原子力空母ロナルド・レーガン佐世保入港

USS Ronald Reagan CVN-76

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掌の中の携帯が、突然震えた。
2月24日、0110。お迎えが到着したらしい。気持ち良く眠っていた「臨時仮眠室」と張り紙のある大広間から、飛び起きて廊下に出、電話に出る。もうすぐ着くらしい。
この臨時仮眠室、サイトを見るとわかるように「臨時」とは銘打っているもののほとんど常設のようで、畳敷きの大広間にマットレスがいくつも敷かれており、掛け毛布もあるので完全に布団のように使うこともできる。私は毛布があるのに気がつかなかったのでそのまま寝ていたのだが、それでも肌寒さを感じることなく気持ちよく寝ることができた。正直、この旅で一番楽しみにしていたのがこの仮眠室である(あんたちょっとおかしいよ・・・)。
結局、前夜に続いて睡眠時間は2時間弱となってしまったが、快適な設備のおかげか、かなり深い睡眠が取れたようで、まったく眠気は感じない爽やかな寝起きとなった。まだ通常「起き」る時間ではないが・・・玄関を出ると、昨年秋以来久々の再会となるtamo太郎さんと彼の後輩の方が待ってくれていた。ここから佐世保まで、tamo太郎さんの車に同乗させて頂いて撮影ポイントを目指すのである。そう、私は、今回九州までやってきた本当の目的を、忘れていなかったのだ。さあ、行こう友よ。
福岡から佐世保までは約100km強、夜通しで走るような距離ではないが、入港に際しては夜明け前までにオン・ステーションしなければならず、このツアーではあと2人を真夜中の佐世保駅前で拾わなければならないのだ。いつもは下道で行くらしいが、すでにそれでは間に合わない時間になっており、九州自動車道―長崎道―西九州道ルートで急ぐことになる。いずれにしても、真夜中ながら初めて通る道ばかり、誠に興味津々ながら広々としたワンボックスの後ろでふんぞり返ってフネ談義、ヒコーキ談義などで盛り上がる。普段単独行動が多いだけに、このような行為はあまり経験することがなく、ただでさえ私の大好物、真夜中のドライブ
しかも知らない道ということもあり、アドレナリン大噴出! そして、あっという間に佐世保みなとICに到着、死んだように寝静まっている市街を抜けて佐世保駅前へ。
私にとっては、19年半ぶりの佐世保である。前回はあまり詳しいことはいえないが、いつもの私の趣味とは正反対の用件で来たのであるが、そこは結局単なる軍オタと化してゲート前まで行ってみたものの、当時はまだ免許もなく、時間も限られていたので、駅周辺をうろついただけで、良く雑誌で見るような艦船が蝟集している所など、どこなのかわからぬまま帰路についた。その後、足を向けることなく20年近い月日が流れ、駅は高架化された。しかし、当時大村線をキハ20に乗って長崎から佐世保に着いた時の記憶にある景色は、漆黒の闇の中にもはっきりと見てとれた。
駅前で時間調整のためしばし休憩。もちろん人っ子一人いないが、すでに本日となった原子力空母入港に向けて、この街のどこかで動き出している部分があるはずだ。もちろん、同業者はこの時間、撮影ポイントに向けてめいめい急いでいるはずである。そう、私もその「動き出している部分」の一部なのだ。九州とはいえ、日本海に面している北側は冬には雪も降るし、それなりに寒い。それを承知の上で薄手の上着1枚しか持ってこなかった私だが、撮影ポイントに着いてから実際の撮影時刻までは結構時間がある。大丈夫なのかな!?という思いが頭をもたげてきた。
ここでもう一人が乗車、さらにレンタカーで現地まで付いてくる1人と合流して、0400過ぎに佐世保市街を出発。佐世保入港といっても、実際に撮影をするのは市街からは車で40分ほど走った所になる。横須賀入港艦船を観音崎で撮るよりさらに遠いのだ。しばらく走れば、もうどこを走っているのか皆目見当がつかなくなってしまっていた。いつもの私の行動パターンにはない、人の車でどこに連れて行かれるのかわからなないというシチュエーションだ。後学のために、ロードマップを貸してもらって一生懸命トレースして行く。ははあ・・・なるほど。
20年ぶりに訪れるのであるから、佐世保はまったくの素人である。が、事前に自分なりに調べて、ここしかなかろうというポイントに向けて車は走っているようだ。そこが佐世保入港艦船を絶好のアングルで撮影できるお立ち台とのことである。
以前、tamo太郎さんに、このお立ち台で撮ったエイブラハム・リンカーンUSS Abraham Rincoln CVN-72の写真を頂いたことがあり、その素晴らしさが忘れられなかったのだ。青い空と海、順光で併走する巡視艇すらも計算し尽くされたように配置された、まさに一幅の絵。デッキ上に並ぶ搭載機の面々も、横須賀入港のキティでは絶対に撮れないものである。しかも、観音崎からではこのようなアングルでは絶対に撮ることができない。航空機を搭載するのが空母本来の存在意義なら、「生きている」状態の空母をこの構図で撮るには、ここ佐世保に入港してくる外来を狙うしかないのだ。
