8耐決勝完全(かいつまんで?)レポート
1130、スタート。8時間の長い闘いの幕が切って落とされた。8耐のスタートは、耐久レースとして伝統のスタイル、ホームストレッチのピットウオール側に縦1列に並んだマシンの反対側にライダーが立ち、スタートの合図とともにコースを横断してマシンに走り寄りエンジンをかけてスタートして行くル・マン式スタートとなるが、当然グランドスタンドで見ている観客以外にはその様子を見ることはできない。突然「ブオンブオ〜ン」と音が鳴って、それが右の方から近づいてくるのを聞くだけである。
ホールショットを奪ったのはグリッド3番手、今回必勝を期すヨシムラのゼッケン34、加賀山就臣。すでにS字の時点で2位以下に大差をつけて、いつものHRCのような先行逃げ切り態勢だ。続く2位はこちらもグリッド4番手から上がってきたHRCのゼッケン11番、清成龍一、そこからダンゴでヤマハのゼッケン81、8耐初出場のノリック、ポールから出遅れた33番の岡田と続く。本命中の本命、#11はスタートからすでにヨシムラ34番の後陣を拝し、一度は詰めたものの早くも周回遅れが見えてきた10周目からバックマーカーの処理に手間取り再び差を開けられてしまう。
スターティンググリッド8位、まずは快調に飛ばす桜井ホンダの1号車となるゼッケン2、亀谷長純/ラッセル・ホーランドのCBR1000RR。まさか8時間後に恐るべき悲劇が待ち受けているとは・・・
意外に低いハングオンを見せる#1、SUZUKI ENDURANCE RACING TEAMの第1ライダー、ヴァンサン・フィリップが乗るGSX-R1000。さすがヨーロピアン、やっぱりダイネーゼのツナギは正調でいいよね〜。がんばれ世界耐久組!
S字からダンロップへの切り返しで車体は一瞬直立になる。今回はすっかりサポート役になってしまった、本来のヨシムラ1号車、#12の第1(そしてスタート)ライダー、渡辺篤。
25周目でスタートライダーの清成から第2ライダーのトスランドに交代、引き続いて追撃にかかる。まだスタートから1時間、充分挽回可能なタイム差だが・・・
若干ピン甘で本来は捨てコマだが、今大会の勝敗を決した運命の瞬間を捉えた1枚。トスランドに交代してわずか3周目、29周目のS字をクリアしていくのを撮影した時、つまりこのコマを撮った時、かなり派手にリアがスライドしたのがわかった。そこは危なげなくクリアしてダンロップを上がっていったのだが・・・数秒後(といっても1〜2秒しかないが)、「11番ダンロップで転倒〜う!」とのアナウンスが!
大破したマシンをピットまで持ち帰ってはみたものの、あまりのダメージの大きさに修復は諦めるしかなく、そのままリタイア。これで#34の独走が決定的となってしまったのである。今回、決勝で黄色腕章を巻いたトスランドの走る姿を捉えた写真は何枚もないはずである。
対照的に、まったく危なげのない、というかすでに一人旅の様相を呈してしまっているヨシムラ34番。これは例年のHRCの勝ちパターンだ。なぜ今年はその攻守が入れ替わってしまったのか・・・背中から出ている管はツナギの内部に仕込んであるタンクから走行中に飲み物を摂ることができるチューブ。背中の膨らみの中にタンクが入っている。
11番のリタイアで、がぜん重責を担うことになったのが同じHRCの#33、岡田忠之/カルロス・チェカ組。今大会唯一のGPライダー*1、チェカがダンロップを駆け上がる。予選で2分8秒484と3位だったものの、その後のトップ10トライアルでは2分7秒587と文句なしのポールを獲得し、さすがにGPライダーの意地を見せる。
今年は今まで適用された例がない、スタート時のフライングを厳しく取るというアナウンスが事前にオーガナイズ側からなされていたにもかかわらず、スタート(第1)ライダーの岡田がかなり「やらかしてくれた」らしく(ダンロップで写真撮っている当方には程度は不明 もちろん本人はかなり納得がいっていないご様子)、30秒のペナルティを取られ、怒りのピットストップ。これがなければひょっとしたら今大会の結果も違っていたのかもしれない・・・
世界耐久びいき、北欧びいきの私としては、つい追ってしまうのがこのゼッケン012、Team Suzuki Sweden、トビアス・アンダーソン/ミカエル・ニルッソン/ポール・ヤング組。しかしここ・・・典型的なボンビーチームの色使いだな、メット無地だし、ツナギ傷だらけだし・・・チャンピオンチームの#1がまたピッカピカなんで、余計に目立つというか、みすぼらしいというか・・・まあ、遠征費用もバカにならないからねえ、とここまで書いて、ツナギが一応スウェーデンの国旗カラーなのに気がついた。そういうコーディネートなのこれ!? しかし、さすがにしぶとい世界耐久組、こんな極東の島国まで来てタダでは帰りません。スターティンググリッドはブービーに近い65位ながら、終わってみれば周回数200周、34位。
