パキスタン海軍を追いかけてヨコスカ

Pakistan destroyer Babur F182

6月12日、晴海埠頭にパキスタン海軍の駆逐艦、バブールBabur F182と給油艦モーウィンMoawin A20が寄港した。
同海軍艦艇の来日は、海自のニュースリリースによれば今回が2回目とのこと、それを読んで思い出したことがある。
昔々、「シーパワー」というA4判の艦船誌があった。今では誰もが知っているいさくタンが編集長をやっていたこともある、フネ屋にはいろいろと思い出深い雑誌だ。当時そういった雑誌を見ながら鼻息を荒くさせていた私であったが、まだキャリアの駆け出しで、なにより子供だったし、実物の艦船など、たまに晴海に来る来航艦船が新聞の都民版の埋め草記事にでも載ったのを見て、一般公開を知った時にだけ見られるものだった。
その中で、ある月の号のエッセイ記事で、パキスタン海軍が来航する、しかも第2次大戦中のイギリス海軍軽巡洋艦、改ダイドー級の成れの果てだというのでフネ屋は色めき立ったが、さて当日カメラを構えてギラギラさせながら待ちかまえる連中の前に姿を現したのは、当時は大して珍しくもなかったやはり英海軍のカウンティ級駆逐艦の姿だった、という話が掲載されていた。
ネットでなんでも情報を入手できる今では考えられないが、パキスタン海軍の艦艇が知らないうちに入れ替わっていたのを、釣り船出して海上で迎え撃つほどのマニア連中が知らなかったというのだ。しかし、当時まだフランス海軍のジャンヌ・ダルクと横須賀のオープンハウスで見るミッドウェイ、それにノックス級フリゲイトやチャールズ F.アダムス級ミサイル駆逐艦などの在泊艦船(吉倉の方になど目も向けなかった)しか見たことのなかった私には、それはどう想像を逞しくしても遠い世界のできごとのように思われ、この世のどこかに釣船をチャーターして軍艦を撮るような人々がいる、そして文中にある「例会を催す喫茶店」というのが、いつか俺もそういうことをやる身分になるのだろうか・・・というのが、あまりピンと来ない第2次大戦中の艦船よりも印象に残った。そして、そのエッセイの主人公、日本のマニアが知らないうちに改ダイドー級からカウンティ級に姿を変えていたパキスタン海軍の艦船の名は、バブール。
このフォトエッセイに記されている来航日時は、1983年4月12日。ということは、今回はそれ以来のチャンスとなる。艦名が同じというのも妙な因縁だ。バブールというのは、16〜17世紀に同国の地域を支配したムガール帝国創始者の名前だそうだが、代を次いで受け継がれることからして、「エンタープライズ」のような位置づけの名前なのだろうか? そう、今回来日したバブールも、すでに1983年に我が先輩方が見た旧カウンティとは違ってしまっているのだ。大体カウンティ級が今の日本で見られたら、それこそ当時のダイドー級にも負けず劣らずの大騒ぎだ。あっという間に3代を数えた今回のバブールは、やはり同じく旧宗主国イギリスのタイプ21級(アマゾン級)フリゲイトを譲受したもの。
タイプ21級は1970年代前半〜中期に8隻が建造された満載排水量3,360tの当時としては中形のフリゲイトで、114mm砲やシーキャット艦対空ミサイルなど、イギリス独特の装備を満載、また日本ではあまり建造例がない中央船楼型船体*1の独特のスタイルで、当級の拡大版であるタイプ22級は私の好きなタイプの一つである。バブールは元は1974年就役のタイプ21級のネームシップ、アマゾンAmazonで、1993年にパキスタン海軍に売却されたということで、ここで先代のカウンティ級と入れ替わったのだろう。タイプ21級はこの1993年から翌年にかけて、当時在籍の6隻すべてがパキスタン海軍に売却され、同海軍でターリクTariq級となった。ん!?6隻? 建造されたのは8隻じゃなかったの?2隻は早期退役したのかな?
実は、タイプ21級は第2次大戦後には異例の、戦闘により同型艦8隻のうち2隻を戦闘により失っているという非常に珍しい大形戦闘艦艇でもある*2。言い方を換えれば、現代の世界各国の海軍のなかで一番「仕事をしている」戦闘艦でもある。
というわけで、前置きが長くなったが、12日の入港にはぜひとも出かけたかったのだが、残念ながら仕事が休めず・・・そろそろ梅雨の足音も聞こえてくる6月の中旬、撮るなら一日でも早い方がいい。案の定、休める15日の出港日はどうにも逃れられない雨の予報。
場面は飛んで15日の朝。いつものように眠くて眠くて、もうフネなんてどうでも良くなってせっかく取った休み、ずっと家でゴロゴロしていたい、大体どうせ雨なんだから・・・晴れてるぞ!?
