護衛艦あたごを見学Part3

Speed telegraph of JDS Hatakaze

いよいよ3回にわたった新鋭護衛艦「あたご」見学記もラスト、非イージス最後の世代である「はたかぜ」と、「あたご」最大の変更点である後部ヘリ甲板を見て回ります。

本隊の再掲でもあり、ものすごくトーンも違って恐縮ですが、2003(平成15)年度観艦式(24日の予行)でMk42(空砲)をぶっ放す「はたかぜ」。遠くアメリカ海軍のレイヒLeahy級ミサイル巡洋艦(就役時はミサイルフリゲイト)のデザインに範を取った「たかつき」型護衛艦の流れを汲むスタイリングを持つ、海自非イージス艦最後の世代である。同型艦は2隻で、2番艦「しまかぜ」DDG172は佐世保の第2護衛隊群第62護衛隊所属。

「はたかぜ」のメインマスト。イージス用装備であるSPY-1Dフェイズドアレイ・レーダーを持たない同艦は、3次元対空捜索用としてマスト中段に回転式平面アンテナのSPS-52Cを装備する。同レーダーはアメリカ海軍の対空ミサイル装備駆逐艦用に開発されたもので、空母など大形艦が装備するSPS-48に比べると探知能力は劣るが、消費電力が半分ほどで済むので、中形艦では重宝された。黒く塗られているのは煙突からの排気の煤が付着して汚れが目立つのを防ぐため。ガスタービン艦でどの位煤が出るのかはわからないが、とりあえず?黒く塗られている。ちなみに、アメリカ海軍の原子力推進艦では排気を気にする必要がないので、同様の形状をしているSPS-48が船体やマストと同じグレーに塗られていた。SPS-52Cの上は他の新鋭艦と同じOPS-28E水上捜索レーダー、下の2つのパラボロイド形状のものはスタンダード管制用のSPG-51イルミネータ。

艦内に入って艦橋下、第一甲板レベルの廊下に艦歴と造船所のプレートが掲げられている。汎用護衛艦より建造に高度な技術を要するミサイル護衛艦の伝統で、「あたご」と同じく三菱長崎で建造*1された同艦、就役以来1護群を動かなかったエリート艦だけに、1987年以来7回の観艦式と、2002年の国際観艦式という参加歴を持つ。これで昨年も参加していれば皆勤だったのだが・・・変わった経歴では1997年1月22日〜2月9日のナホトカ号油流出事故災害派遣というのも。

その向かい側には各国海軍の艦や部隊などから贈られたプラークが並べられている。

「はたかぜ」の艦橋にやってきた。実は「なみ」型の艦橋も見たことはないのでちょっと迷ったのだが、「はたかぜ」型も見たことがない・・・というか艦自体に乗ったことがない。どうせ「なみ」の方の仕様はある程度想像できるので、まず年寄り(失礼!)から順番につぶして行くことにして、艦橋に上がる。こちらは比較的(私には)見慣れた、「はつゆき」型に一脈通じるところのある仕様。

操舵機と速力通信機。操舵機は艦の針路を表示するのが重要な役目でもあるので、正面の扇形をしたもの、それをさらに拡大して見ることができる上に出っ張っている拡大鏡つきのもの、さらに円形の方位盤方式で艦の向きを視覚的に知ることができる円形のものと3種が用意されている。舵の角度はグリップの下にある細長い四角のゲージに表示される。その両脇にある赤と緑の斜めのスイッチのような物は、舵輪が故障した時のバックアップ用のステアリングボタン(押すことで左右に舵を切ることができる)。これが故障すれば機関室(操縦室ではない)の機側操縦盤でさらにそれも壊れて油圧がアウトになれば応急用の材木をキャプスタンに噛ませて人力で操作することになる。
後ろに見える赤い布がかかっているものが、護衛隊司令などが座乗する際の司令席。もちろん司令は隊に1名だけ、当艦の所属する第61護衛隊は「きりしま」と2隻からなるので、当艦に司令が座乗することは通常はないが、護衛艦には必ず艦橋左舷側の端に司令席が設けられている。

