空母ニミッツ佐世保入港

The Island of USS Nimitz CVN-68

風呂を上がったら、去年パキスタン艦隊を一緒に追いかけた先遣隊の大先輩からメールが入っていた。すでに一番乗りで現場に到着したという。まだ誰もいないって、そりゃいないでしょう2100前ですよ!12時間近くも前なのに、とても大先輩と思えないフットワークの良さだ(いや、この大先輩はフットワークの良さで現在の地位を手に入れたのだが・・・)。
昼間に車を出して頂いて、一日お世話になったすきっぱー君は、今回はどうしても仕事が休めず、寄船には行くことができなかった。残念ながらここでお別れ、代わって同じくtamoさんとすきっぱー君の撮影仲間の方が同乗し、小倉東ICから九州道に乗る。
こちらは助手席で楽しく業界話(いろんな連中の悪口!?wwww)などくっちゃべりながら、佐世保へ向かう。昨年と同じ基山PAで休憩、寒空の下分遣隊長の散歩などさせ、コンビニで買い物をして再出発。鳥栖から長崎道に入ると、もともと少なかった車がさらにいっそう・・・というか、前後にも1台もない状況に。

武雄で西九州道に入れば、暗闇の中とはいえ、北海道、釧路ほどではないがいよいよ日本のもう一方の端に来た感が強くなる。ところが、そんな真っ暗な中を走ってしばらくすると、突然街の灯りが見えてきて、高速の旅は終わりを告げる。佐世保に着いたのだ。
まだまだ0100を過ぎた位だが、ここで0230にtamoさんの師匠をピックアップしなければならない。しばし仮眠タイム。tamoさんの師匠は、正確に書けば誰もが驚いてしまうような年齢だが、この寒い中午前2時に起きて入港してくる空母を迎え撃とうというのだ。午前2時って、ホテルに泊まる意味あるのかなあ・・・でも、さすがに年齢を考えると、昨年私がやったように万葉の湯というわけにもいかないよなあ・・・

ここからは4人体制となり、本当に地の涯を目指す旅、市街地を抜ければ再び前後に車も見えない夜道を、1秒でも早くに撮影ポイントへ、と急ぐ。最後のコンビニで朝食などの買い物。ここを過ぎれば開いている店も便所もない。まさに男の闘い。道はどんどん細くなり、最後には車1台やっと通れるだけの幅になり、1〜2軒の民家の横を抜けるとちょっとした広場に出る。ここが西海の地の涯、寄船である。

こうして0340、撮影ポイントに到着した。すでに一番乗りの大先輩以下、7台が先着しており、我々は8台目だった。早く行かないと停める場所が・・・と危惧していたのだが、なんとかベストなポジションを押さえられた。昨年は諸般の事情でこの突端に車を停めることができず、ずっと下がった所に停めて3時間近く外に出ていたために、すっかり風邪をひいてしまったのだが、今年は車の中でぬくぬくと寝ていることができて助かった。相変わらず、星が降ってきそうな満天の冬の星座がきらめき、沖には漁り火と思しき灯火がチラチラ・・・しかし、空母らしき姿は(当たり前だが)まだ見えない。写真はすでに明け方になってからの撮影なのだが(当たり前だ、真っ暗では何も写らない)、ここは夜中に着けば、暗闇の深い谷の向こう側に灯台の灯りがきらめき、なんとも不思議な空間なのだ。

時間を追うごとに、車と人は増えてくる。危惧していたように、三連休の最終日とあって、昨年のレーガンの時より5割増ほど、車は40台位、人は150人位はいたのではないか。皆さん、なかなか好き者よのう。気温は確かに寒いが、昨年ほどではなく、いくらかでもしのぎやすい。すでに車を出て沖を見つめている人々の雰囲気に、車の中にいてもおちおち寝られず、こちらもつい外に出て意味もなく周囲を歩き回ってしまう。

ここでは、空母入港にあたっては歓迎のため?星条旗を上げるのが習わし。地主のおっさんだけでなく、常連が集まって旗を棒にくくりつけて、持ち上げて・・・とワイワイやるのを見ているのも楽しい。何となく、皆で空母を迎え撃つ、という一体感を感じることができるのだ。

0725、突然湾の奥からHS-6のSH-60F(NH613/Bu.No.不明)が飛んできて、目の前を横切って行った。水先人を乗せて空母へ向かうのだろう。明らかに東京に比べて日の出の遅い西の端、7時を過ぎて空はまだ明け切っていないが・・・すでに誰もが浮き足立って、断崖ギリギリの撮影ポイントはお祭り騒ぎの様相である。もちろん、当分遣隊のものんびりしてはいられない。分遣隊長もファインダーを覗くことしきり・・・どこから来やがる!?どこから!?
今回は、去年のレーガンの時よりも半月早いので、その分日の出の時間も遅く、少しでも通過が遅いのは助かるのだが、その願いが通じたかだいぶ進行状況が遅いようである。前回は随伴艦のレイク・シャンプレインが通航したのがまだ暗いうちの0650、レーガンが沖に姿を現したのは0700頃だった。今回は・・・来た!