途中、最後のコンビニという所で食事と飲み物を仕入れ、ここから先は自動販売機も便所もないという。さてさて、日本本土の西の端、とんでもない所に来たもんだ・・・車はすでに1台分の幅ギリギリの、林道のような所を走っている。そんな所を5分も進んだろうか、車が何台か停まっているちょっとした広場に到着した。ここが目的地だという。
着いた当座は何がなんだかわららなかったのだが、目が慣れて車を降りてみると、すでに同業者が10人ほど集まっているのと、そこが海―狭い水道に面した高い崖の上にある場所で、目の前が海、ちょっとでも足を踏み外せば下に落ちてしまう(断崖絶壁ではないので、海に真っ逆様・・・・というわけではないが)所だということがわかった。ここが噂に聞いたお立ち台・・・目の前には水道航路の両端を示すブイの灯りが点滅している。なんて非日常のシチュエーションなのだろうか、この狭い場所を巨大空母がすり抜けて行くというのだ。
到着時点で時刻は0500、ただでさえ日の出が遅い西日本の外れも外れにあって、もちろん世界は夜明け前の漆黒の世界である。他の車のルームランプが点いていたり、時々ヘッドライトで照らし出されることで、なんとなく周囲は窺えるが、うかつに前に出ると危ない。車をこの場所に置いておくと、今度空母が通峡後にすぐに戻れない(速攻で市内に戻らなければならない理由があるのだ)ので、車はずっと手前に戻さなければならないという。機材など使用するものを全部下ろして、後は車の中でぬくぬくとしているわけにもいかない。我ながら、コーデュロイのシャツの上に薄手のウインドストッパーを1枚羽織っただけで、恐らくあと3時間!この寒空の中で立っていなければならない。
ほどなく、猛烈な寒さが襲ってきた。弱いながら風が吹いており、それがまた一層体感温度を下げる。暖冬と言われる今シーズンの冬、しかも九州まで来て、恐らく5度を割っている!? こりゃ夜が明ける前に凍死かもしれない・・・!貧乏揺すりでもしていないと、到底居ても立ってもいられない。こんなウインドストッパー1枚しか持ってこないとは、我ながら大バカ者なのか、それとも用意がいいのか・・・家を出るときはこれでさえ「着ないのでは?」と持ってくるのをためらったのだ。
寒さでもう何がなんだかわからなくなりそうな精神状態の中、ふと見上げれば、満点の星。目の前には大きな柄杓が縦になっている。うわ・・・こんな星空、もう長いこと見てないな。まるでここに集まった連中、天体写真愛好家の集まりのようだが、誰一人として天体望遠鏡を持っている者はおらず、ファインダーは水平線の彼方に向けられている。冬の夜空を彩る神話の神々もさぞや苦笑していることだろう。
後方の山の裏、東の空がほんのり明るくなってきたのは、0600をとっくに回った頃だった。下の水道はひっ切り間なしに何やら小形の船舶が沖に向かって出て行く。そして、遠くには、何やら漁り火というのとも違う灯りがかすかに見えてきた。あれがレーガンさんか!? まだはっきりとはわからない。しかし、何度もここでいろいろな艦船の入港を撮っているtamoさんを始め、歴戦の強者達には、すでにあれが空母であると確証があるようだ。ついに来たぞ、昨日朝、福岡(天神)で8000形特急に乗車してから、長い旅路だった、そしてここで最後の決戦の火蓋が切られたのだ。
今回、佐世保に入港するのは、ロナルド・レーガン・キャリアストライク・グループと呼ばれる第7空母打撃群の中核である原子力空母ロナルド・レーガンUSS Ronald Reagan CVN-76と、その随伴艦であるタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦、レイク・シャンプレインUSS Lake Champlain CG-57の2隻。随伴艦部隊はあと2隻、アーレイ・バークミサイル駆逐艦ラッセルUSS Russell DDG-59が清水に、同ポール・ハミルトンUSS Paul Hamilton DDG-60が和歌山に入港すると伝えられている。実は我々が一番心配していたのがこのレイク・シャンプレインの動向で、先に入港するなら問題ない(はずだった・・・この時点では)のだが、後になってしまうと、前述のように空母撮ったらすぐに市内に引き返さなければならないので、こちらを諦めなければならない可能性が出てくるのだ。シャンプレイン湖はどこ・・・? あっ、あれ!?
なんと、レイク・シャンプレインは予想よりずっと近く、空母に先行してすでに目前に迫ってきていたのであった。時刻は0640過ぎ、まだ夜は明けきっていない。薄明の中を、ゆっくりながら、この狭い水道を目指して確実に歩を進めてくる。困ったな・・・とてもISO100で撮れる明るさではない。しかも、機動性重視で三脚も持ってきていないのだ。400に上げてもシャッターは10分の1がやっと、時に4分の1が出る。ここで100万もする大口径砲があれば違うのだが、今それを嘆いても仕方がない。手持ちで勝負するしかない。

