西日本鉄道 コンプリート!

Nishinihon railway type5000 EMU

0420起床。0440には家を出る。
この時間では最寄りの駅からの電車は動いていないので、秋葉原までタクシーに乗る。そうすると、車で空港最寄りの駐車場に停めるのと大して値段の差がなくなってしまうのだが・・・まだ真っ暗な中、モノレールの快速で羽田へ。しかし、スカイマークのカウンターにはすでに長蛇の列ができていた。「すでに先にチェックインされた方で窓際はいっぱいですので、通路側になりますがよろしいでしょうか」お前らどこから何時に来たんだよ、まあどうせ土砂降りの天気、窓際が取れたって外は何も見えないだろう。
本日のスカイマーク1便、福岡空港行きは革張りシートとシートテレビのの豪華仕様、レジスターJA767D。家を出るときはシトシト降りだったのにいつの間にか土砂降りのなか、0652離陸、上昇中うとうとしかけたら、一昨年の12月、札幌行きの時と同じ「ドカン!」と音がして目をつぶっていても光ったのが見えた。また落雷が当たったらしい。すげー天気だな・・・まあ、九州は天気もいいらしいので傘も持っていないが。ほどなくオントップ、青空の中を1時間半、5年半ぶりの九州が見えてきた。
着陸は0822、ジャスト1時間半のフライトであった。預けの荷物を受け取って、早速地下鉄で天神に向かう。ロナルド・レーガン迎撃ツアーの1日目となる本日は、心づもりではまったく乗ったことがない西鉄の全路線を制覇するつもりでいたのだが、気分次第で鹿児島まで往復してみるとか、肥薩線スイッチバックを体験してみるとか、築城にイーグル撮りに行くとかのオプションもあり、地下鉄で「つばめ2枚きっぷ」のポスターを眺めながらしばし考える。深夜まで時間はたっぷりある。せっかく九州まで来て福岡近郊で行ったり来たりももったいないような気もするし・・・しかし、遠出すればそれなりに交通費もかかるし、九州全域に足を伸ばすというのも本末転倒なような気もする。なにより、西鉄は独立した系統の宮地岳線が、この3月で末端区間が廃止になってしまう。九州新幹線にはこの先いつでも乗れるが、宮地岳線は今回が最後のチャンスなので、当初の予定通りに西鉄乗り歩きを実行することにした。
まずは本線、天神大牟田線で特急に乗って終点大牟田を目指す。福岡は日本の大都市で一番空港アクセスが便利な都市だ。地下鉄で空港駅からJR博多駅まではわずか2駅、市街の中心・天神までは4駅である。ロッカーに荷物を預けて撮影機材だけを持ち、0915発の特急大牟田行きに乗車。西鉄はお得な1日フリー切符のような乗車券の発売がない。というわけで、ストアードフェアの「よかネット」カード3,000円を購入。これが後で誤算だったことが判明してしまう。
朝食をと改札前の店でおにぎりを前に迷ったりしたため、8000形ご自慢の運転台後部の1列目座席を取ることはできなかった。特急は30分ヘッドなので、いくら時間はたっぷりあると言ってもここで30分をつぶすのはもったいない。それに、3列目に座ってもかぶりつきの醍醐味は充分味わえる。

ちょっと南海難波に雰囲気の似た福岡天神駅を出て、高架を走りすぐに次の薬院に停車、ここからは特急ならではの駿足・・・といいたいところだが、どうも怖いほどの高速運転、という感じではなかった。まずまずのペースで市街地を抜ければ、筑紫平野の田園の中を走って行く。大手民鉄とはいえ、本線格の天神大牟田線にも単線区間が点在し、気持ちよく走っていると試験場前駅で突然線路が合流して、立派なロマンスカーが単線の細道を行くという珍妙な風景に・・・しかし、関東の人間には標準軌の単線というのはあまり馴染みがないので知らなかったのだが、単線で見る標準軌というのは、なんとアンバランスなほど太く見えることか。

信号場での離合(中島信号場 この会社は乗客向けのアナウンスでもこの「離合」という表現を使っているのが興味深かった)まで出現して、約1時間、終点西鉄大牟田に到着した。福岡県の南端、かつては三池炭坑で賑わいを見せた炭坑都市で、現在も隣接するJR駅は全特急が停車する大きな町だが、西鉄の駅は3面2線、データイムは特急と各停が30分ヘッドというこぢんまりして静かな駅である。こちらも、いかに大手民鉄とはいっても、福岡にあっては小田原や八王子のようにはいかない。