ありゃりゃ、この俺様には珍しい、いつも予報は悪い方に外れて横殴りの雨の中虹の橋で写真を撮ったこともあるのに、これはさすがに行かないわけにも行くまい。出港は0900、どうせ行って帰って2時間だ、また帰ってゆっくり寝ればいいやということで、分遣隊長も司令部詰めにしてあげて、0800過ぎに車で出発。屋根も開けず、0845頃に竹芝側の駐車場に着いたが、車を入れて虹の橋のゲートに歩いて行くと、すでに帰ってくるオヤジ共数人が・・・
嫌な予感がする、というか、この時点ですでに死刑宣告。虹の橋は0900開門*3で、今回も橋の上からの撮影はギリギリ、とにかく職務に忠実な警備員のオヤジ共は1秒たりともまけてくれないので、開門と同時にエレベータまで走って、1往復目に遅れずに乗って(この最初の便にあぶれると3分ほどロス、これは致命的だ)、上に上がったらまた全力で走らなければならないのだ。入り口周辺で屯している同業者も2人ほどしか見えない。もっといるかと思ったのに・・・しかも、すれ違ったのはどう見てもプレスで申請して開門前の橋に上がって撮った連中だ。やられたかな・・・まだ立っている2人に視線を移すと、1人は虹の橋友達で、厚木のエンドや横須賀のオープンハウスでもお会いするおじさん。もう1人はもう二十何年も前からお名前を存じ上げている某氏。あれれ、どうしました?「出ちゃったよ」マジで!? で、なんでお2人ともまだここにいらっしゃるんで?「いや、護衛艦がまだだからさ、それだけでも撮ろうと思って」 2人の顔を交互に見ながら、ちきしょ〜やられた、せっかくタイプ21級がいい天気の下で撮れると思ったのに・・・印パ艦艇予定通りにグッドコンディションで撮れた試しがねえじゃねえか・・・大体入港の方は2時間遅れたそうじゃねえかよ、今度は早発かい、なんか燃料漏れも起こしたらしいし、お前ら日本ナメとんのかい・・・
「今から観音崎まで追っかければ捕まるかなあ・・・」誰に言うともなしにつぶやいてみたが、これに2人が食いついた!「え?行くの?」もちろん、30分ほど前に出たらしいということは、0830前後、ここから観音崎まで急いでも、横横では直結していないから最後は一般道を走って、なんだかんだで2時間弱・・・観音崎まで2時間半もかかるだろうか。しかし、ここで交錯した3人の視線に、炎が宿った。「やるっすやるっす〜!」いい年をした3人が駐車場のふうこ号までダッシュ! 5分で300円の駐車料金を払って、すぐさま横羽線に乗った。金曜の朝、下り線は渋滞もなく、ここではあえて触れないようなソ★ク★ドで快調に飛ばす。しかし、その20ン年前、シーパワーを読んでそれこそSPS-52だMk10だと貪るように知識を吸収していた頃、この六本木や碑文谷で活躍されていた方を自分の車で隣に乗せて走るとは思わなかったわ・・・と、好事魔多し、ここでガス警告! しまった〜、どうせ往復15kmも走らないと思ったので、残量など気にしていなかったのだ、しかし、首都高でガスがないとはかなりの大ピンチ、どこで降りたらすぐに給油して復帰できるのだろうか・・・それを気にしながらも、途中でピットストップよりは走り切って降りたところで入れた方がロスは少ないと思いつつ横浜を通過、金沢で降りて後は下道で進むことにする。天気がいいおかげで、ベイブリッジから東京湾を一望したところではまだ軍艦と思しき艦影は窺えなかった。さすがにこれより先には行っておるまいて、なんとか追い抜いたぞ、ここまで来れば・・・ということでちょっと気分的にも余裕ができたが、そういう時の下道というのは、本当にすぐに信号に引っかかって、全然先に進まない。しかし、観音崎に行くのに今更横横に乗るわけにもいかず、再び不安が心をよぎる。
田浦でアテにしていたエネオスで給油、ガス欠の心配はなくなったが、横須賀市街、アメちゃんベースのゲート前の混雑を抜けて、さすがにダメかな・・・馬堀で再び海が見える。と、相対方位270度に護衛艦!「はたかぜだ!間に合ったぞ」防波堤越しだし、当方はいっぱいいっぱいで走っているのでよくわからない。まあどう見てもタイプ21級には見えないが、ということはパキ艦隊は(出港順序のままなら)先行しているはず、万事休すか、ガスピットさえなければ・・・とにかく、ここまで来たら護衛艦だけでも(結局虹の橋と同じことになってしまった)ということで、ペースは緩めず観音崎へ急ぐ。
ところが、さらに先、走水の手前まで来て、浦賀水道航路の北端が小高い山の上から見渡せる場所を通りかかると、タイプ21級らしき艦影が遠くに!やった〜!勝ったぞ!
観音崎に到着してみれば、あれもちょうど昨年の今頃だったか、車を降りるなり磯まで走ったキティホーク出港の時と同じ、秒単位の勝負だ。いや、あの時よりはちょっと余裕があったかな、とにかく他の2人のことは気遣ってなどいられない、各自磯まで300mほどをダッシュダッシュ!レンズは100-400mmの1本だけ、カメラバッグも持たず、しかし磯は滑りやすいので、ここまで来てあまり慌てると大怪我をする、なんとか波洗う最先端までやってきて、しばし息を整え、さあ、「はたかぜ」来たぞ!

