追悼 沼田憲保・阿部典史

Blueforce2007-10-07

喜多祥介、松本憲明、永井康友、ジャック・コルヌー、ジェームス・トスランド、ジャコモ・アゴスチーニ、ドミニク・サロン加藤大治郎清水国明田村圭二、阿部孝夫ダグ・ポーレン、辻本聡、ダリル・ビーティー前田淳、ルマン・多田(喜代一?)、宗和孝宏、岩橋健一郎、福田照男、浅川邦夫・・・
・・・そして、ノリック阿部典史
これって何だと思います?実は、8日・9日に当日記に訪れた人の検索ワードの一部。
うちの日記は現在1日200アクセス位のペースなのだが、画像検索が2割位、ワード検索が3割位、残りがブックマーク等の常連の方という内訳になっている。検索ワードは「北欧フリーセックス」から「ストックホルム市立図書館」「下山国鉄総裁追憶碑」「SL-7型コンテナ船」「厚木基地引込み線」「更衣室列車 阿字ヶ浦」など多岐に渡り、中には「オヘア ユナイテッド 乗継 時間」など切実なものや、「あの女 横田基地」、「回れ回れ 海軍」などまったく意味不明?なものもある。
バイクのジャンルは、毎日1件程度、それも「エルブ・モアノー」が結構健闘しており、GPライダーでもない*1マニアックな耐久ライダーであるモアノーさんを今でも検索して来て頂く方がいらっしゃるというのは、彼のファンである私としては嬉しい限りなのだが、他にも喜多祥介、松本憲明の両氏も健闘している。喜多さん、まだたくさんの人があなたの名前を検索して訪れていますよ、もう20周忌位になるかなあ*2・・・
それにしても、傾向としてこの2日間の上記検索ワードは異常で、いったい何があった!?と訝しく思うところだ。この他にも「國武舞」「ゼッケン81」「ソノートヤマハ」「ヤマモトレーシング」「ミスタードーナツホンダ」「資生堂tech21」「ふたり鷹レプリカヘルメット」「スズキキャンペーンガール」「b.v.d.」「明光」wwww、そしてこちらもなにげに当日記では上位の「小林古都」など、バイク関連の検索語は突出していた。
単なる偶然なのだろうか。

