中央道地獄変

Blueforce2008-01-23

東京に今冬初の本格的積雪。
先日のいちご狩りの際に、十国峠と箱根で雪の洗礼は受けているが、東京での雪は降る降ると言われた今週初めが完全に空振りに終わり、遅れての襲来となった。しかし、朝の時点ではガンガン降っているので少々たじろいだものの、午後にはだんだんとみぞれになってしまい、まったく積もることはなかった。というわけで、「初雪」といえば・・・

全然季節感が合わなくて申し訳ないが、2001年8月3・4日に仙台湾沖で開催された展示訓練「仙台湾マリンフェスタ」で観閲艦を務めた「はつゆき」型のネームシップ、はつゆきDD122(横須賀地方隊第21護衛隊・横須賀―当時)。横須賀地方総監の座乗艦となっているため、2つ桜の海将旗を掲出している。船越に行けばいつでも見られる・・・はずの同艦も、沖の姿と言えば写真に収めたのはこれが今のところ最後の機会。これより前になるとモノクロ写真になってしまう・・・しらゆきは昔から良く見るんだけどな〜、はつゆきってあんまりホストシップとかに充当されないよね・・・?
ま、それは少々こじつけネタなんだけれども、東京では大きな被害もなかった今回の積雪だが、こんなニュースも。
「雪の中央道、単独事故が10件も…長野・山梨県
23日、長野、山梨県境の中央自動車道下り線の小淵沢−諏訪インターチェンジ間で、雪でスリップした乗用車やトラックがガードレールに衝突し、横転するなど単独事故が午後1時現在で10件発生した。長野県警高速隊によると、けが人はいない模様で、同IC間は通行止めになった。長野地方気象台によると、現場付近の積雪は同日午前10時現在で約12センチ。現場の路面も圧雪状態だった。」
(ヤフーニュースより リンク切れで本文を失わないように全文を転載)

私の車遍歴は、現在の307CCが3台目(正確には307CCが代替わりしているので、車種ではなくクルマ自体では4台目)となる。最初に乗ったのは、学生時代に買った三菱GTO。当然?NA仕様なのだが、親からは1銭ももらわず、全額自分の小遣い?で買った。ま、それがいいことだったのか悪いことだったのかは今となってはちょっと評価の分かれるところではあるのだが、さすがバブルど真ん中の世代ならではの話である。当時でも学生でこれを自分で買える人間はあまりいなかったし(当たり前だ)、下の世代の人に話すと絶句されるwwwww ま、さすがにNSXはどうやっても買えなかったけど、この車のチョイスだけで、私がイーグル党でなく典型的なトムキャット党であるということが如実におわかり頂けよう。

最初はMR2,SW20が欲しくて、その後Z32がどうしても欲しくなって、金を貯めているうちにデビュー前、雑誌の写真を見てGTOに完全に参ってしまった。今も基本的に四駆好きなのだが、WRC好きということもあり当時勃興しつつあった国産スポーツ四駆に興味があって、結構ギャランVR-4とかSVX(!)にも興味はあったのだが、どうせ傾くならとことんまで、ということで結局バブリーの極み、GTOに。サイドのダミーエアスクープなど、池○さ○しなんかにはバカにされたが、私には忘れられない車である。発売直後の1990年11月2日?だったかな、店の納車第1号だったと思う。季節はずれの台風が東京に上陸した日で、初めて買った車、しかもマニュアルで、店の裏の超細い路地に入り込んでしまい、ワイパーはきかないし、絶対大通りに出るまでにぶつける・・・と覚悟したが、なんとか無事に家まで帰ってきた。それから2年4カ月で4万3,000km乗って、雑誌の個人売買で手放した。この時のエピソードもいろいろ面白いのだが、それはまた別の機会に。
買うときは格好いいイメージだけだったフルタイム四駆だが、恐らく最初の車が四駆でなかったら私は今この世にいないだろう。それほど無茶をやって、踏めば真っ直ぐ走る四駆の走破性能に救われたのだ。バブル全盛期(正確には弾けた直後)の当時は猫も杓子もスキーを嗜んだ時代(まだスノボはほとんど見かけず、異端だった頃)、ご多分に漏れず私も周りの人間も狂ったようにスキーに行っていた。上の写真は1992年2月、蓼科の貸別荘にバイト仲間で泊まって、3日間スキーに明け暮れた時のもので、昨年ぴのさんご一家と307CCオフを催した際に15年ぶりに寄った女の神展望台での撮影。友達がどこからか借りてきた後ろのエブリイとギャランの3台で、トランシーバーで夜中の中央道をバカ話しながら・・・バイトの合間にスキーなんだかスキーの合間にバイトなんだか、とにかく10日間位同じ顔ぶれの男共で一緒に暮らして、楽しくて楽しくてしょうがなかった頃の思い出だ。ああ、この日記でやるまいやるまいと思っていたが、ジジイの昔語りに入ってるぞ・・・