ちきしょ〜やっぱりオレの仕事だけに、何か落とし穴がありやがる、しかも天気は沖の方から曇って来やがった・・・居並ぶカメラの砲列を前に、落胆と怨みの眼差しを知ってか知らずかレイク・シャンプレインは半錨で静々と過ぎて行く。錨地(岸壁)はまだまだ先、この時点ではタグも取り付いておらず、俯瞰状態で見事な形式写真が撮れるだけに、明るい陽光の下で撮りたかった・・・特にタイコンデロガ級は、密かにコンプリートを狙っているだけになおさら*1

0700を過ぎた。佐世保と沖合の離島を結ぶ民間船の行き会いも多くなってくる。こちらは西海沿岸商船の双胴高速船、「れびーどエクセル」。

本当、天気運には恵まれないっつ〜か、ほんの少し前には星が降ってきそうな空だったのに、明けてみたら霧も出て、若干どんより気味・・・しかし、沖合にはすでにレーガンさんがはっきり見える。点在する小島を縫って、南西から北東に抜けるこの細い水道を抜けるには、大きくS字を描いて進入するコースを取ることになる。

佐世保基地からは周囲の警戒に出る海軍の高速艇が続々と出て行く。尾部のマウントには恐らく実包の込められた機銃が取り付けられ、いつでも撃てる態勢!? 

空母上空を飛び回っていた海上保安庁福岡航空基地のベル412EP「はまちどり1」(JA6756)が、空母に合わせて近づいてきた。上空をかすめるように飛んで行く。

海上保安庁放射能調査艇「さいかい」MS02。これは原子力艦船が入港した時に、放射能測定を行う船で、船橋横には「Radiation monitoring in progress Coast Guard & MEXT」との横断幕を掲げている。もちろん搭載の機材で測定を行うのが第一義の任務なのだが、随時入港反対のデモを行う平和団体の船をガードする役割も担っているらしい。

