1日2度東京湾フェリーでキティホーク迎え撃ち

Blueforce2007-09-25

最後の闘いが、今幕を開ける。
なんて格好いいこと書いといて、これも朝と同じ、フェリーの出港時刻を空母の通航時刻の1605と勘違いしており、原宿の手前でちょっと「あっ!」となったのだが・・・なんで1日に2回も時間間違えるんだよ・・・ここでフェリーに乗り遅れたりでもしたらtamoさんに多大な迷惑をかけるところだったが(2時間半のマージンを取ったつもりが2時間だった)、横横に乗ってしまえば渋滞もなく、1510には久里浜に着いてしまった。助かったぜ・・・結果オーライだけど・・・

21日の最初の入港から数えて3日間で3回目。この三連休の有終の美を飾れるか? 空母は・・・時間通りにやって来るのか?(ここからは各自「ロッキー」のサントラで試合に向かうシーンの曲を脳内に流してご覧下さい)
今回のコンタクトは、キティ浦賀水道航路南口入航時刻1605。フェリーは1540出港であるから、今までの中では一番のタイミングであろう設定である。うまく行けば頭を押さえて舐めるように撮れるかも・・・メンバーがメンバーだけに天気が残念なのだが。

東京湾フェリーから空母を撮る会」ご一行2名乗船! マストにファイブスターが上がる!(嘘)定刻1540、東京湾フェリー久里浜発15便くりはま丸出港!
まさか一日に2度東京湾フェリーに乗るとは思わなかった。21日以来3度目の乗船で、私だけでこの3日間で2,580円をブッ込んでいる。今回空母撮影に繰り出した会員全員の延べで言えば10人、運賃総計は8,600円になる。会社から利用振興の功績で表彰状でも頂きたいところだw 一日に2回乗ったり、自宅が南房総なのに久里浜から乗って降りないで帰ったり・・・ここまでおバカな連中は我々以外にはおるまい、と思っていたら、なんと朝も乗り合わせた例の5月15日のおじさんが! すごい、上には上がいるもんだ・・・我々は厚木に行っていたわけだが、一度ご自宅に戻られたんですか? と聞いたら、また鋸山で時間潰していたとのこと。

出港直後、沖が見えるようになって港外に目をやると・・・すでにキティはこの位置まで歩を進めてきていた。まだ防波堤が手前に見えている位置である。うわ〜またケツ追い!? 前を行くコンテナ船の船首近く上空には、航路警戒のSH/HH-60が。頼む〜コンテナ船、頭押さえてくれ〜!! しかし、この位置関係、もしコンテナ船とキティの前後が入れ変わらなくても、フェリーがこの2隻の間を通航することは不可能だから、どう考えても譲りパターンだよなあ・・・この時点で1548。

しかも・・・嗚呼、キティは浦賀水道航路入航にあたってコンテナ船を追い越し、前に出る。

出港後、3船運航のため比較的港の近くで「しらはま丸」とすれ違う。

1558、今回も・・・ダメ・・・しかし、一面ベタ曇りなのにちょうど水道中央、キティの所だけ奇跡的にスポットライトが当たったように陽が差している。形式写真としては申し分のないコンディション、アングルではないか。

ファミリークルーズの帰り、先程厚木で見てきたようにNF102をはじめ21日に搭載して入港した艦載機もすべて厚木に降りたので、デッキ上に飛行機は1機も見えない。ちらほら見えるのは、招待客ではなくて緑色の長袖シャツを着用したフライトデッキ・ワーカー。 職種別に色分けされているシャツで緑色を着用するクルーはカタパルト・デッキ上作業一般を担当する。
この後ろ、いつも写り込む場所ってゴルフ場? マザー牧場も見えるんだけど、こんなに近くないよなあ・・・

1605。南口入航予定時刻には、キティは交点より遠く北側に去ってしまっていた。

航路入航前に追い抜いたコンテナ船、パナマ船籍の「MOL INGENUITY」を従えて観音崎沖の変針点へ・・・

浦賀水道航路の混雑ぶりを如実に物語る一枚。コンテナ船、バラ積み船、タンカー、軍艦・・・あらゆる船が左右幅800m程しかない航路を一列に行き交う世界でも最大の過密航路の一つ、浦賀水道。東京の、そして島国日本の繁栄はこの細い生命線に支えられている。我々が食べる物も着る物も、すべてがこのコンテナの中に収められているのだ。

最後の闘い・・・終わった・・・すでにキティは遠く過ぎ去り(赤い煙突の右に見える3隻のうち一番右側)、夕方の金谷行き便、オープンデッキ上には誰もおらず、若干フラストレーションを覚えながらも心地よい虚脱感に襲われる・・・

金谷港での折り返し、今度はものすごい数の人と車が乗ってきた。オープンデッキもあっという間に埋め尽くされる。さて、今日の反省会はどこで開催すべえか・・・なんて話していたら、南の海上に海自補給艦らしき艦影が。ド逆光のなかをやって来たのはその通り海自の補給艦、とわだAOE422(第1海上補給隊直轄・呉)が。

金谷港防波堤の突端にある灯台。この灯台から真方位270に引いた線が、浦賀水道航路南端の位置通報点、US(Uraga South)ラインになる。とわだがその向こうを北上して行く。

1640、金谷出港。おじさんは降りていった。以前、横浜の方にお住まいだと伺ったのだが・・・「今日は電車で東京湾一周して帰るよ」まだ趣味のロードが続くのですか、お疲れさまです!お気をつけて!
そして、再び南の方向の沖を見ると・・・今度は護衛艦らしき艦影が・・・tamoさんと私なら、相当遠くからでも艦型識別は容易にできる、「たちかぜ」型だ!
ネームシップの、晩年護衛艦隊旗艦を務めた「たちかぜ」DDG168は新鋭イージス護衛艦「あたご」DDG177の就役に伴って昨年度末退役しており、装備品をあらかた外された状態で長浦港に係留されている。ということで、これは「あさかぜ」DDG169か「さわかぜ」DDG170のどちらかなのだが、「たちかぜ」の後を襲って護衛艦隊旗艦に就いた「さわかぜ」かと思ったのだが、現在佐世保の4護群所属であまり横須賀には縁のない「あさかぜ」がここ数日横須賀に出入りしているらしいので、「さわかぜ」とも断言できない・・・案の定、「あさかぜ」だった。さすがに距離が遠く、速力マークまでは判別できないのだが、白波のウエーキを立ててかなりのスピード・・・あっという間に観音崎の沖に消えていった。

・・・ナルちゃんでお恥ずかしいのですが、tamoさんがこっそり撮っていた私です。
これで、23日、朝の時点には予想もしなかった激動の一日が、終わった。後は東京に帰って反省会、横須賀でマリフェス組をピックアップし、この3日間で久里浜に3度、ぶどう峠を崩落現場まで往復し大活躍をしてくれた806を車庫に入れ、メンバーのリクエストにより馬場の鳥やす本店で祝杯となった。良かった・・・当日も、この一日はいつか終わるのだろうかと思い、このレポを書いている時も、果たしていつか終わるのだろうかと思ったのだが・・・
お疲れさま、selig女史、tamo太郎さん、どら猫さん、ごつさん、東京湾フェリーで会う空母友達のおじさん、そしてマリフェスに参加した、厚木のエンドに集った皆さん。
viva Kittyhawk、viva fly Navy!