ここで話の流れ上、仕方なく掲載?のナルちゃん憲法全開のショット! 万座に友達と2人で行った時かな、板はサロモンのスキー板参入で鮮烈なデビューを飾り、エクストリームモデルとして一世を風靡したフォース9、ブーツはコフラック、ウエアはデモパンですよ、今見たら笑っちゃいますねウヒョヒョヒョ 今こんな格好してたらスクールのおじさんとしか思われないだろうなあ・・・結構フォームチェックとかで、8ミリビデオカメラに防水パックを装着して、インチキウェーデルンを撮ったりしたが、カメラも動くかどうかわからず、今は見ることはできません・・・当時は、とにかくスキーに関しては皆硬派気取りで、女っ気もなく(別に望んでそうなったのではない!?w)ひたすら滑る、泊まりがけで行くと夕飯食って1900には就寝、というような信じられない体育会系のスキーをやっていた。「朝来て数本滑って3時間ぐらい寝て最後に数本滑って帰る」なんてのはアカンでしょそりゃwwww

さて、そんなおバカな青春daysのなかで、忘れられないのがこの写真の日、1991年3月22日(あえてデートが入った状態でトリミングしてみました)。
この日は中央道経由で車山に日帰りツアー。参加人数は6人で、うち1人はMR2(SW20)を談合坂SAに置いて隣に写っているソアラ(1G)に合流、我が車の2人とソアラの4人で大門街道を登っていったのであった。ちなみにこのソアラ、同じバイトで働いていた後輩が別の学校のバイト仲間から2万8,000円で買ったもの。それまでもスキーの帰りでエアコンが壊れ暖房が効かなくなったり、なかなか大変な車だった。シフトノブが水中花だったのが忘れられない。今見返してみると、フェンダーミラーだったんだなあ・・・
さてこの日は、行きはまったく雪は降っておらず路面も無雪、晴天の下スキーを楽しんだのだが、帰ることになって空は俄に曇り、あっという間に吹雪に。駐車場にはまったく積もっていなかったのが、30分ほどでこのような状態になってしまった。まだちょっと早い時間だったが、もう滑るのも辛いし、こっちは問題ないけどソアラが心配ということもあり、さっさと帰るかということになった。しんしんと音もなく、しかしシャレにならない量の雪が降り積もる中を、茅野まで降りてきて中央道に乗ったが、スタッドレスでその気になれば3ケタ巡航も快適にこなせるGTOと、FRでチェーンを巻いている2万8,000円のソアラではどうしても差が開いてしまう。走り出して10分ほどで、ソアラは見えなくなってしまっていた(ホンマ、極悪の先輩・・・)。
実際、3ケタ・・・位?で巡航していると、すでに前方はホワイトアウト状態。ほとんど停まっているような速度で走る他車をビュンビュン抜いて行く・・・と、前方を走っていた大形トラックが真横に!マジか〜!!と思っても、車間距離が空いていたこともあり、踏めばスピンもせず素直に減速するので余裕でクリア、しかしあれにはびっくりした・・・当時は携帯などないので、見えなくなったソアラの行方はまったく知れない。とりあえず双葉SAに寄るように、との申し合わせをしていたので、双葉に入って待つこと1時間近く!待てど一向にソアラは姿を現さない。こりゃやったかな・・・そのうち、道路情報も錯綜してきて、双葉から西側の区間は通行止めになったとの噂が流れてきた。今みたいにリアルタイムのディスプレイもないので、ホワイトボードの掲示板が頼りだが、誰も正確な情報がわからない。しかし、いつまでもここで待っていても埒があかないし、通行止めで下道に降ろされたのかもしれないと、いずれにしても家に帰れば連絡があるだろうと、東京に急ぐことにした。