今回のホストシップは、1護群から先日の一般公開でもお世話になったミサイル護衛艦「はたかぜ」DDG171と、護衛艦「むらさめ」DD101。パキスタン艦隊より後から出港したはずだが、途中で順序を入れ替えて先頭で浦賀水道航路を南航していくのは「はたかぜ」。結局、待っても「むらさめ」は姿を現さなかった。1隻のみ湾外に出ずにそのまま横須賀に帰投したものと思われる。

そして、やって来たのが主役、バブール。まさか観音崎で撮ることになろうとは夢にも思わなかった・・・デジの400mm、すなわち640mmフルズームでいっぱいの大きさだ、銀塩しか持ってこなかった方のファインダーには6割方位の大きさにしかならないだろう。
中央船楼型船体がはっきりわかる真横のシルエット。前甲板、ヴィッカース製114mm55口径砲Mk.8の前部にある波除けに、乗組員が座って休んでいるが、拡大して見ると楽しそうにくっちゃべってる感じ・・・お前ら課業中じゃないの?ホンマ大丈夫なんかなこの海軍!? そのさらに後ろ、艦橋のすぐ前に交互に設置されている斜めの筒はおなじみハープーン艦対艦ミサイルのキャニスターMk141。もともとここには前述のように世界最小の艦対空ミサイル、シーキャットのランチャーが設置されていたのだが、これは撤去のうえMM38エグゾセ艦対艦ミサイルのランチャーに置き換えられ、うち3隻はエグゾセからハープーンへ、他の3隻は中国製の輸出用艦対空ミサイルであるLY-60N「猟鷹」に換装されているとする資料もある。

しかし、先日宿敵インド海軍を見たばかりだが、カシン級などの年代物もそれなりにあるとは言え、デリー級3隻を新造で整備し、さらにタルワー級も建造して着々と近代化を図るインド海軍に対して、中古ばかりで、それもどう贔屓目に見てもオンボロとの謗りを免れなさそうなのが揃っているパキスタン海軍は、どないやねん!という感じ。装備だけでなくマンパワーの方も、なかなかの紳士揃いとお見受けしたインドに比べ、ここではあえて詳しくは述べないが海軍としてこれ以上はない最低の失態を晒して、大丈夫なんかねえ・・・え?核○器持ってるから心配ないって?あっそう。

