青森竜飛紀行2日目

307CC at cape Tappi


ちょwwwwwwwおまwwwwwwwww
なんだこの天気!? いくら雨男でも程度問題が・・・青森県各地で雨量記録更新だと。特にひどいのは三八の方で、津軽は比較的少ないらしいが・・・実際、決して天気は良くはないが、大雨という程ではない。しかし、県内はこの連休、雨一色で、とても遊びを楽しむ雰囲気ではない感じ。
よっぽど宿でふてくされて寝てようかと思ったのだが、さすがに弘前まで来てそれはなかろうと、生来の貧乏性で出かけることにする。どの道、同居人が街に出るので、遠く市街地から離れたこの場所でバスなどあるはずもなく、車を出さなければいけないのだ。まず、昨夜風呂に入らず寝てしまったので朝風呂。このペンション、本格的な温泉が沸いており24時間入浴可能。誰もいない風呂場でゆっくりと湯船につかり、とりあえず目を覚ます。
雲の流れは速く、時々雨は止むのだが、予報は一日中雨。あんな新聞記事が載っている日のことなので当然だが、街まで20分ほど、そもそもの今回弘前までやってきた目的、奈良美智AtoZ展は1000からなので、30分ほど市内を車でうろつく。

とにかく、何度も書くが弘前は地理に強いはずの私がまったく歯が立たない町。さすが最強の城下町、これでは攻め入ることなどできるはずもない。何度地図を見ても各ポイントの位置関係が頭に入らないのだが・・・昔、宿に帰れなくなりそうになったことがあった。そんなわけで、今回初めてやってきた弘南鉄道中央弘前駅。JRの弘前駅とはまったく連絡しておらず、1km近く離れている。列車は日中30分ヘッド、閑散とした改札口回りの雰囲気が懐かしい地方私鉄の香りを漂わせている・・・
ここから雨が激しくなってきて、それでもAtoZに行くという同居人を会場の吉井酒造煉瓦倉庫前で降ろしてから、ふうこと2人になって、さて・・・竜飛行くか・・・

と、これは何? 道中、国道339号を走っていれば五所川原を通ることになるが、ここまで来たら駅に寄らない手はないでしょう。ということで、津軽鉄道津軽五所川原機関区を見ていくことに。冬の間、ニュースなどでも取り上げられ一般の人にも知名度の高い「ストーブ列車」などで知られる同線は、味気ないマスプロ車両ばかりになった地方鉄道の中でもまだまだ個性豊かな車が残る稀少な路線。これは21世紀の今となっては本当に珍品中の珍品、ラッセル車のキ101。現存するだけならまだしも、車籍があるという奇跡のような車両である。

クラシックの証、鉄道省大宮工場昭和8年の製造銘板。1968年まで国鉄米沢機関区で使用され、同年津軽鉄道に譲渡された。御年73歳の矍鑠たるお姿を今日も見ることができるのは誠に喜ばしいことである。

構内には、本当にとても21世紀とは思えないほど嬉しい車両が並んでいる。右の客車はストーブ列車に使用されるオハ463。旧国鉄のオハ46を譲受した車両で、今となってはストーブ列車が同社、いや津軽の重要な観光資源になってしまったため、しばらく安泰・・・というか廃車にもできなくなってしまった。右隣の車両は旧西武の電車であるクハ1158を譲受したナハフ1203。除雪車や客車ももちろんだが、20年ほど前には全国あちこちで珍しくもなかったこのような有象無象の車両は、今では本当に少なくなってしまった。左側に見えるのは現在の津軽鉄道の主力車両、1996年より導入され現在5両が在籍する津軽21形。

津軽21形の増備で主力の座を降りたキハ22形や、1956年日車製のタンク車、タム501などが並ぶ津軽五所川原駅全景。駅ホームは1面2線、その裏(JRの五所川原駅から見て)に機関区がある。この辺で天気が若干回復し、青空まで覗いてきた。行く先の行程にも若干希望が持てる。それなら先を急がなければ・・・なんだかんだでここで30分ほど消費してしまっている。

