去りゆくペリリューを寄船で見送る

2014年11月29日、修理中のボノム・リシャールのピンチヒッターとして8月より佐世保に臨時配備?されていたタラワ級強襲揚陸艦ペリリューUSS Peleliu LHA-5が佐世保を出港した。

いかに土曜日といえども、普段の私であったらこんなネタを撮れるはずもないのだが、なんと、今回これで本国に帰投して退役か?と噂されるペリリューの、本当なら最後の姿を撮ってしまった。撮れてしまった…

…のにはわけがある。翌日11月30日は築城基地航空祭、以前は一生行くこともあるまいと思っていた基地に、なぜか2010年以来4回連続皆勤の私は、前日入りで九州に降り立っていたのだ。そして、九州ナマコ軍団の総帥、tamo太郎が、沖がかりでなんとか海に浮かんでいる姿を撮ることもできるし、ヌルい写真だけども撮りに行かないか、ということで、築城の予行はすべて捨てて、佐世保までわざわざ行く計画にしてあったのである。

ところが、前日金曜日になって事態は急転、沖泊めのペリリューが立神に接岸してしまったというのだ。これではちゃんとした姿を撮ることは難しい。さらに夕方にはもう一度急転!なんと土曜(つまり翌日、私が九州入りする日)の午前中に出そうな雲行きだという。

私は例年土曜朝一のスターフライヤーで行くことにしているし、もちろんもう切符は買ってしまっている。前日夕方に変更などできるはずもなく、だいたいまだ家に帰り着いてもいない。Tamo太郎はなんとか今から来られないか、と言うのだが…こればかりは。

退役が噂されている艦、しかも私は今までタラワ級といったら、ノーフォークで修理中のナッソーを見たことしかない。これはなんとしても見たい、千載一遇のチャンスなるも、さすがに手も足も出ず、勝負は土曜日へ。

さて例年通りの羽田発0740・北九州着0930のスターフライヤー073便で九州入りを果たした私、去年はアプローチ中の機窓から前日予行のブルーが飛んでいるのが見えたが、今年はなんも飛んでないな〜、などと思いながらゲートを出ると、いつもはイライラしながら待っているtamo太郎がいない。ペリリューはどうなったのか、私を置いて1人で佐世保へ行ってしまったのだろうか(一応それでいいから私を置いて行け!とは言っていたのだが)、電話すると「車洗ってる」という。なんじゃそら! どうすんだよ佐世保!聞いたらまだ出ていないというではないか、それなら行くしかなかろう、ダッシュだ、181km離れた佐世保へ!

さて現地へ着いてみると、ペリリューはまだ出港していなかった。というか、水船も舷側について水面フェンスも貼られ、とても動きそうにない雰囲気である。当初は動かなくても沖泊めなら…ということで期待していたのだが、こんなバラ積み船が出前にデ〜ンと邪魔している絵で永遠のさよならとは…それでもまあ見られただけ幸せものだ、ということで自分を納得させるが。


本日の佐世保は横須賀よりすごい軍艦ラッシュ、日米ありとあらゆる軍艦が沖までひしめき合っている。立神にはこちらも先が見えてきたくらまの姿が。

1枚の写真に、ボノムリシャールとペリリュー、2隻の強襲揚陸艦が並ぶ図。ノーフォークやサンディエゴなら珍しくもないのだが、本国外ではなかなかインパクトのあるシーンである。と言って以前私は横須賀でキティとカール・ビンソンの空母2隻顔合わせを見ているが…

本日は夜から苅田において築城基地航空祭前夜祭(という名目の九州ナマコ軍団飲み会)があるため、あまり遅くまでは佐世保にはいられない。もし明日出港するとしても、今日佐世保に泊まりなど思いもよらない。まずはここ数十分で出港するはずもなかろうと(てゆーか限りなく本日出港が無理)佐世保ではおなじみの駅高架下のチャンポンの名店、香蘭で昼飯チャンポン定食。さてこれで…と、もちろん動きは何もない。帰らなければならない時刻は刻々と迫る。名残惜しい永遠の別れと、諦めかけたその時!

16chに、どうも動きそうな兆候が見られたのだ。しかしすでに時刻はビンゴタイムギリギリ、帰らなければいけないのだが、ここで逃したら一生後悔する、どうする!?寄船行くか? ということで、佐世保の入出港艦撮影ならおなじみ、市街から30kmも離れている西の果て寄船へ向かうことになったのである…

果たしてペリリューは動いた!貯油所のある庵崎の陸地の上に、ゆっくりと動くマストが見える、そして姿を現した!

すでに時刻は1600になろうとする、赤い西日に照らされて、初めて動いている姿を見たタラワ級強襲揚陸艦5番艦、ペリリューは目の前を過ぎていった。

高後崎を通峡、外海に出るペリリュー。恐らくもう二度と佐世保に戻ってくることはないだろう…(万が一戻ってきたら許してね)、最後の別れが、こんな素晴らしいシーンになるとは、何年ぶりかの寄船で見送ることになるとは…今年一番の、9月のいずもよりも感激した大勝負であった。

そしてすでに確信犯で遅参となった苅田での飲み会で、吊し上げを食らったのである…