日曜は、ちょっとした用事があり横須賀の沖に浮かぶ猿島に渡ってゴソゴソとやっておったのだが、帰りがけ、週末に向けての縁起担ぎに軍艦(巻き)など食って、結構散財してしまったのでずっと下道で帰ってきた。本当は横浜から三京に乗ろうと思ったのだが、桜木町の所で左折せずにそのままみなとみらいに入ってしまったので、ここから軽井沢の坂を登るルートに戻すのは面倒くさく、そのまま第一京浜で帰ってきた。三京でなければ第二京浜を選ぶ私にしては珍しいルート選択で、川崎駅前を2100頃通過、何となくカーナビで「川崎駅か・・・」と確認した覚えがある。ちょっと猿島が期待はずれだったのが気にかかりつつも、久しぶりの快適なオープンドライブ、明日も休みだし帰宅を急ぐでもない・・・と、横須賀の寿司屋を出て3時間、2200に家に帰ってきた。
パソコンをつけて、分遣隊長を侍らせながら東京湾フェリーでキティ迎撃編など書いていると、テレビがとんでもないことを言い出した。
「2輪レーサーの阿部典史さんが、今日夕方川崎市内で交通事故のため死亡しました」
!!!!!!!!!????????!!!!!!!!!
そういうのには、あまり大げさに騒ぎたくないのだが、同居人の前で大声を上げてしまった。意味が、意味がわからない。レースならまだしも(こういう言い方はあまりしたくないが・・・)交通事故?なんで?なんで!?
ネットのニュースにはまだ出ていない。深夜のニュースの最後の一言だったから、本当に滑り込みで入ってきたニュースなのだろうか。
やがて、ネットのニュースヘッドラインにも項目が出てきて、現実を受け容れざるを得なくなった。事故現場の場所を確認すると、第一京浜ではないが先程通ってきた場所の至近である。発生時刻は1820頃、私が通った2時間40分ほど前だ。
ノリック」こと阿部典史のプロフィールや戦績については、今更当日記で詳しく紹介するまでもないだろう。正直に言えば、特にファンというわけではないし、それほど細かく知っているわけではない。だいたい、4スト乗りでアンチヤマハの人間にとっては、一番遠い存在だ。彼があまりにも鮮烈な形でデビューを飾った1994年、すでに私はモータースポーツからは離れつつあり(乗ってたバイクがR100GSパリダカですから・・・)、以降、1996年に一度8耐に行ったが、それ以降は動向もほとんど知らず、グランプリ500cc改めmotoGPなど知る由もなかった。
ちょうどデビューの時期のタイミングが悪かった?誰が呼んだかついたニックネームが「ノリック」。これには当時誰もが一度は脱力したはずである。おいおい、名前で色物かよ・・・GPライダーには皆ニックネームがつけられるが、日本人なら「なんだかなあ・・・」と思ってしまうノリックという名前は、その大形新人ぶりには不釣り合いな響きに思えた。もっとも外人にはその名前のオリジナルの意味などわかるはずもないので、世界を舞台に戦ううえでは間抜けでもなんでもなかったのだが・・・日本では2輪はマイナースポーツ、知らない人が「ノリック」と聞いたらお約束のように「プッ」と吹いてニヤニヤされた。しかし、具体的な名前は挙げないが、いずれは世界へ・・・と期待されながら、全日本で終わり、またGPへ羽ばたいても中堅の下位をうろうろして2シーズン位で全日本に出戻ってくるライダーを何人も見てきた我々は、一度はノリックに世界への道を見たはずだ。
GPの名門中の名門チーム、マルボロヤマハ三顧の礼で迎えられた阿部は、その期待に応え1996年の日本GPでの優勝をはじめ最高峰500ccで3勝を上げる活躍を見せたが、250ccの原田哲也のようにチャンピオンを獲ることはならず、おおよそ「中堅ライダー」のポジションに移行していった。2005年からはスーパーバイク、今年からは全日本のJSB1000。ワカメのような長髪をなびかせて、「うわ〜こんなチャラい若造が500ccチャンプ!?」と驚いた頃は遠く、すでに32歳になっていた。

ひょんなことから勢いで行ってしまった今年の8耐は、ノリック初のエントリとなり、私も初めて彼を生で見る機会となった。もちろん、特にファンではないので、ヨシムラとスズキ世界耐久チームばかり追っていたなかで彼の写真は1枚もない。8月1日の日記にある、ピットウオーク時に見た整備中のマシンのアングル違いしかない。
予選9位、他社に比べ8耐への取り組みが等閑と噂されるヤマハで、決して戦闘力が高いとはいえないR1に乗って第1ライダーのジェイミー・スタファーより終始速いタイムをマークし予選6位、トップ10トライアルを経たスターティンググリッドでは9位。本選では5位をコンスタントにキープしていたが、終盤にオイル漏れが出て、フィニッシュは9位だった。
今、その時の様子を記すため、参考としてライディングスポーツ8耐増刊を見ている。その中から、痛恨の一節を引用させて頂こう。
「・・・そして今大会での経験は、10月21日に鈴鹿サーキットで開催される全日本最終戦MFJ-GPで活かされることは間違いない・・・」なんと、皮肉で恐ろしい予言であろうか。阿部に10月21日は永遠にやって来なかったのだ。
周知のように、当日記では折に触れて2輪ライダーの追悼文を書いている。実は9月4日にも、沼田憲保が岡山国際サーキットで練習走行中に事故死しており、この時も追悼文を書こうかと思ったのだが、名前はもちろん存じ上げているが、250ccライダーだった彼のことをそれほど深く知っているわけでないし、他のコンテンツを執筆するのに忙しくて、そのままになってしまっていた。沼田も今年の8耐ではTEAM茶LLENGERで参戦しており、私はピットウオークでお茶摘み娘のコスチュームを着たキャンギャルから冷たいお茶のサービスを頂いた。あまり馴染みはなかったが、超ベテランでもあり「まだ頑張ってるんだな〜、まあもっともペアライダーが藤原だからなあ・・・」と印象に残った、その直後の事故。