五所川原から国道339号を北上すれば、次の大きな町は金木。金木といえば、もちろん思い浮かぶのは太宰治生家の「斜陽館」である。

かつて津軽一帯有数の名家として栄華を誇った太宰の一族、津島家の屋敷として1907(明治40)年に建てられた建物を、記念館として一般に開放しているのが斜陽館。かつては旅館として操業しており、泊まらなくても1階の喫茶室でお茶を飲みながら展示品を見て回ることができたのだが、宿泊客の減少や諸々の事情により1996年にいったん閉館、1998年4月に改めて記念館としてオープンした。
かつて、1988年だったか、バイクで竜飛岬を目指した際、初めてここに立ち寄り、さらに2年後再訪したとき、働いていたウエイトレスのお姉さんが衝撃的なほど美人だったのを思い出す。それも、相沢紗世山田優のような目鼻立ちクッキリ!というのではなく、典型的な津軽美人だった。さすが新○千○や矢○顕○を産んだ土地柄!(後者はちょっと違うような気も・・・えっ!?前者も!?) 現在では通りを挟んだ反対側に、以前はなかった駐車場や物産館も設けられ、車を停めるスペースにも困らない。本日も悪天候にもかかわらず、連休の中日とあって大勢の人が訪れていた。私はふうこ連れということもあり、また目的地はまだはるか先なのでバス。記念撮影のみ。

先を急ぐと言いつつ、ついつい寄り道。津軽五所川原で出発を見送り、先程金木の手前で併走した津軽21形の列車が到着しているだろうと、終点津軽中里駅に寄ってみた。1面2線の寂しい終端駅は駅舎に生協が併設されており、有人だが日中ほとんど利用者もおらず静まりかえっている。何より、駅に立ち寄るために国道から逸れて街中を走ると、言っては悪いがほとんど廃墟、まるで出来の悪い近未来SF映画のような光景となっていた。でも、今日本中でこれがデフォな光景なんですよね・・・お台場とかヒルズとかばっかり見ていると、人間現実を見失うよね・・・
ここから竜飛へ向かう最短ルート、北西へ向かう国道339号(帰路で戻ってくるルート)と陸奥湾に面した蟹田に向かう津軽半島横断ルート、県道12号の分岐である今泉に出、行きは津軽海峡線の取材などもあるので蟹田へ向かう。すでに集落はなく、軽い峠越え(それでも真新しいトンネルで抜けている)を過ぎ、しばらく走ると鄙びた津軽線の線路が見えてくると大平。さらに進むと、とてもこんな田舎には似つかわしくない高架橋脚の線路が目に入る。ここが津軽海峡線津軽線から分岐する中小国信号場である。
実は、JR東日本JR北海道をまたいで走る海峡線の両社分界はこの中小国信号場にあり、海峡線中本州側にある唯一の旅客営業駅、津軽今別は本州にありながらJR北海道の駅なのは有名な話*1。今回はこの信号場の配線などを写真に撮りたかったのだが・・・峠を越えた辺りから一時は晴れ間も覗いた空がまた真っ暗になり、大粒の雨が・・・信号場の線路端に入ろうと路地を探し始めた辺りでついに土砂降りになってしまった。これではとても車を降りて写真を撮るどころではない。ちきしょ〜ここまで来て・・・
中小国信号場は泣く泣く諦めて、トンネルで突っ切る海峡線に沿った県道を津軽今別駅へ向かう。ここは道の駅が併設されており、一応周辺の現状確認と、持参した時刻表での列車通過時刻の確認。本州と北海道を結ぶ大動脈、海峡線といっても、それほど列車が頻繁に走っているわけではない。次に来るのは函館発八戸行きの「スーパー白鳥24号」で、竜飛海底停車・同駅発1359。津軽今別のホームも撮影名所ではあるが、ここまで来たらぜひ青函トンネルから顔を出したところで撮りたい。ならば、青森側坑口に移動だ。

青函トンネル青森側坑口は三厩湾に面した海沿いの国道280号に出てからすぐ、津軽線今別駅と終着・三厩駅のほぼ中間にある。国道からは標識が出ており、路地に入って500mほど。しばらく待っていたら上り(函館行き)の「白鳥」がやってきたが、現在1348、時刻表を見たところ、該当する時間にこんな列車はない。竜飛海底停車・同駅発定刻1245の「白鳥3号」?大雨でダイヤが乱れているのかな・・・?

