横須賀赤灯への道

Blueforce2007-12-22

さて、12月19日の韓国海軍横須賀を撮影するにあたって、当日記の読者の方々も日頃ご覧になったことのないアングルでの写真を多く目にされたことと思う。今回は、カテゴリ[海軍]というよりも、旅行記として読んで頂きたい、謎の無人島「赤灯」上陸記をお送りします。

オヤオヤ、阿藤さん、今日はどこへお出かけでしょうか〜?
「今日は、金沢シーサイドラインに乗って野島公園駅に来ていま〜す! それでは出発進行〜!」
新交通に乗って訪ねる横浜ベイサイドの旅!と思いきや、阿藤さん今日はそっちの方向じゃありませんて!
ここは、野島公園駅前、川を隔てた対岸にある村本海事さんの船着き場。今日はここから沖の釣り場に向かって瀬渡し船に乗って行くという珍道中になる。
駐車場は10台程度分が用意されており、空いていれば料金はかからないが、満車になってしまった場合は近くの野島公園(「野鳥公園」ではないので注意!)の駐車場を利用することになる。こちらは1日1,000円の代金がかかってしまうが、当然自腹になるので、朝は早い時間に来ることをお勧めする。本日は隣にニュービートルが停まっており、ここの2台が釣り船の発着所とは思えない妙に浮いた雰囲気を漂わせている。実際、そのうちの1台は釣り客ではないのです・・・しかし、ここの駐車場無茶苦茶狭いね。

乗船料金は1人3,500円。事務所でお金を払って、乗船名簿(というほどのものでもないが・・・)に記入すると、名簿の欄に示された番号に対応する番号札のついた首輪をくれる。服装は、濡れるのはお客の勝手なのでわざわざ釣り用の装具を揃える必要はないが、昨今海保の指導がかなりうるさいらしく、ライフベストの着用が必須と言われる。村本海事さんには貸し出し用のものの備え付けがあるので、自前での用意は一応不要(足りなくなったらどうなるのかは知らない)。なお、この受付、ほとんど顔見知りのような常連客相手に商売しているせいかとてもアットホームで、行く前や帰ってきた時には我々のような一見客にもおかみさんがお茶をふるまったりしてくれる。
船は釣り客が相手のため、頻繁に行ったり来たりするお客を想定していないので、0830の便の後は1200発になってしまう。まあ、これからご覧頂ければおわかりと思うが、沖には売店自動販売機はおろかトイレすらない。数時間島流しの覚悟を決めて、必要なものは事務所隣のコンビニで仕入れてトイレも済ませておくこと(船にもトイレはないので注意)。0830になると駐車場一帯に屯していたお客に向かって「そろそろ出るよ〜」との声がかかり、メザシで2隻つけている沖側の「ニュー金幸丸」は定時出港!

船は川の下流から、八景島シーパラ(写真で正面)を左手に見て、入り江―外海へと進んで行く。船の後端部、オープンデッキで立っていると、結構な高速に振り落とされそうになるので注意。なお、この村本海事さんは、2005年6月まで上陸が許されていた第2海堡での渡船を運航していた。写真が小さいが、当時訪問した記録を当日記で紹介しているのでご覧下さい。

なんとも・・・普段の艦船撮影とは趣の異なる、場違いと言ってもいいほどの雰囲気漂う渡船の客室内。
もちろん、軍艦撮りに行くというような客は我々2人だけ、後はこの歳末の平日に仕事を休んで来るような釣りキチばかりである(平日に休み取ったのはお前らも同じだろうって!?・・・ごもっともマルトモかつお)。船内はなぜか排ガスの臭いが充満し、暖房もなくなぜか陽射しが温かい船尾オープンスペースよりも寒いので、ほとんど立ち入らなかった。

河口を出て東京湾内に進み出る。シーパラの対岸に見えるのは、ヴェルニーからハーバーマスターピアの停泊艦船を撮ると、背後に写り込む住友重機械マリンエンジニアリング横須賀造船所のガントリークレーン。さらにこの裏には、日産自動車追浜工場とテストコースが広がっている。

渡船はいくつかの防波堤上のポイントに立ち寄り、場所ごとに少しずつ異なる釣れる魚を求めて思い思いの場所に陣取る釣り人を降ろしながら進んで行く。まず最初に立ち寄るのは、横須賀港防波堤で一番北、「ドック」(そのままやんけ!)と呼ばれる白い灯台が建つ小さな防波堤。

ここ横須賀港防波堤は、浸食が進んだためか海面からの高さの差がほとんどなく、場所によっては波洗うような箇所も見受けられる。そういう所ではやはり磯釣り用の長靴が必須であるし、座ることもできないが、我々が向かうポイントはそこまで低くはないので心配は無用。
各ポイントに着くと、待ちかまえていた釣り人がクーラーバッグなどを肩から下げていそいそと降りて行く。防波堤は上に述べたようなコンディションのため、もともとは一つにつながっていた所が崩壊して切れてしまっている所もある。彼我の距離は十数メートルなのだが、陸に生きる生物である我々人間はそんな距離ですら自力では渡ることはできない(当たり前だっつ〜の それができたら最初から渡船には乗らないでしょ!)。アタリが悪いと思っても、隣のポイントには1200発の便が回ってくるまで移動することはできない・・・オットすでに沖にはときわの姿が!

