タルゴ列車で軌間変換装置を体験

The Church of Sagrada Familia

日本の在来線が、国際的にはいわゆる狭軌と呼ばれる1,067mmの線路幅なのに対し、ヨーロッパでは標準軌と呼ばれる1,435mmが通常の線路の幅で、各国とも共通の規格となっているため、ヨーロッパ間では何の支障もなく国際列車が走ることができるのである。ドーバー海峡の下にユーロトンネルが開通して、それまでまったく車両の交流がなかったイギリスとヨーロッパ大陸の間も(交流がないために両者の車両規格はまったく異なり、イギリスの方が一回り以上小さいが、小さい方に車両サイズを合わせて)すぐにユーロスターという直通列車を走らせることができたのだ。
・・・ところが、ヨーロッパ大陸の中にもヘソ曲がりというか、ゲージが違うためにそのままでは車両の直通運転ができない国が存在する。代表的な例が分類上広軌と呼ばれる1,520mmのロシアと1,668mmのスペインである。鉄道というシステムの最大のメリットのひとつは、規格を統一することによる直通運転にあり、わざわざ隣の国と直通できない線路幅をなぜ採用したのか・・・という疑問の答えは、ナポレオンにあった。
両国ともナポレオンによる侵略という苦汁を舐めさせられた過去があり、鉄道が陸上交通の主役であった時代、大規模な兵士や軍事物資の移動に不可欠な鉄道がフランスと直結していては、自ら外国の軍隊を招き入れるようなものだ、ということで、わざわざ統一規格のデメリットを裏返し、転じて安全保障上のメリットとしたのである*1
欧州の集団安全保障体制が確立し、冷戦も終わった今日では、この軌間の相違は過去の遺物以外の何者でもなく、ソ連当時のロシアはともかく、スペインは戦後の列車網が発達し、国際特急列車が全盛を誇った時代に、孤島としての地位に甘んじる他はなかった。有名な単軸客車、TALGOの開発で知られるように、決して鉄道技術が低いわけではないが、いずれにしても欧州の鉄道の中では異端のような位置づけとされていたのである。
フランス―スペイン国境には、大西洋側のイルン―サン・セバスチャンから地中海側のポルトボウまで4本の鉄道路線がある。間に急峻なピレネー山脈をはさみ、面積の広い西ヨーロッパの国境としては路線の本数が多い方ではないが、大西洋側は首都マドリードと、地中海側は第2の都市、バルセロナと、それぞれ欧州中央を結ぶ大動脈。いちいち国境の駅で乗り換えさせられたら煩雑でかなわん・・・のだが、なんとこの国境を直通で運転する列車があった。
バルセロナの安宿でトーマスクックを見ながら、明日の行く先と列車を考えていた。予定では地中海沿いを東進し、モナコで夕飯食って夜行列車でローマに行くコースなのだが、1本目の特急列車の時刻は・・・ああ、あった、これだこれだ、え〜、ユーロシティ73、カタランタルゴ・・・え!?カタランタルゴ!?
列車の時刻は何度も確認していたのだが、列車名までは全然見ていなかった。カタランタルゴといえば、子供の頃から本で読んで知っていた名列車中の名列車、すでにミストラルやラインゴルトといった列車が廃止されていた当時にあって、まさに生ける伝説の列車である。そうか、このオレがカタランタルゴに乗れるのか・・・と、薄暗く狭い部屋のベッドに寝転び明日に思いを馳せたのであった。

バルセロナには市街地に近く地下鉄駅などもある大ターミナル、サンツの他に、中心部からちょっと離れたところにあるフランサ駅と2つのターミナルがあるが、カタランタルゴはこのフランサ駅から発着する。
すでにパリ―マドリッド間の夜行列車や国内の優等列車は新形のタルゴ・ペンデュラー200が充当されていたが、このカタランタルゴは私が知っているかつてのタルゴ、1968年に完成したタルゴIII・RDで運転されていた。まさに伝説の列車である。編成は両端に電源車を連結した15両編成。

