イージス護衛艦「あたご」就役

JDS Atago DDG177 & Kongou DDG173

春、年度末は就役ラッシュのシーズン。
3月15日、海自のイージスミサイル護衛艦「あたご」型の1番艦となる「あたご」DDG177が三菱重工業長崎造船所にて竣功、海自に引き渡し式が行われ正式に就役した。
同艦は海自最初のイージス艦となる「こんごう」型に続く、同型の改良・拡大形で、予算化年度を取って部内外で14DDGと呼ばれていたもの。満載排水量は10,000tと言われ「こんごう」型、またタイプシップであるアメリカ海軍のアーレイ・バークミサイル駆逐艦を遙かに超え、武器・装備類は「こんごう」形とほぼ同じながら、後部甲板にヘリ格納庫を備え恒久的なヘリ搭載・運用能力を持ち、またイージスシステムも従来艦のベースライン4・5仕様に対して、現状で最新のものとなる7.1Jに更新、対艦ミサイルに当初より国産の90式艦対艦誘導弾・SSM-1Bを、前部5インチ砲に従来のOTOブレダに代わって米軍と同じ装備となるMk45Mod4を搭載するなど、いっそうの能力強化が図られている。

▲京都、大文字山から見た艦名の由来となる愛宕山(右側のピーク)
配属は第3護衛隊群・第63護衛隊、定係港は舞鶴。雨の降る中、初めて自衛艦旗を掲揚し長崎港を出港した「あたご」は、母港となる舞鶴に向けて旅立っていったとさ(現地特派員報告)。
さて、先日、佐世保レーガンさん撮りに行った帰り、昼前には佐世保に戻ってきたのだが、セイルタワー見学などして、帰りの飛行機は福岡発2115なので、まだまだ時間がある。というわけで、わがままを言って長崎に寄り道してもらった。
私もそうなのだが、連日連戦のtamo太郎さんと後輩氏には悪いことをしたが、大村線に沿って国道205号、東そのぎインターから高速に乗り、大村湾を眼下に見下ろす素晴らしい景色を楽しみながら走ること小1時間、今度はトンネルばかりの険しい山の中を走り、長崎市街に着いた。
長崎も5年ぶりである。長崎道からつながっているながさき出島道路はその名の通り、いきなり市街地のど真ん中、出島の辺りに出るのだが、なんか知らんが道が大渋滞! どちらの方向もビクともしない。実は私、どうしても長崎電軌の3000形を撮って来なければならない理由があって、それで長崎に来た、というのもあるのだが、道端に停められるわけでなし、駐車場はどこも満車、軌道内通行禁止の長崎だが、右折しようとして引っかかってしまい、電車の前を思いっきり通せんぼ!してしまったり、とにかく大変な目に遭った。そんな中、本題の3000形がやって来て、なんと信号待ちで隣に並ぶ。あ〜!撮らないと、しかし車の中から写真撮ったってどうになるもんじゃなし・・・結局、みすみす目の当たりにしながら1枚も撮れませんでしたorz 特派員失格。
もうそれは諦めて、次なる本題(おい本題が2つあるのかよ!?)に「転進」を図った我々だが、いかんせん身動き取れず・・・この大渋滞、何なのかというと、私は全然知らなかったのだが、「ランタンフェスティバル」なるイベントのために引き起こされたものであった。もう県立美術館の駐車場など、他県ナンバーの観光バスでいっぱい。して、車内から恨めしく眺める視線の先には、こちらはひっそりと開催中のイージス艦フェスティバル。
三菱重工業長崎造船所の、護衛艦建造を担当する本工場は、観光客で賑わうグラバー園大浦天主堂から湾を隔てて見下ろせる場所に位置しており、お洒落なウォーターフロントのロケーションで賑わうここ水辺の森公園からも、建造中・定期修理中の護衛艦が目の前に見ることができる。そして、当日はなんと4隻のイージス艦が一堂に会していた。昨年岩国の帰りがけに呉で見た、「おおすみ」型3隻並びにも負けるとも劣らない、いやそれ以上の豪華競演である。しかし、待っていても駐車場は一向に空きそうになく、また午後の遅い時間ではもろに逆光になっており、肉眼ではほとんどシルエットにしか見えないほどの悪条件。ちょっと動いたところで東から西を望む状況には変わりがないのだが、いくらかでも光の向きを緩和すべく、ちょっと走ってtamo太郎さん秘蔵のポイントに移動。

立神岸壁にメザシで接岸しているのは、今回就役した「あたご」と、初の海自イージス艦、「こんごう」DDG173の2隻。「あたご」は就役を前にして最後の艤装作業中、「こんごう」は弾道弾迎撃ミサイル、RIM-156スタンダード、いわゆるSM-3運用能力を付加すべく改修作業の真っ最中。 ちょっとわかりにくいが、両艦の相違を見て取るには絶好のシチュエーションで、ステルス性を考慮してモノコック構造となった「あたご」のマストの詳細と、Mk45Mod4がOTOブレダに比べてかなり小ぶりなこと、艦橋の上にもう1レベル拡大された構造物が新設され、前面に潜水艦の吸音タイルのようなブロック上のプレートが並べられていること、マストトップのアンテナが米軍と同じように、皿のような恐らくURN-25TACANに変更されていることなどが見て取れる。バルカン・ファランクスはすでに搭載済み、またその上の衛星通信アンテナは「こんごう」もOE-82に代えて「あたご」と同じレドーム形状のものに換装されている。