船は一番長くつながっている防波堤に沿って、北側―青灯から南端の「ハナレ」と寄ってさらに先に進む(帰路の撮影)。住重のガントリーの右側に小さく見える白い物がシーパラ、さらに右に行って、防波堤の釣り人がいる場所の奥辺りが「ひゅうが」建造中のIHI-MU横浜工場のある磯子一帯になる。

次は青灯―ハナレからさらに南下した防波堤、「新堤」。シーパラの三角屋根がはっきり見える。どうですか、防波堤これしかないんすよ!磯釣りをやる方にはそんなことは珍しくもなんともないだろうが、あまり当日記のお客様に釣り人はいないだろうから、(自分も含めて)結構カルチャーショックかも。

そして、いよいよ終着点、本日の我々の目的地が見えてきた・・・えっ!?エッ!?まさか・・・!?

そうです、ここが終点、「赤灯」。横須賀港防波堤の最南端に位置する、ちっぽけな灯台だけの人工島である。
いや、まるで大海原の真ん中にモッコリ半球形の陸地と、椰子の木1本が生えているだけの絵に描いたような無人島を彷彿とさせるロケーションっすね。ここで迎えが来るまで3時間半、高波が来ても(「たかなみ」は来ましたがwwww)津波が来てもしがみついているしかない。

他の場所は海面からの位置が低いために船尾からの上陸となるが、ここ赤灯は高くなっているため、船橋を通って船首から降りることになる。なんか、最近テレビで延々流れている「黄○伝説」みたいになってるぞ、コレ。
船は我々を降ろすと、なんのタメもなくさっさと行ってしまう。もちろん釣り人だったらそれに何の感慨も、ましてや悲壮感など間違っても抱かないのだが、どう考えても「オカの民」にはこれはかなりのプレッシャー。

後進で去って行く我が「ニュー金幸丸」の後方には、同じ働く船の仲間、ミサイル護衛艦きりしまの姿が。その真後ろにあるちょっとした山は、米軍の弾薬庫がある吾妻島、その左側が横須賀本港(吉倉地区)、右側が長浦港(船越地区)になる。ちなみに、一日中釣りに勤しむ太公望相手の商売なので、次の1200の便は臨時便扱いで降りる時に「迎えに来てちょ」と伝えないと来てくれない。言い忘れても最悪携帯で連絡する手段はあるが、昼前に撮影を終えてさっさと帰りたい場合は一応希望を伝えるのを忘れないこと。

あ〜あ、絶海の孤島に一人・・・

赤灯については、当日記では何度か触れたことがあるので、熱心な読者の方には覚えている方もいらっしゃることだろう。横須賀港、いつもの撮影ポイントから沖を見渡すと目に入る、小さな灯台だ。
横須賀港は三浦半島東岸に湾の形状で広がっている、天然の良港の資質を備えた港湾で、当然東側に向けて入出港口が広がっているのだが、ここまで見てきたように、真東に向けては防波堤が設置されているためそのまま出入りすることはできない。最北部の青灯の部分ではすでに陸地―住重造船所と近接しているので、小形船舶以外は通航できないのだ。よって、横須賀港入出港艦艇は何度も述べているように、すべてこの防波堤に頭を抑えられるようにして面舵に取って真東へと抜けて浦賀水道航路に合流することになる。空母はもちろん、巡洋艦だろうが補給艦だろうが潜水艦だろうが大形艦艇はすべてこの赤灯の目の前を通って出入りするのだ。

比較的新しい、赤いタイルで覆われた灯台には「横須賀港東北防波堤東灯台 初点 大正9年 改築 平成1年12月」とある。この来歴からわかるとおり、構造は2つに分かれており、大正時代のものと思われる朽ち果てたトーチカのようなコンクリートの建屋がある南側の部分に、むりやりくっつけたように新しい灯台部分のコンクリートが覆い被さっている。だが、いずれにしても今私が立っている灯台は、太平洋戦争が始まる遙か昔、戦艦でいえば陸奥が建造・就役した頃から軍港横須賀の移り変わりを見ていることになる。山本五十六の遺骨を乗せてトラックから帰還した武蔵も、翌日には海の藻屑と化す運命を知らず帰らぬ旅に出ていった信濃も・・・そして米軍の進駐、ミッドウェイ、インディ、キティと3代に渡る横須賀を母港とする空母の姿も・・・