牽引するのはRENFE(スペイン国鉄)標準機の269型。海外の鉄道には全く興味がない人間が多い日本の鉄道ファンにもにも親しみやすい、どこか懐かしいデザインだが、それもそのはず、同型は三菱電機製(もしくはスペインでのライセンス製造)の電気機関車なのである。直流3000V・出力3100kWの同型は1973年から78年にかけてバリエーションモデルも含めて265両が製造され、スペイン全土でその姿を見ることができるが、もうどこから見てもEF60・・・本日牽引の289号機は1980年より製造された、補助電源が交流機器化された200番代の車両である。

国際特急列車・TEE(Trans Europe Express)「カタランタルゴ」*2は1969年6月1日、バルセロナジュネーブ間に運転を開始した。居並ぶ各国の名特急列車のなかで、ヨーロッパの鉄道では異端であるスペインを代表する列車としてその名を内外に知られたが、1990年代に入り、航空機やTGV・ICEをはじめとする高速列車の発達で長距離列車が次々と廃止・運転区間短縮の目にあうなかで、同列車も例外ではなく、1982年にはTEEとしての運転を終了、2等車の設定もある一般特急のEC(Euro City)へと種別変更、1994年にはフランスのモンペリエまでに短縮されてしまい、走行距離でいえば半分ほどになってしまった。モンペリエではパリ発着のTGVやスイス方面への列車もあり、接続は取られているが、かつてのような鉄道を利用する長距離旅客はもうおらず、車内にもローカル特急のような一抹の寂しさが漂っていた。

とはいえ、かつてのオール1等車編成で上流階級の社交場として華やかさを競った、TEEとしてデビューした頃を彷彿とさせるアコモデーションは健在。わずか10mほどの車体長しかない1軸の連接客車という、あまりに日本人には理解不能な方式だが、それでもちょっと共通するところがあるのか、インテリアはどことなく小田急のNSEを連想させる。すでにこの乗車時、新製以来27年を経過し、日本で言えば485系のボンネット車辺りとほぼ同じ世代だが、あまりくたびれた感じはせず、1等の座席は快適であった。しかし、さすがヨーロッパ、というかスペイン、最高速度140km/hの高速列車にもかかわらず側扉は手動でロック機構もなく、走行中にも自由に開け閉めができてしまう。試しに結構なスピードを出している時に開け放ってそのスリルを味わってみたが、さすがに通りかかった車掌?に注意された(ちなみに、写っているのは私ではありません)。

さて、冒頭のお題に戻るが、軌間の異なるスペインとフランス、どうやって列車を乗り換えずに直通運転ができるのか・・・列車は0845にバルセロナを発って約2時間、1100過ぎに国境駅のポルトボウに着いた。ここで5分ほど停車、国境駅ながらホームにゲートやパスポートコントロールなどはなく、列車を降りて自由に撮影できたが、ここで先頭の269型は切り離され、後方から入換機による推進運転となる。再び出発して数百メートル、列車は側線に入り、敷地の端にある小さなプレハブ小屋のような建屋のある線路を進んで行く。どこにでもある何の変哲もない保線小屋のようなものである。しかし・・・あれがそうか! 前方にはフランス側の牽引機、BB7200型が待っている。
手動ドアの強みで、ここぞとばかり身を乗り出して進行方向の写真を撮っていたが、小屋に開いている穴は車両限界すれすれの大きさで、隙間は15cm程足らずしかない。あ〜これではうまく写真が撮れない・・・と、私のテンパり方を見ていた、外に立っている作業員?が、ジェスチャーで「降りろ降りろ」というような仕草をする。降りていいのか?一応、ここ国境だぞ、これまでにも国境駅ではしゃいでホームの端まで行って写真撮って、突然現れた(ように見えたらしい)怪しい東洋人だということで、警察官に職質されたこともある。う〜ん・・・まあいいや、飛び降りちまえ!*3

横には人間用の戸がひとつあるけれども、開くかどうかわからないし、列車の先頭が建屋に入ってしまえば、もう中に入ることはできなくなる。少しでも軌間変換作業の様子が見たくて、電源車次位の2両目から眺めていたのだが、歩くような速度でジリジリ進む列車から機材一式を持って飛び降りて、誘われるままに建屋の中に入った。こりゃすごい!貴重な体験だぞ、まさに目の前でタルゴが車輪の幅を変えて行くのだ。