向島岸壁に接岸しているのは、「あたご」就役以前はイージス最新艦であった「こんごう」型の4番艦、「ちょうかい」DDG176。その後方には非イージスの最後のDDGとなる「はたかぜ」型の2番艦、「しまかぜ」DDG172も接岸している。
汎用DDよりも建造に高度な技術を要求されるとして、最初の艦である「あまつかぜ」DDG163以来三菱長崎が建造を独占してきたDDGだが、この「ちょうかい」は初めて石川島播磨東京で建造され、現在も長崎生まれではないDDGとしては唯一の存在。定検も本来ならメーカーである磯子IHI―MU*1に回航して行うところだが、「ちょうかい」の配属は第4護衛隊群第64護衛隊(佐世保)で、いかんせん遠く離れていることから、建造担当にかかわらず三菱で検査・修理を担当している。同様に、三菱長崎建造で横須賀の第1護衛隊群 ・第61護衛隊所属の「きりしま」DDG174は、通常の検査・修理はIHI ・MUで行っている。

第2ドックに背中を見せて入渠中なのは、「あたご」に続く同型2番艦、「あしがら」DDG178。私の誕生日である2006年8月30日に進水した同艦は、2008年3月の就役に向けて現在艤装作業中。こちらもわかりにくいが、マストと並んで「あたご」型の最大の外観上の特徴である艦尾ヘリ格納庫のシャッターが見える。この他、対岸に対してほぼ平行となっている八軒家岸壁には、唯一の汎用護衛艦となる「ありあけ」DD109も停泊していたが、これはどんなに工夫しても本当に真っ黒のシルエットとなってしまい、写真を撮るのは諦めた。
そんな悪条件の中、パシャパシャやっている我々の横には、海に面したお洒落なレストランがあり、折しも結婚披露パーティーの真っ最中。「さあ、皆さんもカメラをお持ちになって、海をバックにした新郎新婦のお姿をお撮り下さい!」ってあんた、建造中も含めて日本に6隻しかないイージス艦のうち4隻が写り込んでる写真って、結婚式の記念写真にしてはずいぶん濃いですね・・・ま、多分艦影は真っ黒でしょうけど・・・

ここで、時刻は1700を過ぎ、そろそろ福岡に向けて帰らないと・・・ということで、さらに車は南下。どこまで行くの・・・?と、行く先に大きな斜張橋が見えてきた。長崎にこんな橋あったか?聞けば、2005年12月に完成したその名も「長崎女神大橋」だという。全長1,289m(斜張橋部880m―主塔間は480m、取付部409m)のこの橋、同じく護衛艦の造船所があった浦賀に似て*2、深い入り江になっている長崎湾によって分断されている長崎市街の南半分の往来改善のために架けられたもので、例によって長崎港に入港する大形船舶のマストをクリアするように桁下高も65mと高く設定されている。歩道も併設されているので、虹の橋と同じく三菱長崎や長崎港に出入りする自衛艦や 米軍艦船、もちろん大形客船の撮影には絶好のポイントだそうである。「武蔵」の頃にこれがあったらねえ・・・(撮れないって)

帰りは私にいろいろ目先の変わった景色を見せつつ、渋滞の激しい市街を回避しようとのtamo太郎さんのご配慮で、この長崎女神大橋を渡って対岸を北上して戻ってきた。橋の上からは沖合、100万tドックで有名な三菱長崎の香焼工場がよく見える。きれいな夕陽が点在する長崎の島々、西の海に沈みつつある。夜明け前から艦船ばかり追いかけ続けた長い一日が、もうすぐ終わる。
三菱城下町、長崎を象徴する本工場の前、JR長崎駅前を通って、再びながさき出島道路に乗り、2000過ぎには福岡に着いた。空港近くの博多ラーメン店で濃厚なとんこつラーメン(tamo太郎さんいわく、美味いけど人を選ぶほどの濃さ、県外の人には自信を持ってお勧めできないとのことだったが、大変美味しゅうございました)を食べ、スカイマーク26便の機上の人となったのである。帰路、私を羽田まで連れて行ってくるのは、レジスターJA767E。
数多くの人に祝福され、海に進み出た「あたご」の行く先に、幸多からんことを。

*1:石川島播磨と住友重機械工業両社の艦船建造部門が合併してできた会社 「ちょうかい」を建造した石播東京工場は合併と豊洲地区再開発に伴い磯子に移転した かつての東京工場跡地には現在「ららぽーと豊洲がオープンしている

*2:住重浦賀は前述の通りIHIと合併して磯子に移転したため、操業を終了して閉鎖された