この辺で一度コースを離れまして・・・
あと2時間を切った1745、まだまだ日は高いが気温はピークに比べれば大分下がってきた。巨大なガラス張りのVIP観戦席が設けられたグランドスタンドなど、それなりにサーキットの姿は変われど、1コーナーの遙か遠くには今も昔も変わらず伊勢湾が見える。
コースに戻った後は、別の角度で撮ろうと久しぶりにヘアピンを目指すことにした。
いつも思うことなのだが、ダンロップの7.8%勾配で見ていると、コーナリングスピードも比較的低く、なんだ、この程度なら俺でも走れそうじゃん、2分15秒位は楽勝で出るんじゃないのか?俺も国際A級取って今度出てみようかなあ・・・などと、口には出さないが不埒なことを考えつつ、恐怖の高速コーナー130Rへ行くと・・・
無理。
恐ろしい速度で突っ込んでくるのはゼッケン3番、世界耐久組のPHASE ONE ENDURANCE、ワーウィック・ナウランド/グレン・リチャーズ/ステファン・ネベル組のYZF-R1。純世界耐久組としては2位となる総合15位でゴールした。これはヤマハ勢としてはジェイミー・スタファー/阿部典史組に続く2位の好成績となる。
前回ピットウオークでの姿を紹介した#999、ラ ベレッツアスピード&システムライナーのドゥカティ999R、戸田隆/堀義光組は49番スタート。たいていこの手の色物(失礼!)は中盤でリタイアとなるのが定番のストーリーなのだが(またまた失礼!)、ライト点灯の時間帯になっても危なげなく周回を重ね、57位、173周(トップより43周遅れ)でチェッカーを受けた。昔はワークスでの参戦もあったドゥカティ、今回この1台以外は全部日本製マシンなんすよ、それもどうかと思うじゃない世界選手権なのに。正直勝つのは難しいかもしれませんが、8耐に来て下さいよ皆さん!
耐久レースは1時間も過ぎれば、周回遅れが出てきて誰が何位なのかをコース上の見た目で判断することは難しい。転倒に加えてペナルティを取られ、周回数139周、残念ながら完走扱いにならなかった#44、ウイダーDD BOYSの浜口俊之/児玉勇太組がバトルを演じるのは、恐らく73周前を行く名門モリワキの#19、山口辰也/レオン・キャミア組。
そのモリワキMOTULレーシング#19、第2ライダーのレオン・キャミア。吉村秀雄の長女、南海子女史と結婚し、義理の息子となる森脇護氏率いるモリワキレーシングは、コンストラクターとしてもヨシムラと並ぶ存在だが、コンストラクターの長期低落傾向を反映して中堅チームからなかなか抜け出せない。当初第1ライダーは護氏の長男、尚護が務める予定だったのだが、怪我のため直前でライダー変更、第1に当初予定第2の山口辰也が、第2にレオン・キャミアという組み合わせになったもの。例によって厳しく取られたスタート時のフライングに対するペナルティで30秒のピットストップを余儀なくされ、終盤にガス欠が出たらしく1回イレギュラーのピットイン、合計9回のピットストップがありながら今回は表彰台にもう一歩の5位は立派。そろそろ中位軍団から抜け出して、本格的にトップ争いを演じてもらいたいものである。
なんか今回は、私と相性がいいのかやたら当たりコマが多かったのが桜井ホンダ。サムネイルを見るとあちこちにこのカラーリングのマシンが見え隠れ。東京では代表的な逆車販売店として、私もUSカラーのVTR1000SP1(すなわちRC51)を探していた時は何度か下高井戸の店に通ったこともある(結局TL1000Rを買ってしまったが・・・)桜井さんは、ホンダのトッププライベーターとして2台体制でマジ優勝を狙うが、1号車の#2はトラブルが重なって211周を刻みながらペナルティで未完走扱い、まさに今大会最大の悲劇!*2 2号車の#71、武田雄一/津田一磨組はなんとか10位でチェッカーを受けた。
1900過ぎ、すでに感度は800に上げてもスピードは1/15しか出ず、まともなコーナリング写真は諦めた。順位は変わらず、依然として34番トップ。しかし、1987年、「あと5分」のヨシムラの逸話を知る者にとっては、ここからがまさにジンクス時間帯。最後の1周でコケたり故障してしまえば、7時間50数分のすべてが水の泡になるのだ。
ヘアピンを、無数の(本当は60個位)の光の束が往く。本当は懐かしマシンのリバイバル走行を見るのが目的で、何度も書いたように今のライダーもマシンもよう知らず、決勝は帰っちまおうかと思った位のものだが、予想に反してここまで居続けてしまった。本当に・・・贔屓チームが頑張れば、こんなに楽しいものはないのだが、今までそういうレースは何回も見た試しがない。