ここでJRに乗ってしまっては大畑とかゆふいんの森とかまた話が際限なく拡散してしまうので、初志貫徹で西鉄に乗って戻ることにするが、JRの駅にはJR貨物大牟田オフレールステーションが併設され、三井化学大牟田工場への専用線が延びているため、留置線にはタキ5450形をはじめ液化塩素や濃硝酸などのタンク車が停車している。いずれも、東京で暮らしていればなかなか見ることのできない車両であるため、誘惑には勝てずフラフラと改札を出る。

三菱化学の私有貨車、タキ7500形タキ7534。28t積み(当初は30t)の濃硝酸専用タンク車である。50両が1959〜67年に製造されたが、現在の残存両数は24両程度、当車は三菱化学の工場がある黒崎駅常備で大牟田との間を往復する、九州でしか見られない車両である。

同じく三菱化学保有の32t積み(当初は35t)の濃硝酸専用タンク車、タキ10450形タキ10473。タキ7500形の拡大版で、1968〜74年に24両が製造されたが、現存はわずか4両程度。

編成の最後尾(鹿児島方)に連結されていたのは、こちらは大して珍しくもないが最新の海上コンテナ2個積みコンテナ車、コキ200形126。
現在大牟田を発着する列車は上記の三井化学大牟田工場向けの1往復、南延岡発1015―北九州貨物ターミナル着1833・0436発―大牟田着0805の4572〜4574〜4175レ、 大牟田発1205―黒崎着1452・1521発―北九州貨物ターミナル1542着・1630発―南延岡着2338の4172〜4573レのみである。新鋭コンテナ車とクラシカルな私有タンク車の奇妙な混結編成は、黒崎でタンク車を切り離し、コキ200と液化塩素積載タンク車のタキ5450は日豊本線を九州の反対側まで走って行く。
この貨物列車は大牟田駅の北側にある仮屋川操車場までJR貨物門司機関区のDE10に牽引されて行き、そこからはかつての三池炭坑の専用鉄道である三井炭鉱専用鉄道の路線を、今では貴重な元三井炭鉱専用鉄道の凸型電機や蓄電池機関車に牽かれて工場構内に入って行く。正直、三池専用線のことは知識としては知ってはいたが、現在でも奇跡のような車両が行き来する貨物の、いや鉄道のワンダーランドだったとは知らなかった。ここだけも再訪の価値はあるかも・・・しかし、1往復を撮るのに東京から出かけていくのも効率悪過ぎ。また佐世保詣でとからめて来るかなあ・・・

駅の端には牽引機、ED76の1000番代が停車している。安易な駅撮りに毛が生えたようなロケーションだが、ちょうど上りの「有明」12号が来たので並んだところを押さえる。
こんなことをしていたので、30分後の乗ってきた車両による特急には間に合わず、その次の普通に乗って、最初の支線である甘木線を目指す。車両は新鋭7050系による4連。データイムでガラガラの車内、かぶりつきで先程の信号場で特急との行き違いもあり、分岐駅である宮の陣へ。

甘木線への列車は大牟田始発が基本で、筑後川橋梁を渡ってきた上り列車は下り本線を横断してY字形になっている1面1線のホームに発着する。従って、乗り換えのアナウンスは西鉄久留米で案内されるのだが、こちとら写真が撮りたいので宮の陣で降車し、階段を上り下りして反対側のホームへ。ここで15分ほどの待ち時間ができてしまう。以降、決して接続が悪いわけではないのだが(いや、悪いときもあったぞ)、関東の近郊私鉄のように5分ヘッド位でバンバン来るわけではないので、待ち時間で結構ロスしてしまう場面も多く、思いの外時間がかかってしまった。

甘木線は全線単線ワンマン、家々の裏を縫って走るような雰囲気のなかなか楽しいローカル線である。車両の近代化も本線系にずっと遅れて、600形が余生を送っていたのだが、こちらも最近7000・7050形に統一されてしまった。しかし、狭いホームや番数の小さいポイントを新鋭車両が行き来する様はユーモラスでもあり、特にテーブルトップのような踏切を急な縦曲線を描いて上り下りしたり、意味もなく(あるんでしょうけど・・・)S字を描いたりする線形はスリル満点で飽きさせない。これは面白いなあ。