そして・・・出てきました出てきました!空母ロナルド・レーガンを迎え撃つデモ隊の船、通称「平家船」。タイミングを見計らって、一斉に出港して一路空母を目指す。すべてが見渡せるお立ち台からは、両者の激突を高みの見物で楽しめ、皆で「おいおい!巡視艇回れ回れ!手前ガラ空きだぞ〜!」とか「抜けた抜けた!」とか無責任なヤジが飛ぶ飛ぶ。

家船と巡視艇の壮絶なバトルをよそに、巨艦はすでにS字の中途、搭載機がはっきり視認できる距離まで近づいてきた。もう我慢できん!! ここからは当日記始まって以来の大サイズでお伝えします。すでにレイク・シャンプレインの姿が見えてから1時間、0840を回り、ロナルド・レーガンは取り舵回頭に移る。

ほぼ正面形になった。ヘリの離着艦に備えてアングルドデッキはクリアーになっているが、それ以外の上甲板は満載状態。アイランドの形状をはじめ、従来のニミッツ級と形態が変わっていると言われるレーガンだが、このアングルからではそれほどの差異は見られない。ただ、この後進むにつれ左舷側を見ることはできなくなるのだが、アングルドデッキ前のスポンソンに装備されているのはRAMであることがわかる。

アイランド付近をアップで見てみると・・・ステルス性に配慮したモノコック構造のマストがはっきりわかる。アイランドの直前、2機目にVFA-25のダブルナッツ(第14空母航空団司令機)らしき機体が見える。

キティが横須賀に入港する際、浦賀水道航路でも見ることができる、SHによる上空からの前方進路警戒だが、今回ももちろん実施されており、搭載ヘリ部隊、HS-4のNK612(Bu.No.164095)が水道の上空を行ったり来たりしている。

そして、遂に来ました!今回これが、これが撮りたかった決めショット! 素晴らしい、観音崎では絶対に撮れない、まさに「ザ・空母」というべき堂々たる姿、これが満載排水量10万2,000tの重量感だ!!

アイランドとマストのアップ。入射した電波をレーダー方向に返さないよう、上に向かってテーパーしているのがステルス性を発揮するモノコックマストの特徴。これは昨年訪れたノーフォークで見たドワイト D.アイゼンハワーUSS Dwight D.Eisenhower CVN-69でもわかるように、初期建造艦も燃料交換などの大規模なドック入りの際に随時交換されているようであるが、レーガンはさらに進んで、従来艦でアイランド後部に別にマストを建ててそこにマウントしていた、2次元対空捜索のSPS-49A(V)1がアイランド上に乗ったのが大きな相違点。メインマストは最上段からURN-25TACAN、「那須与一アンテナ」SPQ-9B、その両側にOE-82衛星通信アンテナ、中段にはなぜか現状では何も装備がなく、その下のリング状のものはUPX-29IFF(敵味方識別装置)、下段マスト中央はSPS-67対水上レーダー、その後方にSPN-43B航空管制レーダーという配置なのだが、あるはずのMk23TAS(Target acquisition System)がどこにも見あたらない・・・バー形状の特異な外観をしているので一目でわかるはずなのだが、球形のレドームの中に入っているのだろうか。どなたかご存じの方がおられたらご教示下さい。ちなみに、一番前に装備されている3次元対空捜索のSPS-48Eはすでに回転を止めており、ずっと前を向けた状態で固定されている。このでっかい板が正面を向いていないと、形式写真としては画竜点睛を欠くのだが、正面を向いているため、おかげさまで楽に撮れました。
ここからは、搭載機を見ていこう。当日記で何度も述べているように、現在レーガンに搭載されているのはCVW-14・第14空母航空団。各搭載部隊は、モデックス100番代、現在単座F/A-18Eから複座F形に機種転換の最中にクルーズに駆り出されたVFA-22"ファイティング・レッドコックス"、200番代はF/A-18EのVFA-115"イーグルス"、300番代が従来形ホーネット、F/A-18CのVFA-113"スティンガース"、400番代が同じくF/A-18CのVFA-25"フィスト・オブ・ザ・フリート"、以上が戦闘攻撃機部隊、500番代は電子戦攻撃機、EA-6BのVAQ-129"クーガース"、600番代の600〜が早期警戒機、E-2CのVAW-113"ブラック・イーグルス"、610番代が対潜・水上攻撃ヘリ部隊、SH-60F・HH-60H装備のHS-4"ブラックナイツ"、そして先日厚木編で紹介した、陸上との連絡・輸送機であるC-2A装備のVRC-30"プロバイダーズ"det.1となる。
当日のフライトデッキ上の配置を、判明しているだけ、できるかぎりレポートしてみると・・・