速力通信機は「ゆき」型以来の、艦橋操縦に対応していない指示を出すだけのまさに「通信機」タイプ。このタイプの仕様については当日記でも何度か触れているが、一応改めて紹介しておこう。上面の3個のメーターのうち、両側2個が左右両舷の速力指示となる。現在は停止となっており、両側面にあるハンドル(上の写真を参照のこと)を回すと前進・後進の各速力刻みに針が動き、実際の操作を行う操縦室に伝えられる。操縦室で復唱して同じようにハンドルを回して二重針になっているもう一方を動かして、艦橋指示の位置に重ねるとこちらにも反映される(実際のスロットルの操作とはまた異なる あくまでも指示を承知・追従したという「通信」のみの行為)。中央の1つは補助の刻みである回転調整の赤黒指示で、これは正面側の下にあるハンドルを回すことで動かす。正面パネルにあるスイッチと表示灯は左右両舷の軸をフリーにする「脱」と噛み合わせる「かん」の切換スイッチ・表示灯。

艦橋中央の航海長指定席、方位盤越しに両脇を固める「あたご」と「きりしま」を見る。右のデスクには呉のバス時刻表が挟み込んであったが・・・。最近良く立ち寄るんでしょうか。

海図台に広げられていたのは、当艦ではもっとも重要な母港一帯の海図・#W1083「横須賀」。浦賀水道航路からの入出港コースが、先日キティ出港東京湾フェリー編で推測した90/270度であることがわかった。ちなみに、「赤灯」はこの写真のどこかにあります。

「はたかぜ」を降り、「きりしま」にやってきた。4隻は一方通行の順路になっているので、急ぎの事情でもなければ一番奥の「おおなみ」まで行って帰ってくるしかない。というわけで、どんどん先に進む・・・「はたかぜ」の前甲板は前からMk13発射機、Mk42・5インチ砲、Mk112アスロック8連装ランチャーと3種の兵装が並んでいるが、VLSにするとMk13とMk112の2つが1個のランチャーにまとめられる。スペース効率の改善は言わずもがな。

以前体験航海で乗ったこともあるので、「きりしま」は全部すっ飛ばして、「おおなみ」のヘリ格納庫まで来ました。ここから先は「あたご」のヘリ甲板を、一般見学客が入らない写真が撮れるようになるまで粘るため時間調整となる。
後述するが、最初のヘリ搭載護衛艦となった「はつゆき」型以来、艦隊のワークホースたる汎用護衛艦としては3代後のタイプとなる「たかなみ」型は、「ゆき」の基準排水量2,950〜3,050tに対し4,600tと5割り増し以上となっており、艦の横幅いっぱいを使用したハンガーも広々。天井にはホイストクレーンも設けられ、エンジンの吊り下げなど中間整備レベルのメンテナンスにも対応できる設備となっている。搭載機数も、「ゆき」では1機がギリギリで入る大きさ(ヘリ甲板そのものもまるで部隊のステージのような狭くて高く掲げられた構成になっている)だったのに対し、次の汎用護衛艦である「あさぎり」以降の世代は後甲板の幅いっぱいを使ったフラットなヘリ甲板になっており、格納庫にも2機入るだけのスペースを確保してある。左下の床面には、後述するRASTの拘束装置が見える。

2004年6月に大阪湾で開催された呉地方隊展示訓練の際に撮影した、私が乗艦する護衛艦「あさぎり」DD151(現在は練習艦)に着艦するSH-60J(124航空隊所属 シリアル8211)。機体下面に注目して頂きたいが、日の丸の前に、ニョキッと生えている棒状のものがある。これが空母搭載の固定翼機の着艦フックに相当するメイン・プローブで、これをヘリ甲板中央に置いたRAST拘束装置に噛ませることで、艦上に固定することができるのである。