八ヶ岳山麓から甲府盆地に降りるに連れ、雪は雨に変わり、路面の積雪もなくなっていた。友達とあいつら大丈夫かな〜なんて笑いながら(この辺が人でなしと言われる所以・・・)笹子越えを一気に駆け上がり、トンネルをいい調子でカッ飛ばし、出口が見えてきた・・・
その次に見えたのは、まさに阿鼻叫喚の光景!!]
なんと、笹子峠の大月側は、大雪だったのだ! それを知らずにトンネルを抜けた車が、十数台もう滅茶苦茶・・・こちらも2次災害に巻き込まれるところだった。「ウワ〜ッ!」すでに進路は直線上では塞がれているのだ。慌ててハンドルを切れば、四駆でなければ確実にスピンしているような速度域だ、鼻先をかすめるようにして窓越しに見た、グシャグシャになった青いユーノスロードスターの姿が今でも忘れられない。
確かに、道路情報の電光掲示では手前から「笹子峠 雪 走行注意」とは出ていたと思う。しかし、車線規制などとても間に合わないほどの急な降りで、しかも同時多発だからとても対応できるものではなかったのだろう、その後トンネル出口がどうなったのかは知らないが、片づける間もなく後から後から補充されてくるので、あと何台かは確実に笹子に果てたのだと思う。もちろん、私もFFやFRだったら、とてもあの修羅場を生き抜くことはできなかったろう。いや、それ以前に何度も「やらかして」いたかもしれない場面があったのだ。だから、今でも307CCを心の底から信頼している、と言ったら嘘になる。
家に帰り着いたら、親が「お前事故起こしたんだって!?」。な、何を言ってるんでしょうかこの人達は? 落ち着いて聞いてみたら、こういうことである。予想通り?、ソアラGTOのバックミラーから姿を消した数分後にスピンを起こしてガードレールに激突したのだそうだ。幸いに各人とも唇を切った程度で(後で聞いたら死ぬかと思ったそうだが)大きな怪我はしなかったのだが、すでに各インターは閉鎖になっていて、路上に残っている車は皆刺さっているものばかり、本線上はサーキットのピットレーンのようになっていたそうである。エンジンも回らず、暖房も切れてしまった車を出て、吹雪の中を道路公団のトラックが1台1台拾いに来るまで茫然と立ちつくしていたらしい。それが路上に何組も点在しているという悪夢。
路肩の非常電話で事故を起こしたことを伝え、私にもそのことを伝えて欲しいと、道路公団の指令室に家の電番号を伝えて知らせて欲しいと頼んだのだそうだ。それが、その指令員が直接電話をするわけではないから、伝言ゲームで話が変わってしまい、私が事故った、という内容で電話がかかってきたらしい。私が、サーキットのオフィシャルカーのように走った後の区間が次々と通行止めとなって、最後には八王子以遠全線通行止めになってしまったらしい。
まさに、中央道悪夢の一日。というわけで、写真に写ったソアラは私が見た最後の姿、この約1時間後には中央道の白い魔物の餌食となってしまったのであった。いったい、あの夕方で何台廃車になったのか・・・今日のニュースを見て、17年前のあの日のことを思い出してしまった。
よく、あんなに調子ブッこいて無事に生きて来られたよなあ・・・とはいえ、過信は禁物なれど、四駆の持つアクティブセーフティのアドバンテージがどれほどのものかを、私は良く知っている。本当はふうこ号も四駆ならいいのだけれど・・・