そう考えてみれば、かつてこの灯台から陸地の方を見渡した時、今現実に目の前にいるきりしまやむらさめの姿に重ね合わせて、屯する艨艟たちの姿を思い出し、思わず身震い。想像してみて下さい、この左側の海面に武蔵が、金剛が、霧島が、妙高が、鳥海が居並ぶ(もちろんこれらが一堂に会したわけではありませんが)その光景を。この朽ち果てたコンクリートはその頃のことを覚えているわけである。しかし、その頃は一般人が横須賀港内をこんな場所から覗き見るなんて死んでもできなかったんだよね・・・

↑上の写真からもわかる通り、灯台基部は凸形構造になっており、下の低い部分の方が広いのだが、何となく落ち着かないので一段高いところにシートを広げて陣取った。ここなら高波も津波も怖くない!ドンと来いだ!wwww
ここで見ると、大正9年構築の手前の古い部分と、新しい現在の灯台の部分がはっきりわかると思うが、凸形の下までは結構な高さがあり、落ちると当たり所によっては怪我では済まないので要注意。
12月にこんな洋上に来て、どれだけ寒いのかと思って防寒着まで新調してしまったのは↓先日の日記に書いた通りだが、この日は予想に反してかなり気温が高く、おニューのダウンジャケットはおろかフリースまで脱ぐ羽目になり、一時はTシャツ1枚で過ごすほど。しかし、いつもこんなに快適とは限らない。突然天候が急変して雨が降ってきても船は迎えに来てはくれないのだ(時化た時にはもちろん迎えに来る)。真夏の盛りでない限り、防寒対策は万全に。

というわけで、現代に甦った高雄型重巡、きりしまを目の前に眺めながら、迎えの船が来るまで身動き取れず遠流の刑期満了までひなたぼっこ・・・
しかし、3時間半もどうやって時間を潰そうかと、本まで用意して渡航したのだが(同行の女史も新しく買ったワンセグ携帯を持参したが、こんな洋上でもしっかり映った 便利に時代になったもんだ・・・)、撮っている時間以外も結構楽しくて、最後は「もう迎えに来たの?」という位あっという間に時間が経ってしまった。プチ家出というか失踪というか、お手軽に誰にも会わない無人島に逃避したい時にはお勧めのロケーションかも知れない。フネ好きだったらなおさらだ、お気に入りの本や音楽を持って、日がな一日無人島でゴロ寝。携帯も切ってしまえば誰にも煩わされない適度な孤独感が味わえるし、運が良ければ日米のいろいろな艦船が目の前を行ったり来たりしてくれる。秋口や初夏には最高のバカンスが味わえるだろう。
・・・と、ここまで書いておきながら残念な補足事項を。一応不測の事故防止か自殺予防!?か、各ポイントとも上陸者が1人の場合はお断りする場合がありますと断り書きがあり、本当に1人になりたいという希望はかなえてくれそうにないのと、逆に他グループがいた場合、逃げ場のない狭い無人島で話好きなおっさんのお相手を一日させられる羽目になる可能性もあり、結局のところ気の合う人と2人位で渡航するのが現実的な楽しみ方かな、と。まあ、上のきりしまの写真をご覧になれば、一度位は行ってみる価値はあるとおわかり頂けると思う。

大正時代構築部分の基部には、このようにかつて詰所の跡が残っており、突然の雨などはしのぐことができる。春から秋にかけてはこの赤灯で泊まりの夜釣りも可能だそうで(3名から)、早朝の空母入出港などには使えそうだが(朝が早ければ早いほど光線状態は良くなる)、ここで一晩過ごすのはおっかなそうだなあ・・・
また、最大の心配事、トイレも、実はこの写真で右手前側に大きな穴が開いており、そのまま海面が見えるというお厠状態になっており、最新の水洗便所で心配なし!? ま、ここでなくても、横須賀港から見て裏側、東京湾を眺めながら大小イタすのも、誰が見ているわけじゃなし爽快でいいかと思うが・・・(ま、船舶備え付けの双眼鏡の倍率をナメると、ちょっと恥ずかしい思いをする羽目になる可能性もあるけどw)

本当に、10時台の数十分間撮影に集中した以外は、何をしていたわけでもないのにあっという間に時間は経ち、1200発の便が迎えに来た。別ポイントに移動するため新堤から乗ってきたおじさんが持っていた網には種類はわからねどデカい魚が。う〜ん、逆光で真っ黒な写真を量産してきた我々よりもいい釣果ですね・・・
世の軍艦ファンにもそれぞれの撮影スタイルがあり、オカ撮りを基本とする人、洋上で撮影するにも釣り船をチャーターする人、自前の船を持っている人、さらにはヘリから空撮する人までいるわけだが、湯水のように金が使えるわけでもなければ結局常識的な手段に限られてしまう。今回の赤灯はもともと光線状態が悪く、一般的な撮影ポイントとしてはあまり使えるものではないのだが、何にでもチャレンジという当分遣隊の基本方針と、軍艦バカ日記でなく一般の旅行記としても興味を持って頂ける内容であるので、紹介させて頂いた。こんなレジャーの楽しみ方もあるということで、参考にして頂ければ幸いである。