今回、レース前のリバイバル走行の時に隣に立っていた人に話しかけられて、その後ダンロップでも同じように話しかけられた。どちらの人も私と同年輩で、ダンロップの人は誕生日ひと月違うだけの同い年、鈴鹿に来たのは初めてらしいが、今でもTZRに乗っていて、富士では四つ輪のサンデーレースをやっているのだという。子供2人を連れて夜通し走ってきたそうである。2人とも本当に楽しそうに、ガードナー、ローソン時代の話をしては、私としばし盛り上がったのだった。いつまでも昔話ばかりして思い出に浸っているのが正しいレースの観戦だとは思わないし、現役で汗水垂らして走っているはたちそこそこの若手にはやってられないような話だろうが、今回のエキシビションが現実に観客増に貢献しているのも否定できない事実だろうし(確実に1人増えているんでねw)、なんか、前向きに進みつつオールド?ファンを呼び戻すような取り組み、いろいろ考えてくれませんかねえ。
ちなみに、決勝当日の公式発表観客数は7万5,000人、ネットではそれでも水増しだろうとかいろいろ憶測が飛び交っていたが、公称では全盛期の半分位、指定席ですら空席が目立つような、本当昔では考えられない話だが、私くらいの年寄りにとっては、飯でも便所でも並ばされることはなし、細い通路を進むこともままならず、熱気ムンムン、ベトベトの肌が触れ合って不快指数MAX、行きも帰りも大渋滞でゲンナリ・・・というようなことがいっさいなく、実に快適なレース観戦であった。気分が出ないなんてのは今だから言える半分(いや、100%!?)自慢話で、この位がマジで快適でいいっすよ。観戦本位で見るなら今が理想的な混み具合。これでもう少し涼しいと助かるのだが・・・いや、それこそ気分が出ない。やっぱりこの暑さがあってこその8耐でしょう。
8時間経過。8耐のゴールは、8時間ジャストを過ぎて周回数で一番多いマシンがコントロールラインを通過した所でゴールとなる。ジャストを過ぎて恐らくダンロップの辺りを走っていただろうと思われるヨシムラの34番がコントロールラインを通過したのは8時間1分35秒077、ここでレースは本当の終了となる。ウイニングランで、ペースカーに先導され34番以下完走を果たしたマシンがコースを一周、サーキットオフィシャルスタッフ、観客に拍手で迎えられる。
鈴鹿の各観戦ポイントは、それぞれが独立した惑星のようだ。歩けば数分〜十数分かかる各ポイント間には交流はなく、観客はそれぞれの好みで、毎度来て会得した独自の観戦ノウハウでここという場所に陣取る。ゴールのその時、ヘアピンの観客は妙に静かで、何事もなかったかのように、それでいてえもいわれぬ虚脱感が漂っていた。その中に自分も埋没してしまうと、表彰式が見られない。なんか、自分もその空気に染まりつつあったのだが、これではいかんと、機材をまとめてグランドスタンドへ急ぐ。
すでにフェンスは開けられ、観客はコース上になだれ込んでいる。この、真っ先にコースに飛び出して表彰台の真下でシャンパンシャワーを浴びられるのが、高い入場料を払うグランドスタンドの役得の一つだが・・・
ゴールしてしまえば、スタンドは開放され入場券がなくても入ることができる。遅れを取って駆けつけた私が見たのは、ここだけは十数年前と変わらない、人人人で埋め尽くされた光景だった。三重県の片田舎で、すでに2000近い時刻である。
表彰台の一番高い所に上がったヨシムラチームを見たのは、観戦歴7回目にしてこれが初めてである。なんといっても27年ぶりのことなのだ。しかし、何度も書くようにそれは本当に実感のない、現実とは思えぬほどのあっけない勝利だった。
ライダー達と一緒に表彰台に上がって、インタビューを受ける不二雄総監督と、今年から指揮を任された加藤陽平監督。陽平監督は偉大なる祖父、popの遺影を胸に表彰台に上がったのだが、これがまたファンの涙を誘う・・・1995年に逝去したpopも、この勝利を天国から長く待ち望んだことだろう。
表彰式の後、ホームストレートから見る8耐の花火は格別だ。もう誰も一緒に行ってくれるような暇な友人はいないが・・・昔は、この瞬間から夏が始まったような気がする(ほんの十数年前のこと 今のように7月の中旬から狂ったような暑さにはならなかったので、ここが明確な季節の区切り目に感じられたのだ こんなことからも地球温暖化を感じてしまう)。ただ・・・その数は、私が知っている全盛期には遠く及ばず、数えられるような玉数で終わってしまうものだった。後でネットでいろいろ読んだら、それでもここ数年に比べれば大分多かったようである。う〜ん、花火は、花火だけはケチらないで、盛大に行って欲しいね。
そして、宴の後にはまた夜通しの400kmの帰り道が待っている。昔みたいに3〜4時間は動かないような大渋滞にはならないみたいだが、まあ慌てず、ゆっくり帰ろう。と、一人ちょっとおセンチな気分になってコースを歩き出すと・・・
あ!あなた方は・・・あなた方は〜!!!?