本郷駅で上下列車の離合。ここ本郷や学校前など、甘木線は島式ホームの幅が異常に狭い駅が多く、速度は遅いとはいえ結構度肝を抜かれる。終点、甘木の手前では、大きなRを描いてカーブする甘木線は三セクの甘木鉄道の線路に寄り添うように近づいていき、また離れる。

終点、甘木は1面2線の頭端式ホーム。列車の発着は基本的に写真で左側のホームのみが使用されているようである。データイムは本郷で交換を行うダイヤになっているため、甘木に到着した列車はすぐに折り返して出発してゆく。

そうすると、またこの何もない駅で(といっても待合室には何人かの客もおり、駅前の車通りが多いこともあり決して「人っ子一人いない」という雰囲気ではない いずれにしても暇が潰せるものがあるわけでもないが・・・)30分待ちと言うことになるが、私は最初から甘木線で帰るつもりはなかったので特に慌てもしなかった。ここまで来たら、帰路は甘木鉄道に乗らない手はないからだ。

地図を確認して行かなかったので自信はなかったのだが、両線の甘木駅の距離は100mほど、歩いてすぐの所にあり、鹿島臨海鉄道の新鉾田と鹿島鉄道の鉾田よりずっと近い。しかし、平日の昼下がり、スタスタと歩いてゆく変なオッサンを待ち受けていたのは、ここでもおよそ30分待ちという現実・・・しかし、構内に留置してある数両のAR300形が撮り放題でもあり、まったくの無駄というわけでもなかろう。

国鉄甘木線を1986年に転換して発足以来、智頭、北越のような都市間連絡の幹線輸送を担う特殊な例を除いて、数少ない黒字経営の第三セクターであった甘木鉄道も、ここ数年は輸送人員も若干低落傾向で、2006年7月には大雨で宝満川橋梁の橋脚が傾いたため、大板井―松崎間が不通となったことなどもあり*1、存続には危機感を持っているようである。

1317発の基山行きAR303に乗車、当然かぶりつきで全線の前面展望を目に焼き付けるべく仁王立ちで発車。太刀洗駅で上下列車交換。苦しい苦しいといっても、車両の代替もままならない会社が多い中で、開業当初のレールバス、AR100形はすでにほぼ一掃されており、写真のような普通鉄道車両規格のAR300形への更新も済ませている。運転士の方の話によると、パワーがあるので運転は楽になったとのこと。あ!そういえば、この駅に併設されている大刀洗平和記念館には、九七戦をはじめ建物前にT-33が保存されているんだよね、しかし今日は9時から電車に乗っているのに、ここまで意外に時間を浪費して、本日中になんとしてでも宮路岳線まで行かなければならず、これ以上の(本筋からの)寄り道は断念せざるを得ない。
・・・しかし、本筋からの寄り道って言うけど、今回の本筋は空母撮ることじゃなかったのか!?

とても田舎の三セク鉄道とは思えないほどの高規格を進む。ここは大分自動車道に併走する 大板井―小郡間。小郡では西鉄天神大牟田線と交差しており、ここで西鉄甘木線と三角の関係になっている。福岡に出るには西鉄に乗るよりも甘木鉄道の方が近いことになり、この位置関係が甘木鉄道が他の三セクに比べて有利な要因になっている。

列車は約30分でJR鹿児島本線との接続駅である基山に到着。本線の東側に単線で寄り添うようにして近づくが、ホームは共用ではなく1面1線で独立して設けられており、JRとは跨線橋で連絡することになる。写真を撮るタイミングでは来てくれなかったが、783系や787系が頻繁に行き交っており、ここで当初の計画では小郡まで戻って西鉄に戻るつもりだったのだが、また時間のロスも大きいかと思ってJR側に行ってみたところ、またまた!こちらも次の列車までにはかなりのロス。甘木鉄道は5分ほどで折り返しが発車するため、先程「お世話になりました〜」と運転士さんに告げて降りたにもかかわらず、バツが悪そうに再乗車と相成った。

