現代に生きる「デラ」 東武200系

Blueforce2007-10-24


さて、この電車はなんでしょう。
さすがに天井やシートバックだけではなかなか特徴が出にくいのだが、すれ違う対向列車と駅弁を見れば、なんとなく判別できるのではないだろうか。東武200系である。
駅弁なんて食うガラじゃないが、今回は本当にギリギリの乗車で、駅近くのコンビニに寄る時間もないので、駅構内の売店で調達。民鉄とはいえ、さすがに長距離列車のある会社は違う。駅が古臭くて狭苦しいのは致し方ないが、まあそれも気分で。

弁当も、10種類近くがあって、発車5分前を切ったというのになかなか決まらない。本当情けない話なのだが、こういう状況でプレッシャーがかかると、最悪パニックに・・・あ〜どうしよう〜!
と、対面カウンターの後ろの壁面に、「深川めしが○月○日の○○○○(名前忘れた もしもツアーズ?)で紹介されます ぜひ見てください!」と、マジックで殴り書きされた紙が貼ってあるのが目に入った。これが結構効いて(最強の営業!?)、深川めし800円也を購入。
犬を飼うようになってから、本当に電車に乗らなくなった。こんなことでいいのだろうか・・・ただ、ヨ231に乗って遠出してもしょうがないしなあ、というのもあり・・・特急の旅だって、257とか絶対乗りたくないぞ、200系はどんなだろうか。
本日の目的地、館林までは1時間弱、結構かかるもんだなあ、と驚いたのだが、子供の頃ならいざ知らず、1分でも睡眠時間が欲しくて、ゆっくり旅情を味わっている暇もない。それでもまずは一杯やって、牛田を過ぎた辺りからやっと箸をつけ始める。いいね〜、こんなの久しぶりだわ。

春日部辺りまでは意識があったのだが、そこからはまったく記憶がない。乗り過ごさないか心配だったのだが、気がついたら列車は館林に停車のアナウンスが流れていた。
子供の頃には、クロスシート、いやロングシートですら、電車に乗って眠るなんてあり得ない話だった。ことに伊勢崎線は、その昔、まだ「りょうもう」が1800系だった頃には何度も乗ったが、ここ20年近くはまったく訪れたことはなく、景色も見たかったのだが、連日の睡眠不足には勝てなかった。俺もつまらない大人になったな、と寂しさを感じると同時に、たかが近距離特急で1時間程度の街へ行くのに、いちいち日記で寝ちまっただのなんだのごたくを並べるということは、それだけ列車に乗るということが非日常なのだ、ということの証明でもあり・・・書いていて愕然とする。ええんか、俺?ホンマにええんか!?
当地での用件は、予想に反して午後いっぱい、暗くなるまでかかり、なかなかしんどいものだった。でも、陽気も暑過ぎず寒過ぎず、座りっぱなしの身にはいい気分転換になった。

200系はご存じ「デラ」こと一時代を築いた東武日光・鬼怒川特急、DRC1700系・1720系の台車や主電動機を流用した車両で、車体は全面新製されているのでまったく面影はないが、扱い上は更新車である。高性能車の黎明期に誕生した1700系由来の機器を使用した車両は、一部分とはいえすでに製造半世紀を超えているわけで、恐るべきご長寿ではある。
私は200系に乗るのは初めてなのだが、DRCよりはずっと世代が新しい西武5000系の機器を再用した現行特急車、10000系NRAの印象が、正直あまり・・というかかなり良くなかったので、今時の私鉄「軽」特急なんてあんなもん、とさして期待もしていなかったのだが、乗ってみたらすでに200系となってから車令16年にもなるのに、意外にくたびれた感もなく、シートなどもしっかりとしており、なかなか好印象であった。適度に空いていたせいもあるのだろうが、先週超満員の状態で詰め込まれた小田急7000形が正直かなりしんどかったのに比べて、かなり私の中では高得点。DRCからの伝統か、LSEよりもこっちの方がシートピッチが広い?
用件を終えてちょうど帰りの時間に、せんげん台で人身事故が発生し、ダイヤ大混乱。下り列車は運転中止で自動券売機の発券も中止となってしまった。上りは定時で発車したものの、浅草に近づくに連れて徐行が多くなり・・・しかし、こちらはすっかり日も暮れた車窓にいよいよ起きている理由もなく、発車直後に麻酔銃で撃たれたように意識がなくなり、列車が遅れるのはむしろ好都合。ゆっくり寝かせて・・・人身がらみの夢を見たようで、ふと気がついたら五反野、なんと下山総裁轢断現場の常磐線と交差する場所だった。いやこれホント。
たまには鉄道の旅もいいかねえ。200系は失礼ながらかなり予想に反して高得点で、快適な一時を過ごさせてもらったが、もっと楽しそうな車両を浅草で発見した。それは6050系。あの色気のないクロスシートで缶ビール飲みながら野岩鉄道の方まで行ったら、さぞや楽しかろうなあ・・・