艦首から215、F/A-18Fの105(Bu.No.166454)、203、410、112(Bu.No.166447)、311、

500(Bu.No.152936 大きなクーガーの横顔のマーキング入り)、310、404、217(Bu.No.166443)、402、401、407,205、403、303、306。わかりにくいが、画面左端に白い「NK」のレターと吠えかかるクーガーを描いた500が見えるが、着艦時のアレスティングワイヤーのテンションを調節するのに必要な正面形状での識別用に、プラウラーに描かれることが多いレドームのマークが、獰猛そうなクーガーとは裏腹に可愛らしい肉球のシルエットになっているのに注目。どんな凶暴な猛獣でも、ネコ科である限りこの足跡で馬脚(猫足?w)を現してしまう、というわけである。

▲(2006年8月23日日記の再掲)VAQ-130のEA-6B機首に描かれた正面識別用マーク
右舷艦首角、シールドつきの銃座で兵士が構えているのにも注意されたい。この機銃、艦の至る所に装備されており、入港時にはすべてでいつでも撃てるように兵士がついていたのが印象に残った。911以降の米軍の厳しい環境がこの写真ひとつでおわかり頂けると思う。

301、102、212、305、411、400、107、603(Bu.No.165821)、307、406、302、503、600(Bu.No.166648 黒いかなり派手な塗りの尾翼)、614(以上ここまでが前部甲板係止)。色のついた尾翼マークの機体は、ご存じトップガン塗装(笑)、拳が電光を握るフィスツ"ことVFA-25のダブルナッツ(第14空母航空団司令機)。E-2Cはロートドーム上の円錐状の突起、CEC用のUSG-3共同交戦送信処理セットアンテナを装備したグループ2(C)仕様だが、キティホークのVAW-115所属機にも換装作業が始まった8枚プロペラにはなっておらず、従来の4枚ペラのままである。
アイランドの横に601(Bu.No.165822)、SH-60F(番号不明)、HH-60H(番号不明)、H-60系ヘリ(機種・番号不明)、300、

後部甲板に501(Bu.No.161245)、201(Bu.No.165782)、101、202(Bu.No.165783)、103、214、110(Bu.No.166445)、210。NK201のCO(隊長)機シリアル165782は航空ファン2003年10月号に掲載されているスーパーホーネットのシリアル対照表で見ると、当時からNK201となっており、3年以上まったく変更がないことになる。実戦部隊で初めてスーパーホーネットを装備したVFA-115の機材は、最初の宿命で今や実戦部隊最古参、1999会計年度のロット23に属する機体となる。かつてミッドウェイMidway CV-41に搭載され、A-6で部隊名"アラブス"を名乗っていた頃の懐かしいデザインを今でも踏襲した、黄色いシェブロンを描き、ドーサルスパインの部隊名や尾翼端のモデックスにも黄色を使用するなどアクセントをつけているが、どういうわけかCVW-14の機体は全体的に地味〜な感じ・・・先日、2月12日の日記コメントでFingerさんが書かれている通りの色気のなさである。NK300に至っては、これもFingerさんの書き込みにあったように、ダブルナッツながらまったく色味がないという、信じられないような事態になってしまっている。なんでこの航空団、こんなに「薄い」の!?