だいたい、西鉄乗り歩きのはずなのに、基山でJRに乗ってしまうと、某京成のようにあちこちでJRにまとわりつくような線形でないため、博多までのどこかで西鉄に復帰するのが難しくなってしまう。この際太宰府線は諦めてそのまま宮路岳線に行ってしまおうかとも考えたのだが、やはり今回は完乗を目指したい。というわけで、小郡まで戻ってきた。
同駅はかつては筑後小郡駅と称し、現在地とは離れた場所にあった*2国鉄時代は当然ライバルの西鉄への乗り換え利便を図る必要がなかったためだが、三セク化されてサービス向上の一環として交差地点に駅を移設した。甘木から片道と3分の1をお世話になったAR303を見送って、西鉄に復帰。両駅は専用通路などで結ばれているわけではないが、徒歩で2分ほどの距離になる。
小郡からは筑紫まで各停の急行に乗車、急行運転になったのもつかの間、最初の停車駅である西鉄二日市で降りる。すでに1430近く、とにかく各駅で待ち時間が思いの外に長くかかり、明るいうちに宮地岳線に到達できるか若干黄信号が灯りだした。太宰府線飛ばすか・・・いや、それではこの旅の大義名分が立たなくなってしまう。どうせ2駅の往復、甘木線ほどには時間はかからないだろうと思ったのだが、二日市で降りたのと同時刻に太宰府行きは発車してしまい、またも20分近くのロス・・・どうなってんだここのダイヤ!? なぜ大牟田方面からの接続を取らない!?

まあ、そのおかげでここまで乗り鉄ばかりでなかなか列車の写真をとれなかったのに、きれいな2000形の写真をものにすることができた。憧れの2000形・・・日本では珍しい中央運転台レイアウトの、「バスのような」と形容された独特の前面デザインが印象的な2扉クロスシート特急車である。我々の世代には、阪急6300系、京阪3000形、富山地鉄14760形、そして若干世代は下るが京急2000形辺りと並ぶ、日本を代表する(特別料金不要の)私鉄ロマンスカーである。特にその姿を見ることなど思いも寄らない子供時代、まるで外国の電車のような存在だった。後継の8000形の登場により特急車の座を降りて3扉改造され、現在では急行を中心に運用されているが、1編成が廃車されただけでまだ5編成の活躍を見ることができる。しかし・・・今回、2000形にはすれ違うばかりで1度も乗るチャンスはなかった。

20分近くも待たせた挙げ句、2駅しかない太宰府線は中間の五条駅で離合を行う。全っ然先に進みやしない・・・太宰府駅は平日にもかかわらず観光客でごった返していた。ここでも次の列車まで15分ほど、2駅の枝線に結局往復に50分近くを浪費・・・ちょっと正月に訪れた銀閣の門前通りに似た参道をぶらつく。ここまで、朝に福岡(天神)でおにぎりを買って食べて以来、何も食べていない。参道の各店舗では太宰府名物、梅が枝餅が並んでいるが、甘い物を食べたい気分ではないので、豚角煮まん300円也を買って食う。1個では大して腹の足しにもならないが、まあその分夕食は豪勢に行かせてもらおう。

太宰府駅の3・4番ホームには、日中留置らしい600形が停まっていた。7000系列の大量増備と、さらに最新のクロスシート車である3000形がデビューしたことで、天神大牟田線系統からはほとんどが引退し、残るはこの4連の630Fと3連の621Fのみ、いずれも定期運用はないという。

慌ただしく二日市に戻り、特急で福岡(天神)に戻ってきた。輸送量の多い博多口では、夕方近くの閑散時間帯といっても特急に空席はなく、緩急結合が有効に機能している証拠か、駅ごとに人が乗ってくる。結局、行きも帰りも先頭車最前列に座ることはできなかった・・・が、終点の1つ手前、薬院で結構降車があり、最前列も空いたので1駅間だけ座ってみた。バスターミナルへのスロープが線路脇に見え、立体構造になっている福岡(天神)駅は、ここから見るとちょっと名鉄名古屋に似ている。
この後、私は地下鉄で貝塚に出て、部分廃止間近の宮地岳線を津屋崎まで往復してきたのだが、こちらはまた長くなるので後日、廃止の頃に合わせて改めてレポートするとして、再び天神に戻ってきたのは1800、本当は福岡市営地下鉄全線完乗も狙いたいところなのだが、そろそろまとめに入らないと、いくらお迎えが深夜だからといっても、仮眠もしなければならないし、腹も減ったし・・・迷ったものの、七隈線だけでも!と、天神の駅を通り越して天神南へ急ぐ。駅数を見れば16駅もあり、リニア地下鉄ということを考えても、片道45分位はかかりそうだぞ、往復で1時間半か、一体いつになったら風呂入って寝られるんだ・・・と思ったら、なんと片道24分だという。これは乗らない手はない。

