというと軽便機関車メーカーのイメージが強いが、後の1931年にJ.A.マッファイ社と合併しクラウス・マッファイとなり、クルップやAEG、ヘンシェルシーメンスなどと並ぶドイツの主要機関車メーカーとなり、現在でも「ユーロスプリンター」127形や同形の発展形である貨物機152形の製造を担当するなど、鉄道車両メーカーとして盛業中。

運転台。一見蒸機風のデザインだがカマ焚き口やバルブ類のハンドル、水面計はもちろんダミー。常時2人乗務体制で、この他に車掌も乗務しており運行人件費は高そ〜!。助士席のボタン類はトロコンたたき(後述)の操作などを行うためのもの。運転台はなんと!ハイテク液晶モニタがダブルで装備。メーカーはパナソニックでした。登場時の写真を見ると1個だけのように見えるため、後に増設されたようである。CCDは前面に目立たないように設置されている。

運転台側アップ。ブレーキは通常の空気ブレーキ弁だが、マスコン(アクセル)はどこ・・・?左端の斜めになっているレバーがそれ。メーターは下左がタコメーターでMax3,000rpm、その右が速度計でフルスケール50km/h表示。
後編に続きま〜す