坑口付近は線路と同レベルの高さに公園が整備されており、列車の往来を間近に見ることができる。ここを訪れるのも十数年ぶりになるが、公園整備当初は列車の通過に合わせて噴水の水が吹き出し、音楽やイルミネーションなど派手な演出があったものの、この手のアトラクションの常としていつしかすべて使用中止となってしまい、施設にはカバーが掛けられっぱなし。掲示板に列車の通過時刻を記入したプリントアウトが貼られていたが、「平成15年○月改正」・・・今では訪れる者もない忘れられた公園だが、私が行った時はこの悪天候にもかかわらず関西から来たと思しきオヤジ2人がカメラとビデオを構えていた。しかしこの連中、持っている物といえば10年ほど前?のウ○情の撮影地ガイド、しかもコピーひとつで、「次は何が来るのかな?」などトボケたことを言っている。こちらは雨がやんだ間を縫ってふうこの散歩をさせながら、車とトンネルを絡めて撮ったり、レンズを替えたり・・・そうこうするうちにまた雨がひどくなってきた。片手にふうこ、片手にカメラを持ってアゴで傘を固定して(ふうこを車に戻せばいいのに・・・)あちらこちらに行ったり来たりしていたのだが、このワンタッチ傘、半月ほど前に会社の前のやっているのかいないのかわからないような電気屋で600円もしたのを買ったのだが、ストッパの三角が甘くてどこでも開いてしまい、手を焼いていたのだ。この公園でも畳んで寝かせて置いたら、勝手に開いて風にあおられ飛んでいったりして、イライラが募る。
そして、レンズを交換すべく車のトランクを開けて機材を取ろうとしたところ・・・カメラとレンズの後玉を濡らさないように必死に上体でかばい、307CCのオーナーならおわかりになろう、トランクを開けた時にドバドバ〜ッと水が流れ込まないように少〜しずつ開けようとした(自分はずぶ濡れの犠牲になって)その時! リアタイヤの横に寝かせていた傘が、まるでスイッチが入ったように「シュボッ!」と音を立てて展開、その勢いで立ち上がって、折からの風にあおられて飛んで行ってしまった。この時点でイライラは頂点! このガキャ〜、こんな食わせもん売りつけやがって〜!傘は一応取りに行ったものの、とても手の届かない草の下の方に落ちてしまった。ケッ、もうこんなボロ傘要るか!どこへでも好きな所に行きさらせ!
結論。安い傘は下手にワンタッチを買わない方が良い。100円の透明ビニール傘が吉。
その後、小雨とはいえ吹き付ける水滴にカメラをかばいながら、本日の大一番、「スーパー白鳥」の飛来を待つ。おじさん達は相変わらずすっとぼけた事を言っているので、「今竜飛海底に着いたところです、あと5〜6分で出てきますよ、しかも次はナナパーキュー」と教えてやった。そりゃ大変だとおじさん達もカメラを構え直す。3人で横殴りの雨が叩きつける中、じっとその瞬間を待つ・・・果たして、トンネルの中から「ゴ〜ッ」という音が・・・そして!

789系キター! 「スーパー白鳥24号」は定刻に姿を現した。特急化以来比較的利用も好調で、増備車も出た789系だが、写真の列車も三連休だけあって青森方に2両増結している。さすがのJR在来線最高速度、140km/h運転は早ぇ〜!

再び思わぬ時間のロス(織り込み済み?)の後ハタと我に返り、竜飛を目指す。三厩からは道は国道339号に変わり、さらにしばらく進むと海に面したギリギリの道となり、まさに文字通り「奥の細道」の様相を呈する。ご覧のような洞門ともいえるようなトンネルをいくつも抜け、その度に猫の額のような海岸沿いの平地に家々が寄り添う集落をすれ違いもままならぬ道で抜け・・・本日のような荒天では、それほど風が強いわけでもないのに車も結構潮をかぶっている。それでも、最初に訪れた時に比べれば適宜新しいトンネルが掘られていたり、集落を迂回するバイパス(というほどの大げさなものでもないが・・・)が造られていたりと、遅々としてではあるが改良が図れているようである。

いよいよ北を目指す旅も大詰めだが、国道339号を最後まで走り切る野望を抱いた307CCふうこ号の前に大きな障害が立ちはだかった! 何!?国道はここで終わり? いや、まだ終点は先だが・・・!