建屋の中はこうなっている。最外側にある、側面が黄色のレールが軸箱、ひいては車体全体の重量を支える支持ガイドで、ここに軸箱が乗ることによって車輪は浮いた状態になる。そして、この状態で広軌のレールは途切れる。

列車は一度停止し、ここで恐らく前方にBB7200が連結されたのだろう、軌間を変えることができる機関車はないので(現在では最新型のタルゴ102をはじめ、日本のフリーゲージトレインのように軌間可変の動力車も存在する)、後ろ(スペイン側)から押し込んで前(フランス側)から引っぱるのである。再び、歩くような速度で列車は動き始めた。ところどころ、開け放たれた列車の側扉から、興味深そうに覗き込んで行く人もおり、この写真を撮っている東洋人はいったい何者? と言いたげな視線が痛い。

いかに車体長が短いとはいえ、逆に1軸で単軸あたりの負担重量は大きく、ベアリングなどではなく平面で接して全車両の重量を支えている面の摩擦は大きいため、写真で青く見える水パイプから支持ガイドの全長に渡って散水が行われている。外から見ただけではなかなかその様子がうかがえないが、この写真のところで車輪の左右動を抑えているロックピンが、最内側で上下にうねっているロック制御レールに引き出されて下側に外れ、緑色のガイドレールに従って車輪が内側に押されているはずである。

装置の終端で、ロックピンは再びロック制御レールに押される形で軸受けに挿入され、標準軌の位置で固定されると下にレールが現れ、支持ガイドも途切れて列車は再びレールの上に乗るが、車両の底面が極めて低く、写真のようにフラットになっているのが目立つ。タルゴ列車のもう一つの大きな特徴は、通常の車両が左右を貫通する車軸で左右の車輪が連結されているのに対して、左右独立支持となっていることで、車軸がないためにその分床面を下げることができる。つまり、通常の概念で言う「台車」というものが存在しないのである*4。機関車との連結面を見れば、タルゴ客車の車体高がいかに低いかがわかる。

さて、編成がすべて抜けてしまって、そのまま速度を上げて行ってしまったら大変!だが、そういう手順になっているのか、それとも変な東洋人が降りて撮っていると連絡が行ったのか、列車は一度停まってくれた。ここで悠々と乗車、先頭で降りて最後尾から乗車するというイリュージョンに、バルセロナで知り合って道中を共にしていた奴が「どこ行ってたんですか」「下に降りて撮らせてもらったよ」「ええ!?マジですか!?」

その後、大して起伏もなく、変化に乏しい田園の車窓に若干退屈を覚えつつ、列車は約4時間半の旅を終えて、1318モンペリエに到着した。隣には旧塗装のTGV-PSE(南東線)車両が並び、朝の風景とは違うフランスの鉄道風景となっていた。牽引機のBB7200はさっさと切り離されて引き上げてしまい、後に残ったのはすっかり回送列車として寂寥感を漂わせたタルゴ客車のみ。しかし、この時の体験は、数々の夢の列車に乗った感動のなかでも、伝説の名列車の想い出として今でも強烈な印象として残っているのである。
鉄道のゲージ・軌間というのは、それだけで何冊もの単行本が出ているほど奥の深いテーマである。これしきの日記ですべてが語れるほどお手軽なものではないので、興味がおありの向きはいろいろ研究されてみてはいかがでしょう。

*1:ロシアの広軌採用の経緯はこの他にもいくつかの説があるが、いずれにしてもナポレオンの悪夢が一つの動機となっていることは疑う余地がない

*2:カタルーニャのタルゴ列車の意味 タルゴ―TALGOとは、"Tren Articulado Ligero Goicoechea-Oriol"、すなわち「ゴイゴエーチェアとオリオールの軽量連接列車」の意 ゴイゴエーチェア、オリオールはこの画期的な列車を開発したエンジニアの名前である

*3:スペインは元来駅構内などでの鉄道撮影には厳しい国で、当時でもマドリードバルセロナなどでは見つかると制止されたが、現在は2005年マドリードでのテロによる列車爆破事件を受けさらにセキュリティが厳しくなっており、このような行為は自殺行為。厳に慎んで下さい―もっとも、ラテンの国ゆえ、例外も多々ありますが・・・

*4:プラレールとスケール物の鉄道模型を見比べていただければ、その違いがお分かり頂けよう