艦尾に304、F/A-18Fの106、114、104(Bu.No.166441)、211(Bu.No.165790)、206。キャノピーを開けているため、一目で複座F形とわかる106だが、こちらもFingerさんの書き込みの通り、結局今回のクルーズでのF形搭載数は105・106の2機だけのようである。106は奥なので判読のしようがないが、105のシリアル166454は2002会計年度のロット26の機体で、最新鋭の機体が回ってきたのではないようだ。なお、この166454は2005年に西海岸の機種転換部隊、VFA-122のNJ145だった記録がある。一番手前の114が尾部のアクセスパネルを開けてエンジンのメンテナンス作業を行っているのと、艦尾にRIM-116B・RAMの21連装発射機、EX-31が装備されているのに注意。以上がフライトデッキ上の確認できた限りの搭載機だが、VFA-22とVFA-115のダブルナッツは確認できなかった。ハンガーデッキに降ろされていたものと思われる。

今一度、アイランドのアップを。側面形で見ると、「格好悪い」と評判の悪いレーガンのアイランド形状が納得できる。かつてのアメリカ空母のアイランドは、上が広がって下の幅が狭い、正面から見ると「T」字形の形状をしていたのだが、当艦からハルナンバー「76」の書いてある部分が一番張り出して、しかもここがまるでベニヤでも貼ったような平らな板形状になっているため、ノッペリした印象になってしまうのである。近代アメリカ空母では、アイランドは艦橋設備を収容するという目的の他に、後ろ半分を煙突として利用するようになっており、通常推進型であるフォレスタル級、キティホーク級などでは相応に大きくなるのだが、原子力推進であるニミッツ級に当然煙突は不要で、相対的にかなり小さい作りとなっている。しかし、煙路のような「無駄な」スペースは一切なく、すべてが部屋として利用されているので、スペース効率としては非常に高いものとなる。古今東西、軍艦の歴史は煙突をどのように取り回すかに悩まされてきた歴史でもあるのだが、こと排気の乱流が着艦してくる航空機に悪い影響を与える心配はある空母では、過去に煙突の設計では各国とも非常に苦心し、試行錯誤を重ねてきた。デカイ煙突からの解放というのは、空母にとっては原子力化のメリットのうちかなり上位に入る項目なのである。しかし、この写真に写っている船体内のどこかに原子炉が納まっているというのも、冷静になって考えてみれば不思議な話ではないか。最初の原子力空母であるエンタープライズUSS Enterprise CVN-65では、炉心交換、つまり燃料補給は3年に一度と言われていた。今から見れば子供の遊びのようなレベルのテクノロジーだが、就役当初には原子力艦だけで、一切の補給を行わず世界一周航海*2を行い、原子力艦の有効性を実証したのだ。そして約半世紀を経た今、ロナルド・レーガンの原子炉の炉心交換サイクルは30年と言われている。あと27年間は燃料を補給する必要がないのだ。
艦橋は2層構造で、上の階・09レベルが航海艦橋、艦長以下操艦のスタッフが常時居るスペースになる。下の階・08レベルが司令部艦橋で、上級部隊司令官座乗などの際*3に使用されるが、通常は空き部屋になっている。この写真でも人影はまったく見えない。
前述のように、以前は独立してマストが建っていた2次元対空捜索レーダー、SPS-49A(V)1はアイランド後部にまとめられたが、これもシルエットをなるべく集約してステルス性を上げようとの配慮に基づくものだろう。「6」の数字の右隣にあるアンテナは、SLQ-32(V)4電子戦装置の発信器。
正味4分ほど、初来日となるロナルド・レーガンは我々の、本当に手の届くような目の前を通って、湾内の奥の方に消えていった。これで・・・私が九州に来た本当の目的は、終わった。

*1:同級全27隻中、VLSを装備しない前期建造艦5隻は退役してしまったため、厳密にはコンプリートは無理 退役艦中ビンセンスは撮っているけど・・・

*2:シーオービット作戦 原子力ミサイル巡洋艦ロングビーチLong Beach CGN-9、原子力ミサイルフリゲイト―当時 後に巡洋艦に種別変更―ベインブリッジBainbridge DLGN-25と3隻で1964年7月31日、史上最初の原子力艦任務部隊、NTF-1を編成、8月1日にジブラルタルを通過し東回りでノーフォークに10月3日帰港するまで、無補給で65日間・3万565海里を走破した

*3:現在のアメリカ海軍では艦隊旗艦に空母が充当されることはない