そう、ここが有名な階段国道339号の入口である。奥の細道ながらまがりにも車が通ることのできた国道は、突然本筋が家の間の細い路地となり、さらに直角に曲がったかと思うとすでに車の通れない細さとなって、ついには階段になってしまう。これが最近では各メディアでも紹介されずっかり有名になってしまったが、 全国唯一の異色階段国道の姿である。

いくらふうこ号でもこんな所は通れないので、すでに国道ではない道を進むことにして200m程、そしてついに到着しました北の果て、竜飛岬。

漁港の広くなっている駐車スペースの一角には、太宰治の文学碑が建てられている。これも以前訪れたときにはなかったもの。

碑の説明プレートに掲げられていた、誰だか知らないけれど優男風のオジサンにふうこがチュー!

ドン詰まりからいったん手前に戻って、山の上、展望台に向かう旧坂を上がって行くと、階段国道の上に出る。自動車が決して制覇できない区間。全長は388.2m、段数362段、高低差は70mとのこと。

漁港から展望台駐車場に向かう途中にある「津軽海峡冬景色」歌謡碑。これも私は初見で、それもそのはず1996年7月に建立されたものだそうな。歌を彫り込んだ黒御影石の碑の前、ロールケーキのような石の装飾の右から3番目、上に赤い物が見えるのがおわかりだろうか・・・

石川さゆりさ〜ん、駒沢の「Fumo」でお会いしたふうこがここまでやって来ましたよ〜! しかし、日記にアップする順番は逆になったが、先日は天城トンネルを訪れたりして、まるでアタシらさゆり姫のストーカーのようになっている!? 次に行くところは能登半島かな〜?
さて、我々が写真を撮っていると、通りかかったオバハンがこの赤い物をポン!と押した。すると!周囲に大音量で響き渡る「津軽海峡冬景色」のメロディ。しかも、その時は気がつかなかったのだが、2コーラス目の「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと〜」から始まっているのだそうだ。芸の細かいこと・・・しかもこの楽曲、同じような碑にありがちな安っす〜い打ち込みのメロディと違い、原曲の録音を流しているのである。
とにかくだだっ広い一帯、本州の観光地のように人がワサワサいるわけでもなく、展望台からも離れているので襟○岬などで問題になったような「音の暴力」のような問題も起こらず、聞きたくない人は近づかなければいいのだが・・・なんかな〜、本当はイタイ観光名所なんて斜に構えたコメント書いた方がいいんだろうが、ちょっとだけでも縁がある人だから言う訳じゃないけど、この光景を見渡して聞くさゆり女史の歌は心に沁み入るね〜。そして、その感動の半分は目で追う歌詞の素晴らしさから・・・つくづく思うが、これが「宇宙戦艦ヤマト」を作詞したのと同じ人の作品かと。阿久悠、本当アンタ天才だよ!

山の上から漁港、さらに海峡越しに北海道を望む。

一時は土砂降りとなり、傘も飛ばされ外に出ることさえ諦めなければならないかと思ったが、ここに来て奇跡的に雨も止み、最北端来訪の一応の証拠写真を。ふうこはすでに渡道歴も2回、釧路まで制覇した身で南端の江差を見たところで本人としては特に感慨もないのかも知れないが、まあ縁起モンですから(?)

展望台から北海道を望む。まさに津軽海峡冬景色を絵に描いたような、陰鬱な冬の情景先取りという感じだが、北海道は期待を裏切って申し訳ないが、ご覧のように遙か彼方というわけではなく、こんな悪天候でも雲に隠れることなく手に取るような近さに見えている。しかしこれで国際海峡、冷戦期にはここをアメリカの空母も通ったしミンスクも通った。ここからならさぞやいい写真が撮れたに違いない。ちなみに、前に見えるアンテナ群は海峡の警備・監視を担当する海自の竜飛警備所の施設。青函トンネルは写真の右下(明るいベージュの屋根の建屋の辺り)から弧を描くように画面中央の対岸に向かって延びている。

やっとの思いで目的地に着いたのもつかの間、時間も押せ押せですぐにトンボ帰りしなければならない。何度も来られる場所ではないので、もっとゆっくり、特にふうこの散歩をほとんどしていないので、じっくりと遊歩道を歩いてみたかったのだが・・・いったんはやんだ雨もまたパラついてきた。早々に車に戻ることにする。これは展望台から駐車場の方を見たところ。道は左下から登ってきて、左寄りの部分が歌謡碑、中央右寄りは竜飛警備所、さらに坂を下って右側に青函トンネル記念館となる。その奥に階段状に広がる平らなスペースは、すべてかつてのトンネル工事現場の工事事務所や職員住宅の跡地である。向こう側にうっすらと見えるのは下北半島か。

それでは、そろそろ帰りましょうか。ふうこさん、竜飛は堪能しましたか?

