恐怖の?クリスマスコール

at winter of Odaiba

本当に年の瀬、クリスマスなんだろうか。今日は異常に暖かい。散歩をしなければならない身としては有り難いことなのだが、いよいよ人類も店仕舞いの時期が近づいてきたようだね。昨年が寒かったので、なおさらその感が強い。
どれ位暖かいかって、いつもはさすがにこの時期第三台場で昼寝をしようとは思わないが、今日は気持ちよく熟睡できちゃう位なんである。朝帰りの同居人は海に面した斜面ですっかり寝入ってしまった。こちらはさして眠くもないので、久しぶりの帽子を持ち出して撮影タイム。

その後、最近2〜3kmの散歩では物足りない体になっているので、いつもは行かない潮風公園船の科学館を回ってペットシティでビール酵母を買って、新宿でふうこの夕食用の最高級ささみを買おうと思ったのだが・・・いつもの柿安では、中堅級の肉しか売っておらず、それならいいんじゃねえか、と同居人が言うので、買わないで帰ってきてしまった。分遣隊長申し訳ありません、今年はささみはダメかもしれません・・・やはり品揃えも、日を見て変えているようで、本日のような年に1度のここ一番!というような日は霜降りのすき焼き用とかそういうのにスペースを取られて、ささみのような肉は割を食ってしまうようだ。
この後、ゆっくり夕飯を食っていられる日はないので、本日は親の所に顔を出して皆で一緒に食ってきた。帰ってくると、留守電のランプが・・・ひょっとして、ひょっとして・・・!
やっぱりスウェーデンの友達のおじさんからだった。クリスマスと私や同居人の誕生日には必ず国際電話をかけてくれるのだが、最近は英語力もすっかり錆び付いてしまったので(と言うほど、もともと大したものではないけれど)、結構電話恐怖症になってしまっている。今年もこちらからのクリスマスカードは出したのが遅かったが、届いたのだろうか・・・

おじさんとの出会いは、2000年夏、一応我々の新婚旅行で行った北欧で、ストックホルムからヨーロッパ最北の駅、ナルビク行きの寝台列車「ノルドピレン」の車中でのことである。ストックホルム駅構内には自信があったはずなのに、列車の発車ホームを見つけられずに(頭端式ホームがあるなんて知らなかったのだ)、発車直前にギリギリで飛び乗った我々、1両隣の車両で同番号の個室に入ってすぐに発車、やれやれ・・・と一息ついたところで、知らないおじさんが「ここ、俺の部屋だけど」と来たのだ。
以前、「北斗星」で青森から乗った時に、ダブりの発券をされた経験があるので、外国ではこの位当たり前・・・と券を照合したら、我々のが間違っていたorz 赤っ恥かいてそそくさと移動したのだが、後でサロンカーで2人酒などかっ食らっておったら、またおじさんがやって来て、「隣いいか?」しばらく当たり障りのない話をしていたのだが、日本から何しに来たの?と聞かれて、「鉄っちゃんだから、鉄道乗りに来た」と言ったら、「俺はSJ*1の職員だ」とニヤリ。名詞を差し出してきた。ちなみに、当時「ノルドピレン」に連結されていた写真のハイデッカードーム展望車、AFS1形は、かつてTEEの名列車「ラインゴルト」に連結されていたドームカー、ADum形を譲受したもの。当時ナルビクへのオーフォート線を走る旅客列車が民営化された直後で、運行を担当する会社、トーカンパニーが目玉車両として投入したもの。こんな所で伝説のドームカーに思いもよらず乗れるとは・・・と、いたく感動したものである。
そんな不思議な縁があって、帰国してからも連絡を取り合い、翌年また再訪した際に、スウェーデン南部、エンイェルホルムにあるおじさんの家を訪問してきた。特にメジャーな観光地でもない、海辺の小さな町だが、それだけに日本人はおろか外国人の観光客もまったくおらず、素顔のスウェーデンを体験してきたのである。
2泊して、両日とも家にお呼ばれして夕食をご馳走になり*2

中日は車で30kmほど離れた所にある無人島、Hallands Vaderoへのハイキングに連れて行ってもらった。本土側の港町、Torekovから渡し船に乗って30分ほどの沖にある小さな島。スウェーデン南部、人口密度の比較的高いスコーネ*3 地方では知られた観光地のようで、短い夏の間は観光客が押し寄せる。船着き場は大変な混雑だったが、ちょっと離れれば誰にも会わず、海辺でおじさんが作ってくれたサンドウィッチでお弁当。スウェーデンでは男が家事をするのも当たり前なので、この位は文字通り朝飯前のことらしい。