SH-60Jの機体下面とRAST拘束装置を見る。拘束装置本体は額縁のように四角いフレーム形状の台車で、この中にプローブを差し込み、両側からギロチンで挟み込む。この額縁は甲板下に通されたワイヤーによって軌条を前後することができ、荒天下でも安全にハンガーへ出し入れできるわけやね。
この仕組みを最初に発明したのはカナダ海軍で、同海軍の発明によるものはベアトラップ拘束装置と称したが、これを使用したのは海自では現在のSH-60の先代、HSS-2(シーキング)の時代までで、現在では機構はほぼ同じながらアメリカ製のRASTが採用されている。なお、ヘリの着艦方式には海の荒れ方によって、このプローブを使用する方式よりもさらに確実なテザート(Tethert)という方法を使用することもあり、これはメイン・プローブの先端よりメッセンジャー索というワイヤーを伸ばし、これをRASTの中心にあるホールダウン索に人力で連結させ、ウインチで少しずつ巻き取って行きまさに強制着艦させるやり方である。これは面倒くさいのでかなりの荒天でないと行わないらしい。

ヘリ甲板の右舷艦首側隅には、ヘリの離着艦管制を行うLSO(Landing Signal Officer)のステーションが設けられている。これはいわゆるコンバットアーマー(今の若ぇ奴ぁ知らねえだろうなあ・・・)のコクピットのように、フレームつきの透明強化プラスティックで構成された屋内管制室で、ガラス部以下の部分は甲板より低くなっている半埋没構造。一見操縦桿風に見える左側に独立したスティックが、着艦しようとするヘリに前後・左右の指示を出す誘導灯の操作用ジョイスティックである。わかりにくいが、正面コンソールの両脇についている前後するレバーを操作、写真で右側のレバーで(テザート着艦時の)ホールダウン索のテンションを調節し、左側のレバーで後述するRASTの拘束装置を前後に動かして、ハンガーに収納・飛行甲板に引き出すことができる。右側側面にはあたご艦橋編で紹介した、艦橋背面に取り付けられていたヘリオペレーションの状況表示灯が設けられている。

ヘリ甲板後端、すなわち艦尾を見る。RAST軌条の後端が見えるが、その「W」字をした部分にテイルガイド・ケーブルを使い最終的に機体尾部の後輪を収束させ、レールに対して機体を一直線にさせる。
なお、汎用護衛艦でスペース上は2機搭載が可能になったのは前述のように当「たかなみ」型の2代前である「あさぎり」型からであるが、「あさぎり」と次の「むらさめ」型ではRASTの軌条は1本しか設けられておらず、2機目を出し入れするのはどんな荒天下でも直接人力で機体を押すことでしかできなかった。「たかなみ」型からは、軌条がY字に別れてハンガーに引き込まれている新形となり、2機搭載も「できなくはない」というレベルの話ではなく、大分実用的にはなったようである。ただし、SH-60を装備する各航空隊の定数の問題もあり、通常は2機を搭載することはない。
右側前方に見えるのはパート1で紹介した米軍基地・ハーバーマスターピア・westに停泊中のジョン S.マッケイン、中央左前方に見えるのは沖留めが常態化しており、当日記の横須賀見学記事ではいつも同じ錨地に泊まっている補給艦「ときわ」AOE423。その他、さらに沖には(この写真でも小さ〜く見えるが)第1護衛隊群旗艦、ヘリコプター搭載護衛艦の「しらね」DDH143も停泊していた。もう少しするとこの週末、晴海埠頭で体験航海に従事していた1護群の「はるさめ」DD102と「いかづち」DD107が帰ってくるはずである。

ついに見学コースはフィナーレ、「あたご」のヘリ甲板にやってきた。マストと並んで「あたご」型最大の特徴が、ミサイル艦で初めて設けられたヘリの恒久的な搭載設備である。