0740頃、沖に浮かぶ大島の後ろから姿を現したのは、今回のターゲット、原子力空母ニミッツUSS Nimitz CVN-68。

そして、対岸の高後崎の奥、俵ヶ浦の漁港からは、空母入港時のお約束、「平家船」反対派のデモ隊がチャーターした漁船の大艦隊が出撃!

大海原に見える寄船の沖も、実は小さな岩礁が点在しており、島々を結ぶフェリーや高速船は最短ルートで直進できるが、空母は真西から入ってくる場合、一度北に針路を取って大きくS字を描く航跡をとる。やっとまともな撮影ができる明るさになってきた0800過ぎ、高後崎の後ろ、兜崎をバックに面舵から戻すニミッツ。こんな大きな空母でも、船体が傾くほどの転舵を行っているのがわかる。

さらに進んで、ここで恐らくほぼ針路160努位。巡視艇が1隻先導している。

ここからが大迫力の入港シーン!(ここからは画像をクリックするともっと大きいサイズで見ることができます)今度は取り舵で鋭角ターンに入る。

海軍の警備艇を両側に従え、さらに左回頭を行う。

ここが踏ん張りどころ、面高の曲り鼻をバックにしてS字も終盤。しかし、本当に空母ごとに描く航跡が全然違う。私はまだこちらでの撮影はレーガンに続いて2回目だが、レーガンは正面形を見せた時にこんなに陸地がバックにはならなかった。妙に大回りが目立つな・・・満載排水量9万5,000tの巨艦が目の前で見せる豪快なオーバーアクションに、ファインダー越しに見る我々もため息・・・

真っ正面を捉えた。アングルドデッキの外側に設けられた、AN/WSC-6*1・SHF衛星通信アンテナかな?真っ白なレドームがやたらと目立つ。

再び右舷側を見せ始めたニミッツ。tamoさんが「登舷礼やってんじゃねえのか?」と心配していたのも杞憂に終わり、フライトデッキ上は日常の表情、搭載機が雑然と?駐機しているのが嬉しい。

0814、まさに寄船!という決めショットに至る。恐らくこれと同じような写真が来月のフネ雑誌に載ることだろうwwww(ここまでPhoto大きくなります)
ニミッツは、言わずと知れたアメリカ海軍の主力である原子力空母、現在最新鋭であるロナルド・レーガンUSS Ronald Reagan CVN-76まで続く9隻からなるニミッツ級ネームシップとして、1968年6月22日にニューポートニューズ・シップビルディング・アンド・ドライドックCo.で起工、1972年5月13日進水、1975年5月3日就役した*2。1隻のみの建造に終わったエンタープライズUSS Enterprise CVN-65に続く2隻目の原子力空母として、ベトナム戦争以降の再出発を図った新生アメリカ海軍の象徴として、ネームシップの通例通り*3大西洋艦隊に配属され、第8空母航空団とのコンビを組んで地中海クルーズに赴いた。最初の本格的デプロイメントこそ戦闘飛行隊のF-14トムキャットの機種転換が間に合わなかったため、F-4JファントムII装備のVF-74"ビィ・デビラーズ"と海兵隊から派遣させたVMFA-333"シャムロックス"を搭載*4したが、2度目以降は黒地にドクロマークのマーキングで有名なVF-84"ジョリー・ロジャース"とVF-41"ブラック・エイセス"のF-14飛行隊となり、まさに最新鋭原子力空母との黄金トリオを組み、映画「ファイナル・カウントダウン」出演など、アメリカ海軍の象徴としてそのプレゼンスに大きな役割を果たした。「ファイナル・カウントダウン」でこの趣味の道に入った私にとっては、忘れられない特別な存在なのである。
1987年には後続艦の就役により太平洋艦隊に転属したが、来日歴は2回。初来日は1997年9月で、横須賀に入港し搭載機をデッキに並べて一般公開も実施されたが、当時この趣味から離れていた私は行かなかったため(北海道にいて、ニュースで知ったがそれほど残念にも思わなかった記憶がある)、これが初めて目にする機会となった。
目の前いっぱいに横切って行くこの巨艦が、私のアメリカ海軍への興味の原点・・・カーク・ダグラスが、マーチン・シーンが、キャサリン・ロスが乗った空母が、28年の刻を超えてスクリーンから飛び出してきた。