実は、西鉄に負けず劣らず、この七隈線は今回のツアーの中でかなり期待していた路線で、なんとしても完乗をと狙っていたのだ。なるほど、初めて見た3000形は期待に違わぬ素晴らしい車内インテリアだった。当初は日本の地下鉄で初めての完全無人ATOを目指しており、壁で仕切られた「運転室」は存在しないのだが、安全対策などを考慮して国交省の許可が下りず、開業以来ドア扱いや安全確認などを行う監視員*3が常時乗っており、先頭部はパイプで仕切られているため、新交通システムのように先頭座席に座れるわけではないが、それでも開放式の先頭部から見るトンネル内の前面展望は一見の価値あり。私が乗り合わせた列車はジャーク制御の試験を行っているようで、作業着姿の職員が後ろに立って発車から停車までの時間をストップウオッチで計測して台帳に記入していた。

ICEなどのデザインも手がけた、デンマークの有名デザイナー、アレクサンダー・ノイマイスターによるヨーロッパの香り漂う車内。木目調で重厚な感じがする1000系も日本の地下鉄車両の中では最高級の部類に属すると個人的には思っているが、リニア小断面地下鉄となった七隈線では一転して軽快なヨーロピアンデザインとなった。公営路線にあって意欲的な試みが光るが、いざ座ってみると・・・座面が浅くて、背もたれは某社の新幹線のように若干インバートしているのではないか?と思うほどの垂直、あまりくつろいで座っていられるものではなかったです、正直。 まあ小断面だし、全線乗っても24分だからなあ・・・
すぐに引き返して、天神でどこか焼肉屋でも入ろうと思ったのだが、なにせ土地勘のない場所で、ロッカーから荷物を出してうろうろしたくないし、パッパと決めて入ってしまいたい。七隈線の駅でどこか飲食店があれば・・・と思いながら、終点の橋本を降りて地上に出てみれば、もうすっかり日は暮れて真っ暗、市街の外れもいいところの街道沿いには、狙った通り大きな飲食店が軒を連ねていた。その中に・・・あった!焼肉屋。まだ時間も早く、誰もお客がいない店内に「1人です」と入り、朝からまともな飯を食っていなかった仇を取るべくビールを立て続けに2杯、焼肉を頼みまくる。いや〜、後は温泉入って(仮眠室で)寝るだけ、今回もいい旅行だったな〜・・・ん!? なんか忘れてるような気がするぞ・・・?
1人で狂ったように焼肉と米を食らう私に、嘉手納分遣隊から刻々と連絡が入ってくる。今日は幸いラプターはそこそこ飛んだらしい。しかし、夕方那覇から北九州への飛行機は遅れそうだとのこと。慌てないでいいですよ、こっちはゆっくり飯食って酒飲んで温泉入ってますから、と返事して、苦しい腹を押さえながら天神まで帰ってきた。ロッカーの荷物を回収して、本日の最終目的地、「博多 由布院・武雄温泉 万葉の湯」の無料巡回バスが停車する福岡市役所前に。しかし待てども待てどもバスは来ない・・・場所が間違っているのかな?と先に向かって歩いて行った時に向こうから走ってきて、荷物を持って走らされて大汗。走り出せば、遅れるのも道理で、金曜夜の博多はどこもすごい渋滞、結局予定よりも30分ほども遅れて、着いたのは2130にもなろうとする時刻だった。0時過ぎには迎えが来てしまう。本来なら夕方明るいうちに来て、風呂入ったり寝たりネットやったりしてゆっくり過ごすつもりだったのだが・・・まあ仕方ない、終わりよければすべてよし、後は帰るだけだからなあ・・・いや〜極楽極楽・・・
ん!? 本当にこれで終わりなのか? 何か大事なことを、大事〜なことを忘れているような気が・・・

*1:2006年12月20日復旧

*2:現在でも基山方にしばらく走った所、大分自動車道と交差する高架下にホームの跡が残る

*3:甲種電気車免許を持たないため、「運転士」ではない 定年退職後の元職員などを嘱託として再雇用するため、人件費の削減にはそれなりに効果があるらしく、当初目論んでいた完全無人運転は現状では具体的な予定がない