同艦の電測兵装は資料が少なくすべてを解説することはできないのだが、前部マスト前のアンテナはタイプ912射撃指揮レーダー、マストトップはタイプ1006航海レーダーと思われる。対空捜索のシグナール製DA-08が、どこにあるのか見あたらないんだよなあ・・・ヘリ格納庫は1機収容可能で、ウエストランド・ワスプを搭載するとのこと。撮影時はシャッターが閉まっており、機影は窺えなかった。格納庫の上にはMk15バルカン・ファランクスを1基装備する。
同艦の主機は巡航用のタインRM1C(8,500shp)×2基と、ブースト用のオリンパスTM3B(25,000shp)×2基を使用するCOGOGで、これは約10年後に整備が始まった海自初のオールガスタービン大形水上艦である「はつゆき」型と同じ形式・組み合わせである。

続いて、給油艦モーウィンが通過。こちらは旧オランダ海軍の給油艦、プールスターPoolster A835を譲受して1994年に再就役したもの。満載排水量1万6,800t、燃料8,000tを含む貨物1万300tを搭載する能力があるとされる。こちらもヴァートレップ用にヘリ格納庫を持ち、ウエストランド・シーキングMk45を搭載する。
さっきから、上空をずっとBK117が旋回している。報道っぽいな、こんな艦いちいち取材してるのか、それとも何か別の物を撮ってるのか?それにしてはさっきからずっとパキ艦隊の上を飛び回っているな・・・帰ってからレジを調べてみたら、中日新聞の「わかづる」だった。定置場は名古屋空港!?それこそ一体何やってんだ、名古屋のヘリが? この時は当然前記のような当艦隊にまつわるニュースは知らなかったので、(一般マスコミ的には)大してニュースバリューもない艦船の来航を舐め回すように撮るのを不思議に思っていたのだが、中京地方で夕刊の紙面を飾ったのかもしれない。
と、近づいてくるモーウィンを見ながら、ふと観音崎の先、右に曲がって行く浦賀水道航路の南の方に視線をやると、うわ〜!

思いも寄らぬ大物(というほどでもないが・・・)アメちゃんのアーレイ・バークミサイル駆逐艦、ジョン S.マッケインUSS John S.McCain DDG-56が北航してきたのだ。このままだとまさに目の前ですれ違いシーンだ。金曜にしては観音崎一帯は結構人出が多いのだが、艦船ファンは我々3人だけ、あとは沖に撮影隊が釣り船チャーターで出ているようだが、このシーンを見ることができたのは全部でも数人だけだったはず。ちょうど浦賀水道航路の3番緑灯浮標の横ですれ違って行く。

反対側だからわからないが、一応艦長はウイングに出て栄誉礼の交換をやっているのかな? マストのハリヤードに掲出した信号旗は、上からN・P・S・Mと読めるが、四字の信号というのは当該船舶のコールサインを示していることが多いそうなので、これがマッケインのコールサイン

これですべて終わり。予想外のオマケも1件ついて、緊急発動の勝算もない作戦にしてはかなりの成果にニンマリしつつ、車に戻ってきた。帰るべく走り出し、ついに完成した横須賀市美術館の横まで来た時、京急ホテルの後ろから突然ヘリが顔を出した。なんだなんだ、えらい低いぞ!!? 超低空、そう高度30mも取っていないであろう目の前をキャビン内に隊員満載で通り過ぎて行ったのは、海保のスーパーピューマ、JA6806「わかわし2号」。そういえばこの機体、前にもこの近所で低空飛行訓練をしているのを見たことあるな、よくよく観音崎で縁のある機体である。
こうして、誠に珍妙な一日、いやまだ昼前なのだ、半日は終わった。ガスピットを余儀なくされた時はどうしようかと思ったが、なんとか皆さんに迷惑をかけずに済んだ。この後、別の現場に向かうという1名をJRの横須賀で降ろし、2人で出発点の虹の橋に帰ってきたのは1330。あのエッセイを読んでから22年の時を越え、私は私のバブールを、観音崎で確かに見た。そう、私が見たのはたしかにバブールなのだ。

*1:海自で「いしかり」「ゆうばり」「ゆうべつ」の護衛艦のみ採用例がある

*2:1982年のフォークランド紛争においてアルゼンチン海軍の航空攻撃によりアンテロープAntelope F170とアーデントArdent F184が喪失

*3:冬季は1000から