今回、レーガンさん入港に続いてスペシャルとして特に写真を大きくしているので、1エントリの容量上搭載機編は日を改めてやることに致しまして、恒例のアイランド&マストチェック・・・
マストは、2002年の改装工事の際に、棒マストから最新鋭のレーガンと同じテーパーした四角錐形のモノコックマストに換装されている。アイランド後部の独立した2次元対空捜索用のSPS-49を載せているマストも同様(レーガンではアイランドと一体化してしまったが、さすがにそこまでの改造は無理なようで従来通り別体式)。ハルナンバーがずいぶん前についているなあ・・・と思ったのだが、これは以前から変わらず、なんでそう思ったのかと言えば、その後ろの壁面が何もないので目立ったためなのだが、本来この壁面部分にはバルカン・ファランクスが台座を設置して置かれていた所で、それが妙に不自然にのっぺらな印象を抱かせる要因である*5。10レベルの側面に張り出した台座を設けて2基装備されていた、シースパロー誘導用のMk57射撃指揮レーダーも、新しいMk95?1基にまとめられている(右舷側の上端・円錐形のブルワークの上に載っている円筒形の2つのレーダー 左舷側にも1基設置)。
以前に比べるととにかく数が増えているのが衛星通信アンテナで、前・後部にUSC-38V・EHFアンテナを2基ずつ、前部に大形レドームのWSC-6・SHFアンテナを1基、またWSC-3・UHF通信システムのアンテナとなるおなじみ金ダライ、OE-82もアイランド上2基とマストトップ2基の計4基見える。

2006年9月にノーフォークで撮影したニミッツ級2番艦、ドワイト D.アイゼンハワーUSS Dwight D.Eisenhower CVN-69のアイランド。こちらは恐らく2001〜2005年にかけて行われた燃料交換・複合オーバーホールの際にモノコックマストに換装されたものと思われ、構成はほぼニミッツと同じになるため(2段目にレドームが2基載っているのが異なる)、左方からのビューとしてご覧頂きたい。ニミッツ級は1998年就役の8番艦、ハリー S.トルーマンUSS Harry S.Truman CVN-75までメインマストは棒マストを採用してきたが(トルーマンは後部SPS-49用独立マストはモノコック)、順次オーバーホールや大規模定期修理の際に交換が行われており、現在ニューポートニューズで燃料交換・複合オーバーホールを実施中の3番艦カール・ビンソンUSS Carl Vinson CVN-70も先日交換を実施との報道があったばかり。

トップは近年大形艦にはおなじみで、当日記でも何度も紹介している射撃指揮用SPQ-9B*6、両脇をOE-82が固め、後ろには恐らくURN-25・TACAN、2段目には装備はなく、その下に見える円形でグルッとマストを囲むホイールのようなシマシマがUPX-27・IFF?、3段目の前面にあるのがSPS-67(V)水上レーダー?、後ろ側にはSPN-46航空管制レーダー・・・なのだが、レーガンに続いてまた、Mk23・TAS目標補足レーダーが見当たらない・・・あれってどこにあるの!? マスト前方に独立して設置されている三次元対空捜索用のSPS-48Eは、すぐ前にWSC-6のレドームが設置されたため台座を設けて高い位置に上げられている。
ちなみに、将官旗として少将座乗を表すツースターが上がっているが、これはニミッツの打撃群で、随伴艦の部隊でもある第23駆逐隊(Desron23)も統括するキャリアストライクグループ11(CSG11)の司令官、テリー・ブレーク少将を表していると思われる。CSG11は直衛のタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦プリンストンUSS Princeton CG-59をはじめ、アーレイ・バークミサイル駆逐艦ジョン・ポール・ジョーンズUSS John Paul Jones DDG-53、ヒギンズUSS Higgins DDG-76、チャーフィーUSS Chafee DDG-90で構成されるが、1隻もニミッツと行動を共にし佐世保に入港した艦はなかった。ここで攻撃を受けたらどうするつもりなんだろ・・・そもそも、CSG11構成艦はプリンストンが同日博多港に入港したのみで、後はいっさい日本への寄港はなかった。

後部独立マストには、二次元対空捜索用のSPS-49(V)5が載る。そして、こちらにもWSC-6のでっかいレドームが・・・
というわけで、艦の紹介は終わり。次回は搭載機編です。

*1:ウイスキー・シックスと読むらしいです・・・イージス用フェイズドアレイレーダーのSPY-1を"スパイ・ワン"と読むのと同じ用法 もっともSPY-1はそう読ませたいあまりに若干こじつけ臭いけど・・・

*2:就役当初のハルナンバーは攻撃空母に類別されるCVAN-68

*3:アメリカの大西洋・ヨーロッパ重視を良く表す例として、新しいクラスや航空機の新機種が誕生するとネームシップや最初の飛行隊は大西洋艦隊に配備されることが多かった 例外としてはベトナム戦争の末期に配備が始まったF-14トムキャットや、ワシントン州に母港を確保したオハイオ級戦略弾道ミサイル原潜がある

*4:現在はVF-74・VMFA-333とも解散

*5:もちろん、ニミッツの就役当初はまだバルカン・ファランクスは実用化していなかったので、台座はなくその時はハルナンバーもほぼアイランドの中央に描かれていた

*6:こちらはスプークナイン、って言うらしいです