青函トンネル記念館全景。(確か)右側に見える濃いグレーの建屋がケーブルカーの駅で、ここから斜め、海面下140mに向かって延長778mのケーブルカーが延びているのである・・・が、結局時間切れで見学できず。ぬををを〜これが最終目標でここまで走ってきたのに〜!

本来はトンネル内の資料となる写真を全部撮り直すのが目的の旅だったのだが、まあいい、今回はジタバタしても始まらないし、また来ることもあるだろう。ここからは本当1分を争う帰路となるだろうが、ここでちょっと落ち着いて、記念館前の展示物を撮影。これは2基が展示されているトンネル掘進機の内側カッターで、スイス・ハーベカー社とIHIの技術提携によるものとのこと。

これは水平部の坑道用の人車。一帯にはこの他にも斜坑用の平行四辺形をした人車や生コン輸送用のアジテータカーも展示されている。

記念館の駐車場周辺には、ご覧のように埋め戻された坑口らしきものがそこかしこに見られる。
さて・・・すでに時刻は1600過ぎ、夕食の時間が決まっている宿には遅くとも1930頃までには戻らなければならないし、何よりも移動の手段を持たない同居人を拾いに行かなければならない。AtoZはとっくに見終わったろうが、そうそう市内で暇をつぶす場所もなかろう・・・ということで、出発!
帰りの目標は弘前まで2時間、すでに若干無理のある時間設定であるが、やるしかなかろう。帰りは津軽半島一周コース、国道339号龍泊ラインで小泊に抜け、十三湖で行きの道に合流するルートとなる。恐らく信号は遙か先、合流点の今泉まで一つもないだろう。ふうこには悪いがちょっとハイペースで走らせて頂く・・・

が、10分ほどでまた休憩。ここは竜飛―小泊の中間にある眺瞰台。見る見るうちに竜飛が下界の彼方に遠ざかる峠越えルート中随一の絶景展望台で、対岸の北海道は松前を回り込んで、奥に日本海が見えている。

海峡を見つめる碑の裏には「昭和五十七年十一月貫通 陸上自衛隊第九師団 実施部隊 第九施設大隊 支援部隊 第三十九普通科連隊」とある。そう、この竜飛―小泊を結ぶ道路は太宰が「津軽」を著した時代はおろか、つい20年ほど前までなかったのだ。道路が開通した今でも、道中に店一つなく、冬季は通行止めとなるため、両集落の間に交流はほとんどない。

ここからは小泊方面に向かって、道は何度もヘアピンを描きながら一気に落ちて行く。Rは竜飛側よりもきつく、登りは調子に乗って飛ばしてきた私も最後はうんざり・・・しかし、交通量が少ないこともあり路面状態も良好で、こんなさい果てでなければさぞや連夜走り屋の方々で賑わうことだろう。何しろ、このオイシさでグルービングひとつ掘られていないのである。が、夜中に1台でここを走り回る勇気はないな〜。なお、以前この区間はすべてセンターラインのない両方向1車線の細い道だったのだが、2000年に拡幅工事が完成したという。・・・と、ここで貴重な時間を10分以上浪費、再出発したのは1630。あと1時間半で着けるのだろうか?

五所川原まではとてもここでは明らかにできないようなペースで走りきったが、結局、五所川原からはそれなりに道も混んできて思うように進めず、弘前着は1830となってしまった。同居人を拾い、ここでどうしても欲しかった「下山事件 最後の証言」を紀伊国屋で買って(何もここで買わなくても・・・)、本日も宿に戻ったのは2000近く。すでに皆あらかた夕食を食べ終わった食堂で、2人でビールを頼んで遅めのディナーとなる。すいません、2晩続けてご迷惑をおかけします・・・しかし、この宿の食事も季節の食材などを使って見た目も鮮やか、食べて美味。若干駆け足気味になってしまいましたが、おいしく頂きました。さて、明日はいよいよ最終日だが、天気も回復しそうだし、予定通り八甲田・奥入瀬方面に足を伸ばそうということで、本日は温泉にゆっくり浸かって下山本読んで寝るか!

*1:すぐ横に寄り添うようにホームがある―実はこちらの方が先にあったのだが―津軽線津軽二股JR東日本の駅