8耐で、1枚だけ撮っていた沼田の力走。夕方で、大分歩留まりも悪い一連のコマだったので、すっかり忘れていた。この人がもうこの世にいないなんて、信じられるか・・・? 藤原儀彦は毎月葬式に出席ではないか、彼の胸中を察するに余りある・・・藤原だけではない、日本の2輪レース関係者の多くが9月・10月と喪服を着なければならないのだ。
今月のライディングスポーツ本誌には、沼田の追悼記事が掲載されていた。本屋でそれを手にとって読んだ時、各ライダーの追悼の声の中に、阿部のものもあった。不意にそれを見たとき、急にこみ上げるものがあって、思わず本屋から飛び出してきてしまった。何度も言うけど、決してファンではないのに、なぜこんなに心に重くのしかかるのだろうか。
サーキットの構造も、マシンやウエア、レースのオーガナイズまで、年々安全性が向上して、4輪の主要なレースではラリーやレイドも含めて最近ほとんど死亡事故を聞かなくなった(それほど詳しく追っているわけではないから、私が知らないだけかもしれない もしそれなりの件数が発生していたらごめんなさい)。しかし、2輪では毎年のように死亡事故が発生している。21世紀に入ってからでも日本人がいったい何人死んだろうか。

鈴鹿シケイン付近、ヘアピン方面への場内通路フェンス付近に設けられたファンによる加藤大治郎追悼コーナー
しかし、今回の阿部の件は、まさか予想だにしなかった公道での交通事故。ここからは、あえて炎上を覚悟で書かせてもらうが、プロのレーサーは現役時代は公道ではハンドルを握らないという人が多いが(原田哲也は確か2輪免許さえ持っていなかったと記憶している)、なぜシーズン中にバイクに乗っていたのか。いや、峠に攻めに行ったりしていたのではないから、バイクに乗っていたのは百歩譲って認めよう。報道では普段は乗らないのだが、当日は急ぎの用件があってやむを得ず・・・と書かれていたのも読んだ。
しかし、なぜ急にUターンしたというトラックを回避できないような距離に付けていたのか。もちろん、どんなに教習所で習うような模範的な運転をしても、あまりに横暴・無謀なドライバーの前ではまったく無力な場合がある。今回のケースも、状況を知らずに的はずれなことを指摘しているかもしれない。しかし、充分な間隔を取っていれば、引っかかって20メートルも飛ばされた?というようなことにはならないはずだ。相当なスピードで車間を取らずに突っ込んだ可能性がどうしても高くなる。仮に20〜30km程度だったらよほど運が悪くない限り死亡には至らないと思われるし、だいたい現場は第一京浜ではなくて、2車線はあるらしいが横道?の市道だぞ。
Uターン禁止の場所だから前の車は急にUターンはしないだろう、予測できるはずがない、Uターンした奴が悪い、などというのは公道でバイクに乗ったことのない人間が言う戯言だ。もちろん、道交法上の責任はこのバカ野郎が負うことに異論はない。しかし、そんな絵に描いたような「だろう運転」では、五体満足でバイク人生を終えることはできないだろう。左車線からいきなり巻いてきた状況のようだが、抜こうとして右すぐ後ろに入ったところにかぶせられた? だとしたら、回避する術はない、運が悪かったとしか言いようのない状況であるが・・・
しかし、回避技術の点はさておいて、もしプロのライダーとしての自覚をどこかに置いて(自分が加害者になる可能性だってある 怪我に対して、「自分だけの体ではない」という表現があるのと同じように、トラブルに対しても「自分だけの社会的地位ではない」のだ)事故に遭ったのなら、たとえ炎上しようとも、あえて厳しい意見を綴らねばならない。今、私はそれを判断する材料とするために、この事故が・・・どのようにして起こったのかを、知りたい。
決してファンではなかったノリックのことで、これほど動揺している自分に戸惑っている。
沼田さん、ノリック、良い旅を。そして、サーキットを、公道を身ひとつで走るライダーに、明日も神のご加護がありますように。

*1:実はモアノーさんは1984シーズン、ガジバでGP500ccにエントリーし、カジバに初のポイントをもらたしたという意外な?実績を持っている

*2:同姓同名の有名な方もいらっしゃるみたいなので、そちらの方なのかもしれない