すでに北緯は56度、北欧人は短い夏を満喫すべく泳いだりもするらしいが、手をつけてみたところ今にも凍り付きそうな冷たさ! 日本人には足を浸すのが精一杯である。この写真でもちょっと窺えるかもしれないが、水の透明度が高いのはいいとして、色が青や緑ではなくて、限りなく黒に近いのである。こんな色の海水、後にも先にも見たことない。それは日本に居ては見られない、来た者だけが知る自然の色。

帰ってきて、おじさんの職場を見せてもらった。エンイェルホルムにはSJの研修施設(東でいうところの新白河のようなものか?)が駅に隣接して所在しており、彼はここで貨車の保守・補修の教官をしているのだという。オフィスは窓越しに走っている列車が見え、さすが北欧、机や椅子も素晴らしい快適な個室。もっとも彼は月の半分以上出張に出ており、国内全土を駆け回る生活(初めて会った時も北部のボーデンに出張に行く途上だった)、スウェーデンだけあって、外国への技術指導も熱心で、一時は年に2・3回コソボに行っていた。写真は研修施設の講義室で、同居人が教官のはずのおじさんに講義を行っているところ(笑)

翌日は列車で2時間ほどのスウェーデン第2の都市、ヨーテボリにあるデポ(機関区)を見学させてもらった。昔から写真が某掲示板で貼られるなど有名な、本隊のX2000探検記はこの時のものである。ドイツ、スイス辺りならそれなりに取材記も目にしたこともあるが、スウェーデン辺りとなるとヨーロッパを代表する高速列車、X2000といえども、あまり写真を目にする機会はない。この時の体験は、本当に思い出深いものとなった。

しかし、楽しく一緒に過ごした2泊3日もあっと終わり、午後には我々はストックホルムへ向かう列車に乗らなければならない。昼飯を駅前の中華料理屋で食べたが、ここは我々がおごるからと言って全部払い、ホームで先に出るおじさんの乗る列車の到着を待つ、という所で、同居人が突然号泣! つられてこちらも涙ボロボロ・・・いや〜、ウ○○ンみたいなこと、本当にあるんだ〜!と思いがけず実地に体験してしまったのである。
おじさんは「この世界にいれば、我々はどこでだって会える。友よ、またいつか会おう」と、いささかホロリとした表情で(だってずっとサングラスしてるんだもん、おっさんキッタねえ〜ぞ!)列車に乗り去っていった。それから5年。今年こそは、今年こそはと思いながら、なかなか行く機会がない。日本にも来てみなよ、と誘っても、奥さんは病院勤めで、長期の休みが取れない(我々が思い抱いているヨーロッパ、北欧のイメージはまったく裏切られる 奥さんはほとんどバケーションなどには縁がないのだ 意外に皆そんな感じらしい)し、猫を3匹飼っているので、長期で全員が空けられない、という。そんなの、ペットホテルだってなんだってあるだろうし、別にいいじゃん、と思っていたのだが、ふうこが家に来て同じ我が家も境遇になってしまった。もう同居人はふうこを置いて海外に行く気はまったくなくなった、とのこと。
去年の今頃はふうこを連れてスウェーデンに行こう!なんて考えていたのだが、思いがけぬ猫祭りで潰れてしまった。今から頑張れば、来年は行けるだろうか? 予防注射や申請書類の作成手順、もう一度勉強し直すか・・・

*1:Svenska Jarnvags:スウェーデン国鉄―現在は完全民営化され名称はスウェーデン鉄道となった

*2:日本の家をウサギ小屋などと言うけれど、スウェーデンの庶民の家も決して広いわけではない 子供が3人、5人家族の家には客人が泊まれるスペースはなく、ホテルに泊まった 実はこういう時はどこにでも布団を敷ける畳、カーペット敷きの日本の家はかえって外国の家より便利である もっとも、おじさんの家は玄関で靴を脱ぎ、家の中は素足で過ごしていた 玄関のに上がり框のような所はないのだが、スウェーデンでは結構これが普通の習慣だというのを知って驚かされた

*3:英語でスカニア ご存じトラックやバス、またサーブ・スカニア社としてJAS39グリペンまでを造る総合メーカー、スカニア社は当地方を代表する企業である