中へ入ってみると、奥に向かって幅が狭まって行くような造りで、まるで洞穴のようである。やはり1機のみ搭載のハンガーとなる「はつゆき」型もたいがい狭いが、基準排水量では約2.5倍以上もの大きさにもかかわらず大して変わらない広さ、「あさぎり」型以降の2機搭載可能なスペースとは比べるべくもない窮屈さで、天井にはホイストクレーンもなく、汎用護衛艦のハンガーに見られるワークショップ然とした雰囲気も見られない(一応万力とグラインダーの取り付けられた机はある)・・・まあそれは就役直後だからなんだろうが・・・ちなみに、天井に見える太くなった筒状の物は新鮮外気を取り入れてハンガー各所から吹き出すダクトのファンと思われる。

奥は本当に洞穴のドン詰まりというか、壁面は複雑に折れ曲がっているしなんじゃこりゃ!? 開いている扉が上甲板に続いている通路のドア。

甲板を引いて見るとこんな感じ。しかも、ここまで見たところRASTの拘束装置が見当たらないんだが・・・お得意の後日装備か!? なお、なんでこんな片隅に寄せた配置で、左右幅いっぱいを使わないのかというと、右舷側には後部VLSが設置されているからなのだ。
「こんごう」型では上甲板の、ヘリ着艦スペースの前に設けられていたVLSだが、臨時に降りてくるだけの使用しか想定していないのに対して、日常的・恒久的な使用を前提にしたヘリ甲板に設けたのでは、いざという時に発射できなくなってしまう(もしくはヘリの使用を諦めるしかない)。というわけで、前方に持っていかなければならないのだが、いくら巨艦といってもヘリ甲板の前に置くスペースはない。
同様に(というかそちらの方がオリジナルなのだが)、アメリカ海軍のアーレイ・バーク級もヘリ搭載設備を設けたフライトIIAではVLSの配置に苦労し、あちらは2機搭載は譲れないらしいので、中央にVLSを縦に配置して、その両脇にセパレートした形でハンガーを設けた。艦隊の性格も、個々の艦の位置づけも米海軍と海自ではまったく異なるため、比較することは無意味だが、「あたご」型では2機搭載は不要(と判断された 私がじゃないよ)のため、ハンガーとVLSを左右に並列に並べ、余裕を持たせた・・・?のかなあ。実は、VLSは右舷に寄せておらず、左右中心線に配置されているのだ。これは私も最近まで知らなかったのだが、実はまったくの左右対称配置。では、右舷寄りのVLSの反対側スペースには何が入っているんだろう? どうせ倉庫代わりにもなるんだし、アーレイ・バークと同じように造れば大は小を兼ねられたのに、それをトレードオフしてあえてハンガーにせずとも確保したかったスペースとは、いったい何なのだろうか。

いよいよ下艦。今回も一般客最後を狙っていたわけではなかったが、最後かな〜?と思って後ろを振り向いたら、もう一人いた。ラッタルの途中から舷側を見れば、誠に「こんごう」型をタイプシップとする艦とは思えない造形だ。やはり第2世代ステルス?というか、同じ場所で見た同期生、韓国のKDX-2にも通じるところが見いだせる。

結局、来場時の予想通りではあったが、米軍エリアには行けなかった。基本米軍ファンの私にはあり得ない事態になってしまったが、どうせ上甲板だけのアーレイ・バーク級ならば、艦橋まで見せてくれた「あたご」に報いるべく、一日一善は古かった一日一隻のスピリットで、すべてを「あたご」で燃やし尽くした。Y3・4にすら行っていない(笑)ありがとう3護群、ありがとう「あたご」・・・またいつか舞鶴で会おう。
すっかりベタ曇りになり、私らしい天気になったところで、吉倉を後にした。

*1:海自の歴代ミサイル護衛艦12隻中、三菱長崎以外で建造されたのはちょうかいDG176のみ